ヤシュラジ・フィルムズ総帥にして、「DDLJ 勇者は花嫁を奪う(Dilwale Dulhania Le Jayenge)」「Rab Ne Bana Di Jodi(神は夫婦を創らせたもう)」などの傑作映画監督も務めたアーディティヤ・チョープラー4作目の監督作となる、全編フランス(主にパリ)を舞台にしたヒンディー語(*1)+一部フランス語映画。撮影監督を、パリ在住の日本人カメラマン小野山要さんが務めているのも要チェック!
日本では、2017年のIFFJ(インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン)にて上映。
監督を務めるアーディティヤ・チョープラーは、1971年マハラーシュトラ州ムンバイ生まれ。父親は、ヤシュラジ・フィルムズ(略称YRF)創始者で映画監督&プロデューサーでもあるヤーシュ・チョープラー。母親は、歌手兼プロデューサー兼脚本家でもあるパメラ・チョープラー(旧姓シン)。
ムンバイのシデンハム商業&経済大学を卒業し、同級生に後に同じく映画監督になるカラン・ジョーハルやアビシェーク・カプールがいる。18才から父親の監督作「Chandni(チャンドニー)」の助監督兼総指揮を務めて映画界入り。92年の「Parampara(伝統)」でホーニー・イラーニーと共に脚本を担当して脚本家デビューし、その様々な映画界でのキャリアと父の協力のもと独自の脚本を仕上げ弟ウダイや親友カラン・ジョーハルを映画界に誘った上で、23才の時にギネス級大ヒット作「DDLJ 勇者は花嫁を奪う(Dilwale Dulhania Le Jayenge)」で監督デビューし各映画賞を次々獲得。
97年の「Dil To Pagal Hai(心狂おしく)」では脚本とともにプロデューサーデビューして、以降、父と共にYRF幹部として数々の映画を世に送り出し、数々の映画スターを輩出させていった(*2)。12年に父親の引退を継ぐ形でYRFのCEOに就任。ボリウッド最大の映画製作複合会社へと拡大させていっている。
私生活では、01年に一度結婚していたものの09年に離婚。14年に女優ラーニー・ムケルジーと再婚し、イタリアで挙式したことが大々的に報じられてもいた。
とにかく印象的なのは、軽やかな音楽の数々と画面を彩る色彩の鮮やかさ。
フランス人が、あんなに在仏インド人の生活文化に寛容なのかは知らんけど(*4)、フランスの風景の前に配置されるインド的衣食住とパリの都会風俗が、画面を華やかにスタイリッシュに、美しく盛り上げてくれる。パリに行くならここに行かないと的な、観光名所を抑えたロケーションの数々がご愛嬌ながら、それが嫌味にならず映画のお洒落度を高める観光ムービーとなってる所も見もの(*5)。
前半の主役2人の大胆不敵さが、なんかアーディティヤ監督の父親の監督作「命ある限り(Jab Tak Hai Jaan)」に見える”年寄りから見た、無理やりな若者らしさ”に近い感じを受けるような気もしないでもないけども、まあ、後半の別れてもなおお互いに支え合う2人という関係性の揺らぎへの布石と取っておけば、ひねくれたフランス映画への対抗心とも取れなくもなくも…ウーン。