インド映画夜話

Chomana Dudi  1975年 132分(141分とも)
主演 (M・V・)ヴァスンデーヴァ・ラーオ & パドマ・クムタ
監督/音楽 B・V・カーラント
"ご主人様は、いつになっても儂の望みを叶えてくださらない…そういう定めなのさ"


劇中のブータ・コーラー儀式


 その夜、家族全員で雨乞いの儀式をしていたチョーマに、地主の使いから明日の召集の声がかかった。
「…もしも地主が、他の連中と同じように儂に農地を与えてくれたなら、儂の望みも満たされようものを…」

 アウトカースト生まれとして、ボーガナハリーの地主サンカッパイアーに仕える農奴として働く老いたチョーマは、望む自分の農地も手に入れることができないまま、少ない稼ぎは酒に消え、借金返済のために5人の子供達のうち上2人の息子チェニヤとグルヴァを遠い農園へ送り出すしかなくなる。何度も地主に「自分用の農地が欲しい」と願いながら無下に断られて荒れるチョーマを慰める酒屋の主人ジャーグーは、彼に酒を勧めながら自分が所属するキリスト教の教会を頼ってはどうかと勧めてくる。
 ジャーグーによって神父との相談の席を設けられたチョーマだったが、神父は協力を約束したものの「教会関係者ならもっと助力できる。地主の権威も長くは続かないから、これから貴方も教会に所属してはどうか」と言われた事で、すぐにその場を立ち去ってしまった…。



 脚本担当のK(コータ)・シヴァラーマ・カーラント原作の同名小説を元にした文芸カンナダ語(*1)映画。

 カンナダ語映画史上初めてナショナル・フィルムアワード作品賞を受賞した映画であり(ホンマ?)、映画史上初めてパンジュルリ(*2)に言及した映画としても知られる。

 農村部を舞台に、家の伝統を頑なに守るが故に農奴としての人生を強いられる主人公チョーマの願いが、5人の子供たちそれぞれへの重圧として、枷としてのしかかり、子供達それぞれの家の伝統との向き合い方で、人の人生の行く先も変幻自在に変わって行く時代の移り変わりの様子を、諦観とニヒリズムで描いて行くような1本。

 木組みと藁で作られたチョーマの家の簡素さが、地主の家の広大さとの対比的な空間の狭さ・窮屈さを表現している感じでもあったけど、村の小作人や地主たちはチョーマと同じような背景文化を共有するトゥル族なのか。あるいはチョーマたち農奴たちが農村部の人々に同化していった元異民族か部外者集団の末裔ということなのか(*3)。
 どちらにしろ、チョーマが大事にしている太鼓で奏でられる民族舞踊的儀式で唱えられる猪神への祈祷や、猪頭をかたどった変装具は1部の農奴たち(?)でのみ共有される伝統文化という形をとっていて、地主や借金取りたちからは異文化を見るような目で見られていた所に、チョーマ家族とそれ以外の村人との壁を見るよう(*4)。
 その見えない壁によって、生活保障もないままに地主の私有地開墾の辛い仕事に駆り出され、生活費の工面のための借金によって子供達をそれぞれによそへ出稼ぎに行かせないといけなくなるチョーマの苦しみは、しかしチョーマ自身が自分の伝統文化に固執しその太鼓を手放さずに伝統を受け継ごうとするが故に、子供達世代を巻き込んだ労苦の輪廻から脱することができない現状との表裏一体でもある。
 その状況を「父親に楽をしてもらうため」と疑うことなく受け入れる子供達(*5)は、出稼ぎという外の文化に触れることで、あるいは異教徒と恋に落ち、あるいは病気をもらって苦しみ、あるいは手篭めにされながらもそれを受け入れ父の伝統を否定する生き方を選んで行く。伝統文化そのものを尊重しながらも、そこにしがみつかねば存在意義を見失ってしまうチョーマの悲しさを太鼓の激しいリズムに仮託しながら、結局はその伝統が人を苦しめ世の中から救いの手を払いのけてしまう状況になっている事を物語は糾弾するかのよう。
 古代人さながらの衣食住で暮らすチョーマの家が、使用人も多数いる地主の暮らす大屋敷の近くにあるギャップも凄いし、顔を合わせれば悪態ばかりの厳しい生活を強いられた人たちの中にあって、同じ出稼ぎ民同士が見せる優しさ、同情の姿勢が、チョーマの村のなかでほぼ見られないギャップも印象的。

