もう一人のヒロイン ラジニーを演じるのは、1931年英領インドのパンジャーブ州ラホール(*8)にて、パンジャーブ系キリスト教徒家庭に生まれたカルパナー・カールティク(本名モナ・シンハー)。テーシルダール(*9)の父親のもと、7人兄妹の最年少に生まれる。
印パ分離独立後、家族でシムラーに移住して地元の聖ベデ大学在学中にミス・シムラー・コンテストに優勝。そこから遠縁の親戚になる映画監督チェータン・アーナンドの目に止まり、彼の自社プロ映画への出演オファーを受け、"カルパナー・カールティク"の芸名で本作で映画デビューする。クレジット的にはセカンドヒロイン扱いながら、劇中の活躍は完全にギーターと同格な存在感。
その後も、チェータン監督のナヴケータン・フィルムスで女優業を続けていく事になり、3本目の出演作「Taxi Driver(タクシー・ドライバー)」撮影中に主演同士のデーヴ・アーナンドと結婚。57年の「Nau Do Gyarah(逃げろ!)」をもって女優業から退く事になるが、63年の「Tere Ghar Ke Samne(君の家の前で)」から夫を手伝う形でプロデューサー補として映画界に復帰している。05年には、特別出演で「Mr Prime Minister」に出演しているとか。
本作で監督デビューして、インド映画史にその名を残す事になる鬼才グル・ダット(生誕名ヴァサント・クマール・シヴァシャンカル・パドゥコーン)は、1925年英領インドのマイソール藩王国バンガロール(*10)のコーンカニー系チトラプル・サラスワト家系(*11)生まれ。
幼少期に西ベンガル州カルカッタ(現コルカタ)のバワニプールに移住し、グル・ダットと改名。そのままカルカッタの工場で電話オペレーターの仕事につくも、すぐに仕事に失望して両親のいるボンベイに移り、母と叔父が働くプネーのプラバート映画会社に3年間の契約社員として雇われて44年の「Chand」の端役出演で映画デビュー。その後は助監督や振付師として働きながら、同僚となったデーヴ・アーナンド他と友情を深めていく。
契約終了とともに一時は無職のまま親元での生活を余儀なくされるものの、雑誌での連載小説やフリーの助監督、振付師として活躍し、親友デーヴ・アーナンドが設立したナヴケータン・フィルムスに招かれて本作で監督デビュー。すぐに新風のヒットメーカーとして注目されるようになっていく。
映画制作を通して、多くの映画人を排出。コメディアンのジョニー・ウォーカー、大女優ワヒーダー・レーマン、撮影監督V・K・ムルティ、脚本家アブラール・アルヴィなどが彼の映画から頭角を現していく。53年に歌手ギーター・ゴーシュ・ローイ・チョウドリー(*12)と結婚するも、結婚生活はすぐに破局同然に変わり、59年の監督作「紙の花(Kaagaz Ke Phool)」の成績も奮わず大きな損失を出した事で会社との対立が起こり、監督業を干されてしまう。
その後はプロデューサーや俳優業をこなしながら複数の映画企画を抱えていくが、煙草やアルコール依存、さらに睡眠障害を患い、64年にボンベイのマンションの一室で睡眠薬服用後に死んでいる所を発見される(*13)。享年39才。
2005年のタイム誌上の"オールタイム映画ベスト100"では、監督作「渇き(Pyaasa)」が、それに先立つ2002年のサイト&サウンド誌上の"オールタイム映画ベスト160"ではさらに「紙の花(Kaagaz Ke Phool)」もランクインしていて、インド本国では11年に彼のドキュメンタリーも製作・放送されている。