インド映画夜話

バブーをさがせ! (Choodalani Vundi!) 1998年 149分
主演 チランジーヴィー & サウンダリヤー & アンジャラ・ザヴェーリ
監督/脚本 グナシェカール
"カルカッタに何万人いようとも…かならず見つけ出す。会いたいよ、あの子に"


むんむん様企画のなんどり映画倶楽部vol.18にてご紹介頂きました!
皆様、その節はお世話になりました。なんどりー!

挿入歌 Yamaha Nagiri

*言葉の通じないカルカッタにやって来たテルグ人ラーマクリシュナは、ギター片手にテルグ語でカルカッタの歴史伝統を賛美する歌を歌い、カルカッタの人々との言葉によらない交流を始める…。


 その日、単身西ベンガル州カルカッタ(現コルカタ)にやって来たテルグ人ラーマクリシュナは、言葉の通じない異郷で四苦八苦しながら、ようやく同じテルグ人たちが住む安アパートに辿り着く。
 そこで、大家から「最上階にずっと家賃滞納してるヤツがいるから、そいつを追い出せたらその部屋に住んでもいい」と言われてそこに向かうと、待っていたのは(結婚詐欺と思われる)恋人に財産を取られて置いてけぼりにされながら、なおカルカッタで独り懸命に生きる少女パドマパティだった。

 彼女との部屋をめぐる押し問答中、突然アパートにやって来た暴力団にからまれるラーマクリシュナは、エントランス広場での縦横無尽の活躍の末暴力団たちを撃退!
 この活躍でアパートの住民たちに気に入られたラーマクリシュナは、うやむやのうちにパドマパティの部屋の前を寝床にして暮らし始めるが、彼は夜になると人知れず街に出向き誰かを探し始める…。
 その後、暴力団が新たな手勢を連れてラーマクリシュナを襲撃に来るが、その首領格スルヤは彼を見た途端驚愕して脱兎のごとく逃げ出し、ラーマクリシュナもまたスルヤを追って飛び出して行ってしまう! 果たして、彼がここカルカッタへと来た理由とは…?


挿入歌 Raa Amma Chilakamma



 原題は「会いたいよ!」(らしい)。
 1998年度のテルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)映画界で、年間最高ヒットを叩き出した傑作。後にタミル語版リメイク「Calcutta」、ヒンディー語版リメイク「Calcutta Mail」が公開され、それとは別にヒンディー語吹替版「Meri Zindagi Ek Agnipath」も公開された。
 日本では1999年に東京国際ファンタスティック映画祭にて(一部カットされたバージョンを?)上映。一般公開も予定されてたそうだけど、結局公開されなったよう。

 最初のカルカッタで四苦八苦するラーマクリシュナが、テルグ語で歌を歌いながらカルカッタの名所巡りして現地ゆかりの偉人を列挙するだけで異国情緒たっぷり。同じインドとは言え、ベンガル(公用語はベンガル語)とアーンドラ・プラデーシュ(公用語はテルグ語)だとやっぱり言葉は通じないわ習慣が違うわ、歩んだ歴史伝統も違うわで面白いもんですなあ。そんな導入部で歌われる「Yamaha Nagiri」は、テルグ人から見たカルカッタの、敬意を込めた雄大な情景を歌い上げる名シーン。ここだけでも要チェック!
 テルグ人たちの住むアパートを舞台にしたアクションシーンなんか、香港映画にも通じるようなドタバタ劇になってて、バナナの皮で転ぶだの植木鉢が落ちて来て気絶するだのベタな笑いはインドでもやってたのね! と変な所で感心する。

