Chittagong 2012年 105分
主演 マノージ・バージュパーイー & デルザード・ヒワーレー
監督/製作/脚本/原案 ベーダブラタ・ぺイン
"どこにでもいる若者たちの、偉大なる勝利"
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1939年、独立運動の気運高まるイギリス領インドのチッタゴン(*1)。
警察に追われるジュンクーは、入り組んだ村の家々を抜けて、ある家の地下に逃げ込んで行く。そこには、幼馴染のアパルナが傷を負いながら匿われてもいた。苦しむ彼女を無言のまま励ますしかできないジュンクーは、そのまま忘れられない記憶を想起する……
10年前の1929年9月。
ジュンクー・ローイとアパルナは共にチッタゴンで暮らす幼馴染同士だったが、英国流の教育を彼に施そうとする弁護士の父親に従わざるを得ないジュンクーは、アパルナ始め学校教師スーリヤ・セーンの元に集まる反英デモ参加者に加わるのをためらっていた。
街は、DIG(*2)チャールズ・ジョンソンの指揮の元に親英派のホワイトカード所持者、反英のレッドカードを持つ独立運動家に分けられて統治され、反英主義者と見なされれば拷問にかけられてしまう状態が続いている。それでも英国植民地体制を覆そうと、スーリヤ・セーンの元に集まる独立運動家は、様々な手段で英国に対して抵抗の姿勢を見せていた。
ある祭りの夜。スーリヤの生徒たちが集まるその場に乗り込んできたジョンソン警察長は、先日のバイク事故を恨んで生徒の1人スケンドゥを皆の前で銃殺する。あまりの事にショックを受ける人々は、翌日には「英国留学のために、ジュンクーが判事にスケンドゥの名前を教えたからこうなったんだ」と噂し始めていて…。
主な登場人物 ()内は役者名
アパルナ (チャイティ・ゴーシュ / 少女期ソウラセーニー・ミトラー) 主人公の幼馴染。通称オプー。
ジュンクー・ローイ (ヴィジャイ・ヴァルマー / 少年期デルザード・ヒワーレー) 本作主人公。実在の独立闘士で、後の社会活動家スボーディ・ローイ。1915生〜2006没。当初は父親の手前独立運動に身を投じられない気弱な少年だったが、チッタゴン蜂起に加わった3人の最年少組の少年の1人となり、アンダマン諸島のセルラー刑務所に投獄された最年少の人物となる。インド独立後、インド共産党マルクス主義派に所属して共産運動に従事。
チャールズ・ジョンソン (アレックス・オニール) チッタゴンDIG(Deputy Inspector General of Police=特別警視長官)。
ウィルキンソン判事 (バリー・ジョン) チッタゴン法曹界の最高位にいる、ジュンクーの父親の上司。ジュンクーのオックスフォード留学の手続きを担当しつつ、ジュンクーから独立闘士たちの情報を引き出そうと尋問し始める。
エマ・ウィルキンソン (ヘレン・ジョーンズ) ウィルキンソン判事の妻。ジュンクーにピアノを教えている。
ニレーシュ・ローイ (パルトーシュ・サンド) 弁護士。ジュンクーの父親。
インラーニー・ローイ (サプナ・サンド) ジュンクーの母親。
スーリヤ・セーン (マノージ・バージュパーイー) ジュンクーたちの通う学校の教師。通称マスターダ(先生)。チッタゴン蜂起を計画した実在の独立運動指導者。1894生〜1934絞首刑により死去。
スケンドゥ (シャヘーブ・ボッタチャルヤー) スーリヤの生徒。ジョンソン警視長官のスリップ事故を誘発させ、公衆の面前でジョンソンに銃殺される。
ガネーシュ・ゴーシュ (ヴィシャール・ヴィジェイ) 実在の独立運動家。1900生〜1992没(または1994没)。チッタゴン蜂起に加わってアンダマン諸島のセルラー刑務所服役後、インド共産党マルクス主義派に入党して複数回下院議員に選出される。
アナント・シン (ジャイディープ・アウラワト) 実在の独立運動家。1901生(または1903生)〜1979病死。アンダマン諸島のセルラー刑務所服役後、映画制作と自動車販売業に従事する傍らで共産革命ゲリラとなり、各地で銀行強盗を繰り返し再度収監される。
アンビカー・チャクラバルティ (ディビイェンドゥー・バッタチャルヤー) 実在の独立運動家。1892生〜1962交通事故死。ジャララバード戦で重傷を負って戦線を離れた後に逮捕され、アンダマン諸島のセルラー刑務所に収監される。インド独立後、インド共産党に所属してベンガル州議会議員に2回選出される。
ロクナート・バール (ラージクマール・ラーオ) 実在の独立運動家。1907生(または1908生)〜1964没。アンダマン諸島のセルラー刑務所収監後、インド国民会議に属してカルカッタ市政に従事。後にカルカッタ副市長になる。
