地獄曼荼羅アシュラ (Anjaam) 1994年 171分 エア・インディアの客室乗務員シヴァーニーは、同僚の誕生日パーティー中、富豪ヴィジャイ・アグニホートリに一目惚れされて追い回される事に。事あるごとに職場や自宅までやって来る彼を拒絶していく日々が続く。 その後、彼女を母親に紹介してプロポーズしようとやって来たヴィジャイは、そこで思いがけなくシヴァーニーの結婚式を見せつけられ、さらに彼女が新郎であるパイロット アショク・チョープラとNYへ新婚旅行に行く現場をも見てしまう…。 それから4年。 荒んだ生活に明け暮れるヴィジャイは、しぶしぶ参加した知り合いのパーティー会場にて帰国したシヴァーニー夫婦と再会。娘ピンキーも産まれて幸せな家庭生活を送るシヴァーニーを諦めきれないヴィジャイは、彼女の伯父モーハンラールを買収して夫婦生活に介入し続け、彼女を喜ばせようと窃盗犯を捕まえては暴行し、夫アショクを自社に引き抜いては重役に取り立て…ついには彼女のためだとアショクを殺害してしまう!! 恐れおののくシヴァーニーの前に、ヴィジャイと彼の友人のアルジュン・シン警部が現れて、なおも結婚を承諾しないシヴァーニーにそ殺人の罪を着せて投獄させてしまう…!! 挿入歌 Chane Ke Khet Mein (豆畑で娘がつかまった) 原題はヒンディー語(*1)で「成り行き」とか「結果」。ボリウッドクイーンのマードゥリーとボリウッドキングのシャールクの、初共演作となる一大復讐劇。 日本では2000年に「アシュラ」の邦題で一般公開し、後に「地獄曼荼羅アシュラ」のタイトルでビデオ&DVDが発売。そのよくわからん邦題&ポスターと相まって「なんじゃコリャー!」と観客を混乱の渦に叩き落とした怪作。さらに、2014年に神戸の元町映画館にて「秋のインド映画祭り」の1作として上映された。 シャールク主演のいつもの明るいラブコメ映画的雰囲気…は序盤だけで、話の大半は狂気のストーカー男に人生をメチャクチャにされるシヴァーニーの悲劇を執拗に描き出し、そこから彼女の壮絶な復讐劇のありさまを描いて行く。"お気楽気ままなインド映画"をイメージしてるとガツンと脳天カチ割られるくらいの迫力で迫ってくる一作。こんな映画も出て来るんだから、インド映画は油断できない。うん。 パラシュ・ラーマやカーリー神話を出すまでもなく、いわゆる「復讐もの」と言うジャンルはインドの物語文化の中でかなりの人気を誇る素材のようで、日本公開された「マッキー(Eega)」「恋する輪廻(Om Shanti Om)」を始め娯楽映画の中にも枚挙いとまがないほどに多出する。本作では、映画の3分の2ほどが復讐に至るまでの主人公に降り掛かる理不尽な悲劇が執拗に描かれていき、物語の前後関係を描き出さねば気が済まないインド人気質がよーーーーく現れた1本になっている。…ま、そのために中盤まで展開がゆったりめでかなりストレスがたまってくるんだけど、その分主人公の復讐が始まってからの爽快さ・豪快さは凄まじく印象的でトンデモナイ作品。 監督のラワール・ラワイルは1951年ボンベイ生まれの監督兼プロデューサー。 助監督として70年代から映画界で活躍し、1980年の「Gunehgaar(罪人)」で監督デビュー。TVシリーズ監督やプロデューサーを経つつ、本作が11作目(+ノンクレジットで共同監督1作)の監督作となる。 主役シヴァーニーを演じるマードゥリー・ディークシト(結婚後はディークシト・ネネ姓)は、1967年ムンバイ生まれの女優。90年代にはボリウッドの女王として君臨したスーパースターである。 両親共にマラーティー語を母語とするチトパヴァン(*2)出身で、3才頃からカタックを習い始めてダンサーを志望していたと言う。 1984年のヒンディー語映画「Abodh(無垢)」で主演映画デビューするも数年はヒット作に恵まれないまま。しかし88年の主演作「Tezaab(酸)」が年間最大ヒットを叩き出し一躍トップスターに。その演技力と美貌、特に他の追随を許さない舞踏力に注目が集まり、飛躍的に出演作を増やす(*3)。 90年最大ヒット作「Dil(こころ)」で見事フィルムフェア主演女優賞を獲得。続く92年「Beta(息子)」、本作と同じ94年公開作「Hum Aapke Hain Koun..!(私は貴方にとってのなに…!)」でもフィルムフェア主演女優賞を獲得。この人気にのってかのシュリーデーヴィーに代わりボリウッドの女王の地位に登りつめる。