 監督を務めたB・V・カーラント(生誕名バーブコディ・ヴェンカタラーマナ・カーラント)は、1929年マイソール藩王国のバントワル郡バブコディ近郊のマンチ村(*6)生まれ。
 幼少期から舞台演劇に魅せられて演劇活動に参加し、家出してグッディ・ヴェーランナ劇団に入団。劇団長命令による芸術学士取得のために、ベナレス(*7)にてグル・オームカルナート・タークルに師事してヒンドゥースターニー音楽(*8)を習得する。後に、妻プレマ・カーラントと共に劇団ベンガルール・ナーガラ・カラヴィダル(*9)を設立する。演劇活動の中で、教職に就いた妻の協力を受けてニューデリーのNSD(国立演劇学校)を優秀賞を得て卒業した後にサルダール・パテール・ヴィディヤーラヤ演技研究所の講師に就任する。
 バンガロール(現カルナータカ州都ベンガルール)に戻ると、ギリッシュ・カルナドやU・R・アナンタムルティ等映画業界人と共にカンナダ語映画製作に従事。71年にカンナダ語映画「Vamsha Vriksha(家系樹)」で映画監督(*10)&脚本&映画男優デビューして、ナショナル・フィルムアワード監督賞他多数の映画賞を獲得。73年のギリッシュ・カルナド監督作「Kaadu」で音楽コンポーザーデビューして、以降監督兼男優兼音楽コンポーザーとして映画界でも活躍。多くの映画賞を獲得する中で、76年にマディヤ・プラデーシュ州顕彰カリダス・サンマン、カルナータカ州顕彰グッビ・ヴェーランナ、国内最高の舞台芸術功労賞サンギート・ナタク・アカデミー・アワード舞台監督部門賞を贈られている。
 1977年に、またニューデリーに戻ってNSD校長に就任(77〜82年まで)。インドの遠隔地における演劇活動の促進や伝統文化保護などの活動に従事。言語を越えた演劇活動とその翻訳活動、新潮流の戯曲や音楽の開発・再生に携わり、後世に大きな影響を与えている。
 90年代後半に前立腺癌と診断された後、2002年バンガロールにて病死される。享年72歳。2012年には、彼の自叙伝「lliralaare, Allige Hogalaare(留まってはいられない、其処には行けない)」を基にしたドキュメンタリー映画「BV Karanth:Baba」が公開されている。

 主人公チョーマを演じたヴァスンデーヴァ・ラーオ(生誕名ムダビドリ・ヴェンカタ・ラーオ・ヴァスンデーヴァ・ラーオ)は、1920年頃生まれ。
 はっきりしないものの、1928年頃から子役として映画出演していたそうで、本作でナショナル・フィルムアワード主演男優賞を獲得して一躍映画スターとなる。その後も芸術系を中心に各言語圏の映画に出演。95年のタミル語(*11)映画「ボンベイ(Bombay)」や、02年のカンナダ語映画「島(Dweepa )」でもその演技を見ることができる。
 2002年、バンガロールにて物故。享年81または82歳。

 チョーマの娘ベッリを演じたのは、本作が映画デビュー(?)となる女優パドマ・クムタ(別名パドマ・クマタ)。
 本作でカルナータカ州映画賞の助演女優賞を獲得。以降もカンナダ語映画・TV界で活躍している。

