Dil 1990年 171分 挿入歌 Khambe Jaisi Khadi Hai (彼女は、街灯の如く立つ [彼女は女の子だろうか、ただの柱だろうか]) *あれ? どこかで聞いたようなフレーズ…。 廃品回収業者のハザーリー・プラサッドが夢見るのは億万長者。 そのため息子のラージャを金持ちと結婚させようと計画するが、大学生のラージャは毎日遊び回っている放蕩息子だった。 その日、いつものように仲間たちとつるんでいたラージャは、突然横を走り抜けた車に泥をかぶせられて大激怒。運転手の女の子から「あんたの目が悪いからよ!」と罵倒されたラージャは、この日から彼女…マドゥー・メヘラーに執拗な嫌がらせを繰り返すのだが、マドゥーも負けじとこれに応戦! 一方、金の亡者ハザーリーは、縁談話に東奔西走している中でホテルオーナーの資産家メヘラー氏(マドゥーの父親)に近づいて、自らもいっぱしの資産家であると騙って親友同士になり、トントン拍子に彼の娘と息子との縁談を取り付けてしまう! 当然、お見合いの席で顔を合わせたラージャとマドゥーは大暴走して婚約は一旦延期に。学校や家での2人の衝突はどんどんエスカレートしていくが、学外合宿の時に初めて真剣な喧嘩を経験した2人は、それをきっかけにお互いを意識し始め、いつしか許しあい、逆に愛し合うようになっていく…。 これで金持ちとの縁談が達成されると有頂天のハザーリーだったが、運命は皮肉。 2人の婚約式の日。メヘラー氏は友人からハザーリーの正体を知らされ、だまされていた怒りと身分不相応な彼の態度に、公衆の面前で彼を侮辱して婚約を破棄してしまう!! 挿入歌 Hum Pyar Karne Wale (僕たち私たちは、恋人同士 [世界の何者をも恐れはしない]) タイトルの意味は「こころ」。 なんちゅーか、それぞれのエピソードの演出の過剰っぷりや、勢いだけで突っ走ってる感じが、とても昼メロ連続ドラマな映画。毎回とことんまで絶体絶命な展開をして「さあ次の展開は!」って持ち上げといてスルッとかわす感じが、とても週刊連載マンガな展開。 お話は、前半はアメリカンなハチャメチャお気楽学園ラブコメ。後半はベッタベタなラブロマンスながら、いちいち演出が過剰かつコテコテなんで、その辺が取っ付きにくさと妙な迫力を産み出してはいる。 親の勝手に振り回されまいと怒るラージャとマドゥーが、激怒する父親の前でいきなり結婚儀式を模倣して挑発するシーンは、もんのすごいインパクト。 ここで「うお、この映画タダもんじゃねーな」と一気にそれまでの冗長な展開を無視して、のめり込んでしまえるくらいスンバラしいシークエンスでした。 もちろん、この儀式が完了してしまえば2人は自動的に「神に認められた夫婦」となるから、インド映画的には、2人はどんなことをしても別れさせることが出来なくなるのは、お客側は百も承知な展開だからね! 主演のアーミル・カーンは当時25歳。トップスターとは言え、まだ80年代アイドル臭プンプンの狂える青年像をヒロイックに演じる。それにしても、いつの時代も顔の変わらないお人じゃのぅ。 ヒロインのマドゥー演じるマードゥリーは、本作で初のフィルムフェア主演女優賞を獲得! 名実ともにボリウッドのトップに君臨することに……なったのかな? 脇では、金の亡者ハーザリー役のアヌパム・ケールのやたらコメディ的な芝居が強烈&冗長。大金持ちのメヘラー氏から「身分が違う!」と罵倒される役だけど、見ている感じプラサッド家もそこそこの金持ちに見えるけどなぁ…。 ここでも、大学のカラテチャンプとの対決とか言ってカンフープロレスするシーンが出てくるけど、インド的には空手ってのはどんなイメージなんやねん。アーミルも、なんかブルース・リーのマネしてるしぃ。 面白いなと思うのは、結婚したマドゥーに「既婚女性の手首にバングルがないなんてことはあってはいけない」と2人の母親から譲られたバングル(腕輪)とかマンガルスーツ(ネックレス)を、ラージャもマドゥーも本当に大事な夫婦の証しとして扱う所。 その後、結婚に反対するハザーリーから「ラージャの治療費を払う代わりに、お前のマンガルスーツを手放せるか?」と言われれば、それは離婚を意味することだとマドゥーとラージャの母親が大いに苦しめられることになったりする。 結婚儀式によって神の運命的結びつきを手に入れた恋人たちだけど、代々受け継がれてきたマンガルスーツの剥奪によって他人同士となる。…この辺、結婚儀式に基づくインド的運命論と言うか文化習俗が見えてきて面白い。 挿入歌 Humne Ghar Choda Hai(僕らは家を捨て、伝統を破る) *どーでもいいけど、衝動的に駆け落ちしたにしては、お二人ともいろんな服持ってるよね。
受賞歴
2011.9.15. |