裁き (Court) 2014年 116分
主演 ヴィーラー・サーティダル & ヴィヴェーク・ゴーンバル(製作も兼任) & ギータンジャリ・クルカルニー他
監督/脚本 チャイタニヤ・タームハネー
"今日の公判は開けません。また後日"
"…なぜですか?"
"規則違反です"
ある日のムンバイの街中。
政府への抗議集会の場で、抗議民謡を披露していた歌手ナーラーヤン・カンブレが突如舞台上で逮捕される。
カンブレにかけられた容疑は「下水清掃人ヴァスデーヴ・パーワルを自殺に追い込む歌を歌った、自殺幇助の罪」。
彼の歌を聞いた下水清掃人が、その数日後に自殺しているのが見つかったと言うのだ。この不条理な嫌疑に抵抗する若き弁護士ヴィナイ・ヴォーラー、いつも通りにすぐにでもカンブレの罪を確定しようと主張する検察、二転三転する裁判を慎重に進める判事…。
迷走する証言、性急すぎる捜査、姿を消す証人…長引く裁判の中で、それぞれに異なる背景と暮らしを持つ裁判関係者たちの、それぞれに忙しい日常が、厳しく怠惰な裁判時の姿とは裏腹に紡がれて続けていく…。
Making : Inspiration (英語+ヒンディー語 / 英語字幕)
映画公開当時、若干27才だった有望新人監督チャイタニヤ・タームハネーの、長編映画第1作となる、ヒンディー語(*1)+マラーティー語(*2)+英語+グジャラート語(*3)の社会派芸術系映画。
この映画は、2016年度米国アカデミー外国映画賞ノミネート作のインド代表映画に選定されている(*4)。
日本では、2015年のアジアフォーカス福岡国際映画祭にて「裁き」のタイトルで上映され、2017年に一般公開。2022年のユーロスペースの死刑映画週間でも上映。
ムンバイの日常を舞台に、そこで不条理な罪状で起訴された民謡歌手の老人を中心に迷走する裁判を描く本作は、予想されるような凡百な裁判映画の流れを無視し、その裁判に関わる人々の裏の顔…仕事を離れて市井の人となった関係者の送る日常生活と、そこから見えて来るそれぞれに裁判所に集まっていくさまざまな文化背景を背負った人々の異なる価値観・家族模様・暮らしぶりの差異を際立たせる。
その映画としての構成は、いわゆる劇映画とはまったく違う方法論にもとづいて構築され、さながらドキュドラマ(*5)を見るよう。
映画は、冒頭のカンブレの生活の一端を描きながら始まり、彼の不条理な裁判の開始とともに、そこに関わる弁護士、検察、判事の3人の暮らしに注目して編まれていく。
それは、裁判と言う人の人生の決定権を握る厳しく劇的な世界に関わる人々の、ただなにげない日常であり、仕事上では見せることのないリラックスした素の顔であり、普段は互いに接点を持ちえないほどに違う言語・宗教・民族・職業などによって別れる生活様式であり、それらに規定され自重自縛になっていく人の生きる姿である。
世界初の"法治社会"を実現したと誇るインド社会でありながら、そのややこしい規定規則手続きによる怠惰なルーチンワークと化している裁判現場のありさまを見せつけるとともに、そうした裁判を日常とした人々の生活感覚、1つ1つの裁判の緊張感と裏腹な業界人の"慣れ"と"無感動さ"を、ユーモラスに描いていく皮肉が映像的に静かながら効果絶大に効いてくる。
本作が長編映画デビューとなる、監督&脚本を務めるチャイタニヤ・タームハネーは、1987年マハラーシュトラ州ムンバイ生まれ。
11年に、監督&製作&脚本を担当した短編映画「Six Strands」を発表して世界各国の映画祭で注目された人で、米国の雑誌「ハリウッド・レポーター」では「世界で最も将来が期待されている30歳以下の映画監督の一人」と紹介されている。
撮影厳禁の裁判所を映画の中に再現するために、実際の公判をなんども取材し、その興味深いエピソードの数々や裁判所の配置等を劇中に反映させていったそうな。
役者も、主要人物以外は演技経験のない素人を集めてオーディションし、1シーンに平均30テイクを費やし、1日1シーンのみの撮影と言う条件で出演を取り付けていたと言うからオソロシイ。
裁判所以外の日常エピソードの主役になる3人の仕事とプライベートの落差が、その順番ごとに大きくなっていくのも効果的であるとともにものスゴく意図的。最後の判事の日常編なんか「え。そう言う人だったのか」と言いたくなるほど、やりすぎなくらい非対称な印象を与えてくる。
それ以外にも、判事入廷前の裁判所の人々のリラックスした姿勢、夏期休暇を前にした沸き立つ雑談、検察同士の「毎日同じで飽きるよねえ」とグチりあう姿なんかでも、その人々の日常の顔を覗かせているようで、裁判所を職場として生活して集まってくる雑多な人々と言う映画のテーマに厚みを加えてくる。
また、劇中何回か出てくるインドの抗議民謡も注目所。
以前から、政治集会で革命やら改革のスローガンを歌にしてアピールし、合唱によって支持者を増やしていく様子はインド映画の中でそれなりに登場するシークエンスとして見ていたけども、政治批判や抵抗のために直接的に歌でその姿勢を現す歌唱スタイルが独立して存在していたなんてのも、今回初めて知りましたヨ。
歌と言う、誰もが参加出来る一切の垣根のない芸能スタイル故に、雄弁な歌を作り歌うことが出来る人に特別な人気が集まる西〜南アジアで形成される歌文化のなんと豊かなことか。和歌や俳句の伝統を持つ日本と言っても、これほどまでに歌が生活に密着はしていないのが、もったいないなあとか思ってしまいますデスよ。
Making : Music (英語+ヒンディー語+マラーティー語 / 英語字幕)
受賞歴
2014 伊 ヴェネツィア国際映画祭 ルイジ・デ・ラウレンティス(新人監督)賞・オリゾンティ部門作品賞
2014 ビエンナーレ国際映画祭 FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞
2014 シンガポール国際映画祭 シルバースクリーン賞・作品賞・監督賞
2014 Mumbai Film Festival 金印度門作品賞・銀印度門監督賞
2014 ウクライナ キエフ国際映画祭 批評家選出注目作品賞
2014 ベラルーシ ミンスク国際映画祭 若手注目作品ヴィクトル・トゥロヴ記念賞
2014 香港アジア映画祭 新世代タレント賞
2015 National Film Awards 金蓮注目作品賞
2015 アルゼンチン ブエノスアイレス・インディペンデントシネマ国際映画祭 国際部門作品賞・男優賞(ヴィヴェーク・ゴーンバル)・FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞・SIGNIS(世界カトリック協会)賞
「裁き」を一言で斬る!
・基本、『ありがとう』は英語の『サンキュー』のみで、ヒンディーその他の『ダンニャワド』ってホントに言わないんだねえ…。『どうも』とか『すみません』も日常会話にはないみたいだしぃ(マラーティーでのYESが『ホー』だと言うのは、今回憶えた! ネパール語と一緒だ!!)
2017.7.10.
戻る
|