主演のミトゥン・チャクラボルティの人気を一躍不動のものとしてアジア全域(日本除く)にその知名度を広めた映画であり、70年代ディスコソングブームのインドにおける到達点のような映画。
絶大な才能を持つ貧困層出身の主人公、富裕層からの日常的な抑圧、母性の守護によるサクセスストーリー、父性との対立、さらには音楽というものが日常の中で如何に力を持つかを歌い上げるインド文化礼賛も含めて、なんとなくのちの「ガリーボーイ(Gully Boy)」と比較して見たくなる衝動にかられる映画でもあるか。
相変わらず、インドの芸能界サクセスストーリーは主人公の技術的挫折が全くなく、ライバルのようなキャラもほぼいない。主人公の夢を阻むのは金にモノを言わせた富裕層の差別であり、無見識であり、周囲の人々を巻き込んだ社会的抑圧となるのも、共通してる?
その辺を強調するためか、全部で7曲入る挿入歌のうち、一番インド音楽的な作りの「Goron Ki Na Kaalon Ki (色黒だろうと色白だろうと)」が映画冒頭で流され、後半にも何度もそのメッセージ性を歌い上げていく辺り、インド礼賛、ヒンディー語礼賛も含めたテーマを浮かび上がらせる、単純なディスコブーム万歳映画にならない意図的な構成が意識されてる感じ。
肝となるディスコソングを作る音楽コンポーザーを務めたのは、1952年西ベンガル州ジャルパーイーグリー(*8)のベンガル・ブラーミン家系に生まれたバッピ・ラヒリ(生誕名オロケシュ・オパレシュ・ラヒリ)。両親ともにベンガルの古典音楽歌手で、親戚にやはり歌手のキショーレ・クマールもいる。
3才頃から両親の指導でタブラを学び、少年時代にはプレスリーに大きな影響を受けていたと言う。69年のベンガル語(*9)映画「Dadu」の挿入歌作曲を担当して映画界入り。19才でボンベイ(現マハラーシュトラ州都ムンバイ)に移住後、ヒンディー語映画「Nanha Shikari」で全楽曲構成を担当。74年の「Badhti Ka Naam Dadhi(成長するは顎髭)」では男優デビューもしていて、音楽監督を務めた75年の「Zakhmee」で一気に知名度を高めて人気音楽監督の仲間入りを果たす。以降、ヒンディー語映画を中心に各言語圏のインド映画で音楽監督を務め、1984年の「Sharaabi(呑んだくれ)」で、フィルムフェア音楽監督賞を獲得。86年には、33作の映画で180曲もの楽曲を制作したと言う世界記録を樹立してギネス登録されてもいる。2014年にはインド人民党に加わって政治活動を始め、選挙に立候補もしていた(ものの落選)。
2022年、ムンバイにて閉塞性睡眠時無呼吸症から併発した肺感染症で物故される。享年69歳。
監督を務めたB・スバーシュ(生誕名スバーシュ・バッバル)は、1945年英領インドのニューデリー生まれ。
78年に「Apna Khoon」で監督デビューし、本作が3作目の監督作にしてプロデューサーデビュー作。以降もミトゥン主演作や音楽映画でヒット作を監督し続けて行く。84年の「Kasam Paida Karne Wale Ki(父に誓って)」からは自身の監督作の原案・脚本も担当。ノンクレジットで85年の監督作「Adventures of Tarzan(ターザンの冒険)」、87年の監督作「Dance Dance(ダンス・ダンス)」に端役出演もしている。