97年には「Dil To Pagal Hai(心狂おしく)」で4度目のフィルムフェア主演女優賞を獲得するも、98年以降急激に出演作を減らして行く中、99年に在米インド人医師と結婚して米国コロラド州デンバーに移住。02年の「Devdas(デーヴダース)」でフィルムフェア助演女優賞を獲得するが、翌03年以降映画出演がなくなり完全に女優業を引退した。 …と思われていた07年、「Aaja Nachle(さあ、踊りましょう)」で突如女優復帰し、その演技・美貌・ダンスパフォーマンスが健在である事を見せつけ見事トップスターに返り咲く。08年には国からパドマ・シュリー賞(*4)を与えられ、11年からは活動拠点をムンバイにさだめ、家族全員でインドに帰国。13年にはネット上で"Dance with Madhuri"と言うオンライン・ダンス・アカデミーを開校。様々な振付師と共に自身もダンス講師として活躍している。また野生象保護活動などの社会福祉活動にも多数参加しているとか。 本作で悪役賞を獲得したシャー・ルク・カーンは、言わずと知れた後のキング・オブ・ボリウッド。 1965年のニューデリーで、パシュトーン人ビジネスマンの父親とカシミール系の母親の元に生まれ、5才頃までマンガロールの祖父の所で育ったと言う。デリーの学校にてスポーツと舞台演劇で頭角を現し(*5)役者となるべく演劇界に進みTVドラマデビューする。その後父親の病死と姉家族の扶養のためにムンバイに移住するとすぐに映画界に進出。91年に「Dil Aashna Hai(心は真実を知る)」で映画初出演(&主演)となる…はずが、公開が遅れてそれより後に撮影された92年公開作「Deewana(熱狂)」が映画デビューとなり、フィルムフェア新人賞を獲得。その間に、ヒンドゥー教徒のパンジャーブ人ガウリー・チッベルと結婚している(*6)。 93年には「Baazigar(ギャンブラー)」でフィルムフェア主演男優賞を、94年には「Kabhi Haan Kabhi Naa(時にはイエス、時にはノー)」でフィルムフェア批評家選出主演男優賞、本作でフィルムフェア悪役賞を獲得。翌95年には、ギネス級ロングラン映画「花嫁は僕の胸に(Dilwale Dulhania Le Jayenge)」に主演してその地位を不動のものにし、その後も次々とヒット作を作り上げて一気にキング・オブ・ボリウッドへと登りつめ、数々の映画賞を獲得する世界的スターに成長して行った。その後の活躍はご存知の通り、インディアン・ドリームを体現するスーパースターである。 序盤の強烈なエア・インディア推し(*7)は微笑ましいながら、いつものストーカー愛から始まるボリウッド・ロマンス劇を逆手に取るようなストーカーの恐怖を描いて行く所が痛快。 後に結婚を期にアメリカに移住したマードゥリーが、本作とシンクロするように4年後にインド映画界に戻って来て女優活動を再始動している事に、変な意味を探り出してしまいそうになりますわ。そういや、マードゥリー主演の2014年公開作「Gulaab Gang(グラーブ・ギャング)」でも、いわれなき女性蔑視に立ち向かう主人公を演じるマードゥリーが、本作と同じように戦う時の武器に湾曲鎌を持ってたけど、なんか神話的アイコンめいた意味でもあるんでしょか? 挿入歌 Kolhapur Se Aaye Jhumke (私はコーラープルの娘) *コーラープル(またはコールハープル)とは、マハラーシュトラ州南部にある県または市のこと。市の名前を冠する食物や民芸品で有名。
受賞歴
「地獄曼荼羅アシュラ」を一言で斬る! ・復讐に燃えるシヴァーニーが黒衣裳なのは、カーリーになぞらえたマハーカーラ(=シヴァ)の表象ですかい?(名前もシヴァの女性形だしぃ)
2015.3.28. |
*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。このヒンディー語による娯楽映画界を、俗にボリウッドと言う。 *2 またはチトパワン。インド西海岸マハラーシュトラ州〜ゴアにかけてのコンカン地方独自のローカル・ブラーミン家系。 *3 翌89年には10作もの映画に出演している!! *4 一般国民に贈られる4番目に栄誉ある賞。 *5 同級生に後の映画女優アムリター・シンがいたそうな。 *6 シャールク本人はムスリムで、家では2つの宗教を同等に扱っているそうな。 *7 本作のスポンサーの1つ! |