 毎日酒に逃げ、自分への待遇に悪態をつきながらも地主に逆らうこともできず、祖先から受け継いだ太鼓による猪神への祈祷歌だけを慰みに、存在意義に、日々の戯れに、ストレスの発散にするチョーマの人生が、そのために病死や事故死した息子たち、異教徒との結婚を選択して家(の伝統)を捨てた息子、借金取りの強引なアプローチを受け入れて生活の安定を欲する娘とその娘に懐く末子と言う子供達世代との価値観の乖離、断絶を日々強くしていってしまう姿を、悲しいと見るか因果応報と見るか虚しいと見るか…。全てに捨てられたと絶望するチョーマが子供達をも家から追い出して扉を閉めきった上ですがるように叩く太鼓のリズムが、雷鳴のように轟けば轟くほど、チョーマにとっての人生とはなんだったのかと言う彼の現世への苦悩がより強調されていってしまうよう。伝統とは、家族とは、人の暮らしとはどこに救いを求めればいいものなのか。猪神の変装具は、ただただ虚空を見つめるだけでしかなく、それぞれの人々の価値観はすれ違うだけなのか。

 それはそうと、舞台となる村や出稼ぎに集まってきた人が頭にかぶっていたイスラーム帽子みたいなのは、頭に荷物を担ぐ農村の習俗? インド中から集まってきた出稼ぎ民もつけていたってことは、別にトゥル・ナードゥだけでなく広がってるものってことでいいんだよね? 一方で、給料としてお米を渡されて、それが貨幣がわりになってるのが「おお! 稲作文化圏だね!!」と注目してしまう所でもありますが(*12)。




受賞歴
1975 Karnataka State Awards 作品賞・主演男優賞(M・V・ヴァスンデーヴァ・ラーオ)・助演女優賞(パドマ・クムタ)・原案賞(K・シヴァラーム・カーラント)・脚本賞((K・シヴァラーム・カーラント)・録音賞(クリシュナムルティ)
1976 Natinal Film Awards 金蓮注目作品賞・主演男優賞(M・V・ヴァスンデーヴァ・ラーオ)・原案賞(K・シヴァラーム・カーラント)
1976 Filmfare Awards South カンナダ語映画作品賞・カンナダ語映画監督賞


「CD」を一言で斬る!
・日々の辛い責め苦からの逃避として、余暇の楽しみとしての踊りと歌。その慰みが慰みにすらならなくなった時、人が歌と踊りに狂気を見つけるそれは、結局その人自身の苦しさ・全てを否定しようとする狂気そのものに見えるから、なの、か…。

2024.7.18.

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*1 南インド カルナータカ州の公用語。
*2 カルナータカ州南西部〜ケーララ州北部に広がるトゥル族が崇拝する猪の神霊。シヴァ夫婦に育てられたと伝えられる作物の守護神で、ブータ・コーラーと呼ばれるシャーマニズム儀式の民族舞踊で唱えられる守護神の1柱。人によっては、ヴィシュヌの化身である猪神ヴァラーハと同一視される事もあるとか。
*3 母系社会的と言うトゥル族の伝統を反映してか、地主の家もチョーマの家も女性の発言権が共通して強かったけど。
*4 チョーマに同情的だったキリスト教徒の飲み屋の親父ジャーグーは、ひょっとしたら元チョーマと同族の人だったかもしれないけど。
*5 娘ベッリだけは文句たらたらで抗議しつつ、しっかり家事労働をこなしていたけども。
*6 現カルナータカ州ダクシナ・カンナダ県バントワル郡内。
*7 現ウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナシー県都ヴァーラーナシー。
*8 イスラーム王朝宮廷内で発達した北インドの古典音楽。
*9 略称ベナカ。ベンガルール最初期世代の劇団として有名。
*10 ギリッシュ・カルナドとの共同監督。
*11 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*12 でもこれ、公開当時の現代が舞台なんだよなあ…と思うと…ねえ…。