Aurat 1940年 154分
主演 サルダール・アクタル
監督/脚本 マハブーブ
"神よ…この無慈悲な人生を生き抜く強さを、私にください"
ラーダーとシャムーの結婚は、農村の人々に祝福されながら滞りなく進められた。
しかしその夜、ラーダーは寝床の傍らで「この結婚と引き換えに地主に売った土地が、一生のうちに取り戻せるだろうか」と嘆く義母の声を聞く…。
その後、その美しさで評判となったラーダーは村の人々にも受け入れられ、双児の息子にも恵まれるも、農村の貧困は確実に家の暮らしを疲弊させていく。一日中家事と農作業に追われる彼女が3人目の子供を出産する頃には、夫シャムーは家族を重荷に感じて子供達に当たり散らし始め、ついには夜中に人知れず出奔していってしまう。追い討ちをかけるように義母が亡くなり、幼い子供たちを食べさせるためにラーダーは今までにも増して働き続けることに。
しかし、なんとか母子たちで暮らしを立てようと奮闘するさ中、村は前代未聞の干ばつに襲われていた…。
挿入歌 Jamuna Tat Shyam Khelen Holi (シャヤムが、ヤムナー河の岸辺で色粉まみれで演奏しているぞ)
*主人公ラーダーの初出産の後にかぶる、春迎祭にして、人々の"新たな出会い"を祝福する無礼講のホーリー祭の歌。
白黒映画の画面に撒かれる色粉の激しさ(おとなしさ?)よ…。
原題は「女性」の意。タイトルやポスターには「Woman」と英語表記でも書かれている。
1953年の同名映画とは別物、のはず。
ボリウッド史上に燦然と輝く傑作「Mother India(マザー・インディア 1957年公開作)」の、リメイク元オリジナル作品となる、インド独立前の大ヒット・ヒンディー語(*1)+ウルドゥー語(*2)映画。監督も同じ。
さらに、1971年にはテルグ語(*3)リメイク作「Bangaru Talli」も作られている。
まーとにかく、苦難に満ちた農村女性の生き様を淡々と描いて行く「母親版おしん」みたいな映画で、幸福に彩られた結婚式〜新婚期から始まる映画は、家事労働の生活にかかる重労働ぶり、夫との衝突と突然の出奔、強欲な地主との軋轢、干ばつによる飢餓とその中での子育て、成長した息子同士の諍い、犯罪者の母と罵られ村から孤立して行く怒涛の悲劇の連続に、「母親としての決断」と「母親としての不幸」を背負いこむ主人公の悲哀を見せつけて行くおもーい内容。
劇中繰り返される結婚式や年中行事の祭りの様子が、主人公の孤独・孤立を表すとともに、世代交代して行く時間の経過の重みをも表して行く人生の儚さが素晴らしい。
主役ラーダーを演じたのは、1915年英領インドのラホール(*4)に生まれた女優サルダール・アクタル。
もともとはダンサーとして舞台に立ってた人で、それが縁となって映画会社サロージ・ムービートーンの誘いを受けて1932年(33年とも)のヒンディー語映画「Idd Ka Chand」を始め、翌33年公開の4本の映画にも出演して映画デビュー。38年の主演作「State Express」の大ヒットで大スターの仲間入りとなる。39年のウルドゥー語映画「Pukar」と本作で、今までにないシリアスなその演技力を絶賛され、本人も特に気に入っている映画として本作の名を挙げていたとか。
1942年に、本作監督のマハブーブ・カーンと結婚。45年の「Rahat」をもって女優業を引退するも、以降も歌手兼女優として断続的に映画出演していたらしい。
1986年、アメリカはニューヨークにて心臓発作で物故。享年70歳(71歳とも)。
監督を務めるマハブーブ・カーン(生誕名マハブーブ・カーン・ラムザーン・カーン。*5)は、1907年英領インドのヴァドーダラー藩王国ビリモラ(*6)生まれ。
警察官の父を持ち、蹄鉄修理士としてボンベイに上京して馬主兼映画プロデューサーのヌール・ムハンマド・アリー・ムハンマド・シルパ経営の会社に就職。そこで映画監督チャンドラシェーカルの仕事に興味を示して、サイレント映画の助監督として映画界に転身。31年のヒンディー語映画「Meri Jaan」「Dilawar」で役者デビュー。32年の出演作「Zarina」ではプロデューサーデビューし、35年のウルドゥー語映画「Judgement of Allah」で監督&脚本&原案デビューする。