 主役ラーマクリシュナ演じるチランジーヴィーは、インド映画各言語圏のスーパースターを飛び越えた"メガスター"と呼ばれる存在(*1)。
 アーンドラ・プラデーシュ州東ゴーダヴァリ県の警察官の家に生まれて、軍隊や商業大学(大学の商業科?)に通った後、チェンナイのマドラス映画研究所で演技を学び、1978年「Pranam Khareedu(命の価値)」で映画デビュー。翌1979年には、デビュー作よりも前から撮影されていた「Punadhirallu」を始め出演作8作が公開。1982年のコーディー・ラーマクリシュナ監督デビュー作「Intlo Ramayya Veedilo Krishnayya」で主演デビューしてから瞬く間に人気を勝ち取っていき、そのダンス・パフォーマンスの高さを武器に140以上もの映画に出演している。1987年には米国アカデミー賞に招待され、一方で同年公開作「Swayam Krushi」がモスクワ国際映画祭で招待上映されたと言う。1992年の「Gharana Mogudu」で初めて「国内最高額出演料の映画スター」と紹介され、1999〜2000年には国内最高額所得納税者として金融大臣からサムラン賞を贈られたとか。そのキャリアで数々の映画賞も獲得する中、映画界に対するその貢献を讃えられて2006年にパドマ・ブーシャン賞(一般国民の受賞できる3番目に権威ある賞)を受賞。アーンドラ大学から名誉博士号も贈られた。
 1998年にチランジーヴィー慈善財団を設立。2008年には政界入りして翌年に州議会員に当選。以降、政界を拠点に活動している(*2)。

 ヒロインのパドマパティを演じたのは、カルナータカ州コーラール県ムルバーガルに生まれた映画女優サウンダリヤー。テルグ語映画界を拠点に100作以上の映画に出演した伝説的女優で、20世紀最高の女優と讃える人も多いとか。
 映画プロデューサー兼脚本家のK・S・サッチャナラーヤンを父に持ち、ベンガルールで育った後、1992年に父の知り合いの手掛けたカンナダ語映画「Gandharva(ガンダルヴァ)」に出演して映画デビュー。翌93年に「Ponnumani」でタミル語映画デビュー、「Amma Naa Kodala」でテルグ語映画デビューも果たしている。95年のテルグ語映画「Ammoru」で数々の女優賞を獲得して映画も大ヒットしてから、活動拠点をテルグ映画界に定めて多数の映画に出演。テルグの他には、カンナダ、タミル、ヒンディー、マラヤーラム映画でも活躍し、アミターブ・バッチャンやラジニカーントなど数々のトップスターと肩を並べていた。2003年には、日本でも上映されたカンナダ語映画「島(Dweepa)」で主演の他プロデューサーデビューも果たし、各映画賞を受賞する。
 そんな中の2004年4月17日。選挙に伴う政治集会参加のためにカルナータカ州からアーンドラ・プラデーシュ州に移動しようとした直後、乗っていたセスナが炎上墜落事故を起こし弟ともども死去してしまい、業界がその衝撃に揺れる事となる。享年31歳。遺作となった大ヒットカンナダ語映画「Apthamitra」は、彼女の死後にその功績を讃えられてカルナータカ州賞が贈られたと言う。

 伝統と自然豊かなカルカッタ、貧乏ながらも家族同然ににぎやかなテルグ人たちの暮らす理想的コミュニティでの暮らし、アーンドラ山間部の牧歌的な生活(*3)、カルカッタのジャンマシュタミ祭(クリシュナ生誕祭)とドゥルガー・プージャーの雑然とした秋祭りの喧噪などなど、映画内の情景が素晴らしく美しい。
 特に、家族が集結して祝うお祭り期間に、家族を求めて彷徨うテルグ人たちの団結力、もの悲しさも漂うシークエンスが好き。
 後半の、敵対する権力者の豪邸が、潔癖性なまでにピッカピカなのと対比される土臭さが、逆に主人公側の魅力を引き立たせてるのがニクいよこのぅ。
 チラン兄貴の持つ、強烈な父性オーラ(*4)がこれほどまでに全面に出て来てるのもカッケエわけですが、対するプラカーシュ・ラージ演じるラスボスの狂気の父性と対比させられる事でより「カッコエエエエエエエエエエーーーーー!!!!!」になるわけですよ。子役の本気泣きもスゴかったね。どうやって演技指導してたのか現場を見てみたい(*5)。


ファーストアクションシーン







「Choodalani Vundi!」を一言で斬る!
・ものすごい啖呵きって駅を猪突猛進してたラーマクリシュナの母親が、一番カッコEEEEー!!!!

2014.8.8.

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*1 本名シヴァ・サンカラ・ヴァーラー・プラサード・コニダーラー。
*2 2014年現在。映画復帰の噂も出てはいるけども。
*3 君らはターザンかなにかか!?
*4 有言実行、弱きを助け強気をくじくパワー、どんな事があっても諦めないポジティブシンキングなどなど。
*5 あの子役は今、なにしてんのぉぉぉー!!