十四夜の月 (Chaudhvin Ka Chand) 1960年 170分
主演 ワヒーダー・レーマン & グル・ダット(製作も兼任)
監督/脚本/原案/台詞 M・サーディク
"君は、十四夜の月か輝く太陽か"
"なんであろうと僕は宣言する。その美しさは、何者にも遥かに勝ると"
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北インドの伝統的イスラム都市、ラクノウ。
多くの人で賑わうその市場で、親友の警察長官の息子ミルザー・マサラーッディク・シャイザーと出かけていたナワーブ・ピヤーレ・ミランは、こそ泥から助けた美女に一目惚れする。後日、妹の誕生日祝いにやって来た女友達の中にその美女を見つけて、さっそく使用人を使ってその正体を探らせるが、使用人はその美女ジャミーラと間違えて豪商の娘がナワーブの狙っている美女であると勘違いし、そのまま見合いをセッティングしてしまう…。
一方、メッカ巡礼を計画しているナワーブの母親は、旅立つ前に息子を結婚させようと決意していた。これを聞いたナワーブは、母親が勝手にセッティングした見合い相手を先に結婚させてしまおうと、親友アスラムに見合いの肩代わりを頼む。
「君は命の恩人だ。今の僕がこうしているのも君がいてくれたからこそ。だから、君のためなら僕はなんでもするよ」
「ありがたい。私も近いうちに結婚するつもりだから、君と私の2組で式をあげようじゃないか!」
こうして円満にアスラムの見合いは進み、結婚式の日に現れた新婦の顔を初めて見たアスラムは、その美しさに感嘆する…その女性こそが、ナワーブが追い求めているジャミーラその人とも知らず…。
挿入歌 Dil Ki Kahani Rang Lai Hai (心の描く物語が芽を出した)
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「紙の花(Kaagaz Ke Phool)」の興行不振から監督業を干されたグル・ダットが、主演&プロデューサーに回った、古式ゆかしい大ヒット三角関係ロマンス・ウルドゥー語(*1)映画。監督は、本作の後1963年に「Taj Mahal(タージマハル)」を送り出すM・サーディクが担当。
テクニカラーがインド映画界に導入されたばかりであった当時、タイトルソング"Chaudvin Ka Chand (君は十四夜の月)"と"Dil Ki Kahani Rang Lai Hai (心の描く物語が芽を出した)"は最初からフルカラー撮影されていたそうだけれど、映画そのものは全部白黒で制作されている。
日本では、2001年の国際交流基金アジアセンターによる「インド映画の奇跡・グル・ダットの全貌」、2017年のイスラーム映画祭2などで上映。
ムガル時代からのイスラム伝統文化を色濃く残すラクノウの人々を背景に、普段はヒジャブの下に隠れている美女の顔を見てしまった事から始まる、2人(+1人)の男と1人の美女の織り成す友情と愛の一大ロマンス劇。
劇中で随所に散りばめられる、その大仰な美の形容表現のオンパレードが、まったく大仰に聞こえないレベルの主役ジャミーラ演じるワヒーダー・レーマンの絶頂期のお美しさと言ったら! そりゃあ、愛の嵐の1つや2つ簡単に起こっちゃいますゼ! 男たちを一気に恋に落とさせる彼女のアップシーンは、チカチカ光るフィルムの傷ですら彼女の美しさを飾る輝きのようでオソロシイ。
その大女優ワヒーダー・レーマンは、1938年マドラス州(*2)チェンガルパトゥのダッキニー・イスラム(*3)家庭生まれ。父親は地方公務員をしていたが、彼女が10代の頃に亡くなったと言う。
元々医者を志望してたと言うが、幼少期よりチェンナイで古典舞踊バラトナティヤムを学んでいて、その縁で55年のテルグ語映画「Rojulu Marayi」にダンサー出演して映画デビュー。同年に「Kaalam Maari Pochu」にてタミル語映画デビューもしている。その活躍を見たグル・ダットに招かれてボンベイに移り、56年の「CID(犯罪捜査課)」にてヒンディー語映画デビューし、57年にはグル・ダットの主演&監督作「渇き(Pyaasa)」にて主演デビューを果たす。公私ともにグル・ダットを師事し、その仲を色々と取りざたされる事になるが、グル・ダットの突然の死の後もヒンディー語映画界で大活躍し続け、62年にはサタジット・レイ監督作「Abhijan(旅路)」でベンガル語映画デビューし、72年の「Thrisandhya」ではマラヤーラム語映画にも出演。74年には、男優カマルジート(本名シャシ・レーキー)と結婚し、2人の息子は作家になっていると言う。
66年のヒンディー語映画「Guide(ガイド)」でフィルムフェア主演女優賞を獲得したのを始め、いくつかの映画賞・功労賞を贈られており、2011年にはパドマ・プージャン(*4)を授与されている。
グル・ダット演じる主役アスラムとともに、ジャミーラを追い続ける友人ナワーブを演じたのは、1921年ラホール生まれの男優レーマン(本名サイード・レーマン・カーン)。
パシュトゥーン族(*5)家庭に生まれ、ジャバルプル(*6)の大学卒業後にインド空軍を志願して訓練を積むも採用されず、プネーの映画スタジオに就職。助監督を務めた後44年の「Chand」で端役出演して俳優デビュー。パシュトー語を操る技能を生かして俳優としてのキャリアを積んでいった。グル・ダットとも俳優活動の当初から親交を深め、彼の監督作・プロデュース作にも多数出演。本作は、彼の代表作の1つでもある。
77年に3度心臓発作を起こした後に体調の悪化を招き、84年にボンベイにて咽喉ガンにより死去。享年63歳。
劇中で育まれる愛情の変化を繊細に描くとともに、さまざまなすれ違いによる誤解から友情の崩壊を予見するアスラムの苦しみは、「お互いに(親族以外の)異性の顔を見ない生活」を前提とした奥ゆかしくメンドくさい、ラクノウの華やかかつ爛熟期の生活文化を存分に描写させていく。
現代ボリウッドでよく使われる、回想シーンの連続による過去の因縁描写などは本作にはまったく存在せず、アスラムとナワーブの友情の成立過程も台詞で匂わせる程度。それでもなお、親友への友情と最愛の妻への愛情に揺れるアスラムを取巻く人間関係が、ラストに向かって濃密に描かれてるように感じられるあたり、脚本の勝利と言う感じか。
白黒画面であっても(*7)、きらびやかな衣食住の美術様式も見所の1つだけども、薄着のそれから透けて見えるランニングシャツの下着は史実通りの衣裳なのかなあ…あそこだけなんか、「うわあ、おっさんくさ!」と冷めて見てしまう感じが…。
挿入歌 Chaudvin Ka Chand (君は十四夜の月か [それとも輝く太陽か])
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受賞歴
1961 Filmfare Awards 男性プレイバックシンガー賞(モハンマド・ラフィ / Chaudvin Ka Chand)・作詞賞(シャケール・バダユニ / Chaudvin Ka Chand)・美術監督賞(ビレン・ナーグ)
「十四夜の月」を一言で斬る!
・"十四夜の月"と言う表現に、色々詩的な情景が重ねられてるんだろうなあ…と思いつつ英訳を見てみたら"Full Moon"って出て来て『おいっっ!!』って感じw
2017.7.22.
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