ニルマール・セーン (ナセールッディーン・シャー) 通称ニルマーダ。実在の独立運動家。1900生〜1932ダルガットの戦いにて戦死。
プリティラータ・ワッデダール (ヴェーガー・タモティア) 通称プリティ。実在の独立運動家。1911生〜1932自殺。スーリヤに賛同するナンダンカナン学校教員。ダルガットの戦いから武装蜂起に本格的に参加。1932年のヨーロピアン・クラブ襲撃を指揮して「20世紀における、ベンガル初の女性殉教者」と称される。警察に追われる中で負傷し、服毒自殺する。
ラジャット・セーン (タナージ・ダースグプタ) 実在の独立運動家。1913生〜1930戦死。スーリヤ・セーンに呼応して独立闘争に身を投じ、ジャララバードの戦いにて仲間たちと共に戦死する。
ジーテン チッタゴン蜂起の参加者。
スルジョ チッタゴン蜂起の参加者。
マーカン チッタゴン蜂起の参加者。
アーサヌーッラ チッタゴン蜂起参加者を捜索する警部。
カルパナ・ダッタ (デヴィーナ・セス) 実在の独立運動家。プリティラータの友人。1913生〜1995没。チッタゴン蜂起準備期間中に逮捕され、保釈後に身を隠しながら仲間たちの救出を画策するも失敗。33年に再度逮捕され収監、保釈後に大学を経て共産党に入党し、ベンガル飢饉、ベンガル分割時には救援隊員として活動。以降、インド統計研究所に勤務する。
プロモ映像 Bolo Na (さあ、言ってみて)
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*劇中なんども繰り返し歌われる挿入歌。
恋する人に名前を呼ばれたい、と歌うそれが、歌われる状況によって大きく意味合いを変えてくる。劇中の人々が願う「恋する人」とは誰なのか、あるいは究極的には何なのか…?
イギリス領インド帝国時代の1930年4月18日に起きた、チッタゴン武器庫襲撃を発端とする武装蜂起に関わった人々の生き様を描く戦争史劇のヒンディー語(*3)+ベンガル語(*4)+英語映画。
同じくチッタゴン蜂起を描く映画として、本作に先立つ2010年に、ヒンディー語映画「Khelein Hum Jee Jaan Se(情熱と共に)」も公開されている(*5)。
冒頭、インド各地で拡大する独立闘争の嵐を地図と写真で示しながら、徐々にチッタゴンにカメラが寄っていって「CHITTAGONG」の文字がそのまま赤く浮かび上がってタイトルになっていくシークエンスもなかなかに意味深(*6)。
それを導入に描かれる映画本編は、チッタゴン蜂起に参加した実在の独立闘士ジュンクーの10年前の記憶として、その始まりから丁寧に闘争の様子、その後の混乱と独立闘争の広がり、殺された者、生き残った者それぞれの生き様を逐一描いていく。
クレジットで最初に出てくるマノージ・バージュパーイーは、チッタゴン蜂起を指導した独立闘士たちの中心人物スーリヤ・セーン(*7)を演じているとはいえ、映画では重要な登場人物ながら主役ではなく、主役はそのスーリヤ・セーンの生徒でイギリス人との交流もあった実在の少年ジュンクーがつとめていて、独立運動を多少客観視した目線で描いていく。
エンディングでは、チッタゴン蜂起に関わった実在の独立闘士たちの生没年からその後の略歴までクレジットされ、この事件が史実であること、インド独立で流れた血の1つの支流であることを強調している(*8)。
物語は、1930年4月の武器庫襲撃の詳細だけでは終わらず、その後の勝ち目のないゲリラ戦、1932年のパハルタリ・ヨーロピアン・クラブ襲撃も映像化し、蜂起に参加して投獄されたベンガル人独立闘士たちの収監生活、インド独立後の新たな闘争の様子までも視野に入れて語られていく歴史絵巻。チッタゴンにてくすぶるベンガル人たちそれぞれの立場からの反映独立闘争の嵐が、如何に醸成され、爆発し、継承されていったのか。現代においてそれがどのように語られているのかどうかへの疑問をも込みで語っているよう。
本作監督を務めたベーダブラタ・ぺインは、1963年西ベンガル州都カルカッタ(現コルカタ)生まれ。
電気工学を優秀な成績で修め、米国のコロンビア大学に留学して応用物理学の修士号と博士号を取得。カリフォルニア工科大学のNASAジェット推進研究所に参加した後NASAに勤務する。世界最小のカメラに使われるAPS(*9)技術開発チームの1人で、米国宇宙技術殿堂入り。多くの技術論文を執筆し、数々の工学賞を獲得、87件の発明特許を有している。