最初の結婚で3人の息子をもうけるが、離婚ののち女優サルダール・アクタルと結婚する。
45年に自分名義の映画プロダクション"マハブーブ・プロダクション"を設立。監督デビュー当初は社会派な映画を手がけていたが、52年のインド初のテクニカラー映画「アーン(Aan)」からは娯楽大作を多数制作して行くように。本作のリメイクとなる傑作「Mother India」で、全インド功労賞の注目作品賞と次席作品賞、フィルムフェア作品賞を獲得する。
40〜60年代の多数の映画スターを育て上げ、インド映画協会会長にも就任。61年には、モスクワ国際映画祭の審査員も務めている。
1964年に、ボンベイ(現ムンバイ)にて57歳で物故される。彼の死後、プロダクションを含めた不動産の所有権を巡って妻サルダール・アクタルと彼女の甥との間で争いが起こり、裁判は長期間に渡ってなお続いているそうな。
なにはなくとも、新婚〜初老期の主人公を演じきったサルダール・アクタルのパワフルな演技と、複雑な感情表現が見もの。
幸福感に満たされる新婚時代の可愛らしさ、農作業と家事労働に1日中振り回され疲弊して行く様も周囲に見せられない苦悩の有様、夫に裏切られ義母もいなくなり一人孤独に子供達を守らなければならなくなる母親としての孤立具合、家族全員で幸せでいるよう願いながら息子がそれを壊して行く悲哀…。農村の女性たちに課される数々の「女性として」「母親として」のくびきの有様を描きながら、家族第一主義のインド社会における「家族のために」息子を手にかけねばと決断する母親の絶望をここまでエモーショナルに表現する映画も、そうないのではなかろか。
新婚時代の昼日中の農作業の明るさと、苦悩が増え始める母親としてのラーダーの労働環境が暗い屋内で一人だけ立ち回って行く暗澹さとの、画面的対比も素晴らしきかな。前半〜中盤に集中的に出てくるミュージカルの多彩さも、農村生活や人生の悲喜こもごもの表現となっているようでありつつ「歌でも歌ってないと、こんな事やってられないよ!」って叫びにも見えてしまう。
そういえば、地主が主人公ラーダーを見初める場面でもある、演劇を村人全員で見ているシーンで、映画以前におけるインドの娯楽のありようが見えるのも、今となっては貴重。
小さな舞台上で行われる神話劇にて、かたわらに控える音楽担当が音を奏で朗々と歌って場を盛り上げるそれが、今のインド娯楽映画の直接の祖先となっているであろう事が普通のこととして見えてくる。「なんで映画で歌い踊るのか」なんて野暮な質問なんか、こういう娯楽体験してれば浮かんでこないですわなあ…(*7)。
それ以外にも、ホーリーソングに乗って白黒映画時代のホーリーの狂乱が表現されている所も、インド映画の表現の流れを見る上では要チェック(かもしれない)!
挿入歌 Gagri Sukhi Bail (鍋は乾き、牛は水を乞う [水を与えてください])
*村の干ばつによって息子を1人失い、家族全員が死を待つばかりとなったラーダーの前に「私の嫁になるなら、子供達も含めてお前を助けてやろう」と言い寄ってきた地主スーキーラーラーの欲望に身をまかせる決心をしたラーダー。その屋敷内に飾られる女神の絵に自らの苦境を訴えた瞬間、村に待望の大雨が降り注ぎ、その暴風によって地主屋敷が倒壊して地主がその下敷きになる…。
村人の喜びと地主の零落、ラーダーの苦悩と様々な感情が、村の騒ぎや自然の猛威の中へ飲み込まれていく印象的なシーン。かつ、ここの受動的な主人公ラーダーの様子は、その体験を刻み込んだ映画後半の彼女の生き様への伏線ともなる。
「Aurat」を一言で斬る!
・主人公である女性の結婚前の実家の説明が1つもない、って所に新約聖書における聖母マリアと似たような女性観が入ってる…わけないか。
2019.7.20.
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