脚本家ショナリ・ボース(*10)と結婚して(後に離婚)、ボースの監督&脚本デビュー作でもある05年のヒンディー語映画「Amu(アムー)」で夫婦揃ってプロデューサーデビュー。08年にNASAを退任し、ドキュメンタリーの主任研究などを経て、本作で監督&脚本デビューし、ナショナル・フィルムアワード新人監督賞他を獲得。ロサンゼルスに製作拠点を設けて、新たにアメリカ中西部を舞台にした英語映画「De´ja` vu(デジャ・ヴー)」を製作中とのこと。
敵役となるイギリス人側は、目立った活躍をするのは警察の特別高官チャールズ・ジョンソンとウィルキンソン判事の2人だけだけど、どちらも嫌味で友達になれない悪役として登場しているとは言え、そもそも「ヨーロピアン・クラブ」を作ってインド人ともインド社会とも交わらずに「ヨーロッパ的」である事に執着するイギリスの統治体制の実態というものが見えてくるのが、当時のイギリス支配の理不尽さ、シーク教徒らしきインド人警官に一般インド人を取り締まらせる警察組織のねじれ具合、階級制を基盤にするイギリス社会がインドのそれをたやすくコントロールする実態を見せつけていくようでもある。
その中で、英国流で成り上がった父親を持つ主人公ジュンクーが、親の手前イギリス側の価値観を理解しようと務め、その意を汲むために抵抗の姿勢を見せることに躊躇し逡巡する姿に、インド側から見たイギリスへの「評価するものは評価しますが、譲れないものは絶対に譲れません」という固い決意が表現されているようで、映画的に美しい。
しかし、当然歴史的事実としてこの武装蜂起が多くの悲劇を生んだことも変えられない事実。
世が世なら幸せに一生を暮らしたであろう市井の人々が、インド独立を見ることなくその無念の中に死んでいった悲しさを、一言「美しい」といって終わらすこともできない現実のインパクトでもある。武装蜂起当日に、子供を送り出すことになった家の母親の思い、その子供達の覚悟のほどは如何許りだったか。若い世代に「インドの自由独立」こそが重要であると語り伝える大人たちの抱える現状への絶望と未来への儚い希望はどれほどであったことか。その植民地体制におけるインド人の怒りと諦観が、それぞれの立場の人々の中でどう渦巻いていたのかを見せてくれる。
武装蜂起へと突き進むインド人たちの気概が、たとえその目的の半ばで潰えようとも、武装蜂起を継承するように続く新たな独立運動そのものとしてインド人たちの中に根付き、芽を出し、いかなる妨害にも屈せず次々とインドに住むそれぞれの人々の中で成長していっている歴史の流れを見せつけるよう。エンディングにて、この武装蜂起の参加者それぞれの名前がクレジットされていくそれが、参加者たちの実在性を高める墓標ともなり勲章のようでもあり…。
ここに現れる愛国精神なるものは、いまの日本で描こうと思ってもなかなか表現できないしイメージすらできないものかもなあ…と思うと、愛国映画の是非云々の前に、そこに存在する歴史事実の激しさ、その表れようの複雑さ、それでいてその事実が過去の中へと忘れ去られようとしている虚しさをも感じ取れる歴史背景を背負った作りになっていて、人の紡ぐ歴史の複雑さをも考えてしまいたくなるんですわ。
最後の最後、武装蜂起を過去のものと割り切っていたイギリス人に対して主人公が示した抵抗の姿勢に呼応するように、ベンガルの広大な農地から文字通り湧き上がるように飛び出してく無数のベンガル人たちが歓喜する「インドという大地に息づくもの」の雄大さ、その生命力、その力強さは、やはりインドでなければ描き得ない画面であり、インド映画でしか見ることのできない映像でありましょうか。
プロモ映像 Ishan ([新たな展望は開かれた。その鬨の声は我らに] 力を授ける)
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受賞歴
2013 Natinal Film Awards 監督デビュー賞・男性プレイバックシンガー賞(シャンカル・マハデーヴァン / Bolo Na)・作詞賞(プラソーン・ジョーシー / Bolo Na)
2015 Caleidoscope Indian Film Festival 批評家選出作品賞
Mirchi Music Awards 歌曲賞・オブ・ザ・イヤー(Bolo Na)
「Chittagong」を一言で斬る!
・ベンガルの空に沸き立つ雲と緑なす大地の厚みには、多くの感情と希望が満たされているもんなのね…!!
2023.1.20.
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