夫になりたかった幽霊 (Duvidha) 1973年 78分(82分とも)
主演 ラヴィ・メーノーン & ライーサー・パダムスィー
監督/製作/脚本 マニ・コウル
"同じ顔の夫が二人。どちらが本物でどちらが嘘か"
"…これは、なんの茶番劇なのか"
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その広場のバンヤン樹には、幽霊が住んでいた。
幽霊は、そこを通りかかった結婚式の列の中から、ふとヴェールの隙間に見える新婦の顔を見て、初めて我が身にけしからぬ思いが沸き起こるのを感じたのだ…。
「新婦は言葉を持たない。ただ籠の中で考える…別れを告げた家のこと、友達のこと、親兄弟、親戚…池のほとり…歌…人形…かくれんぼ…」
16才の新婦は籠の中で一人思いに沈みながら、結婚相手である貿易商の息子が「式の後、5年は我慢して暮らしてくれ。私は商談で遠くの街に行くから」と語る声を聞いている。その声は、彼女ばかりでなく樹に住む幽霊にも届いていた。幽霊は考える…「ならば、その間に私が彼女の夫として振舞っても、誰も怪しまないだろう…」
こうして、旅だったはずの夫をその日のうちに迎えた新婦は「君だけには、嘘をつきたくない」という夫の姿を借りた幽霊から真相を聞かされるが、慣れぬ嫁ぎ先の家の孤独の中で「周りがなにもしないのなら、私にどうにかできるものはない」として、ただ現状を受け入れて行くことに…。
OP Rajasthani Folk Song (ラジャスターン民謡)
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原題は、ヒンディー語(*1)で「板ばさみ」とか「ジレンマ」の意…なのかな?
西北インド ラジャスターン地方に伝わる民話を採録した、小説家ヴィジャヤダン・データーの同名著作を映画化した作品。外国の映画祭で、英題「In Two Minds(板ばさみ)」「The Dilemma(ジレンマ)」「The Two Roards(2つの道)」のタイトルでも上映され、インド国内で「Undecision(決められない)」のタイトルでも公開されたそう。
この民話は、本作とは別に2005年にもシャー・ルク・カーン主演のヒンディー語映画「Paheli(難問)」としても公開されいている。
日本では、1988年の大インド映画祭にて「夫になりたかった幽霊 (In Two Minds)」のタイトルで上映。2007年の国立近代美術館フィルムセンターの"インド映画の輝き"でも上映された。
非常に寡黙で、感情的な表現を廃した淡々とした映像が、ラジャスターンの風景と民謡に彩られながら綴られる静謐な映画。
登場人物の固有名が出てこなかったり、所々で静止画を配した会話シーンや、劇中の会話音声がわざとズレたりカメラが人の体の部分のみを撮ったりと、寡黙さの中に見せる撮影対象を映像的に突き放した演出の数々が、不思議とドキュメンタリー風な空気を醸し出す。
原題「板ばさみ」に象徴される、自分を捨てていった夫と自分を愛してくれる偽物の夫の間で「現状をただ受け入れざるを得ない」立場に追い込まれる新婦の静かな苦悩を中心に、実家からも妻からも自身の存在を否定される夫、2人の息子の登場で困惑する父親、新婦への愛と世間の目に右往左往することになる幽霊と言った、少ない主要登場人物の心理がそれぞれの板ばさみ状態が描かれて行く。そんな中で、映像は基本的に突き放して外側の視点と語りで処理されていきながら、なお目を伏せた状態がずっと続く新婦の苦悩、ラジャスターンにおける女性をめぐる過酷な環境がガシガシ伝わってくる強さを表現して行くのもスゴい。
冒頭に登場する幽霊の住むという樹は、英語字幕に「banyan tree」と出てたってことは、和名「バンヤンジュ」または「ベンガルボダイジュ」のことと見ていいのだろかどうだろか。
ベンガルボダイジュは典型的な締め殺し植物で、宿主となる木に巻きついて殺してしまう植物だっていうあたり、なんか暗示めいたものを感じるけど…も、映像で見る限りはそれ系の植物に見えるような見えないような。むぅ。
監督を務めたマニ・コウルは、1944年ジョードプル藩王国ジョードプル(*2)にてカシミール・パンディット家系(*3)生まれ。親戚に男優兼監督のマヘーシュ・コウルがいる。
プネーのFTII(インド映画&TV研究所)の演技コースに入学した後、監督コースに転向。66年のヒンディー語映画「Yatrik」で監督デビューし、69年の監督作「Uski Roti (ロティの日)」でフィルムフェア批評家選出作品賞を獲得。その、他に類を見ない作風はインド映画のニューウェーブと称され、大きく注目される映画監督となって行き、以降さまざまな映画賞を授与されて行く。
71年にベルリン国際映画祭の審査委員に就任。74年には「Puppeteers of Rajasthan (ラジャスターンの人形遣い)」でドキュメンタリー映画監督デビューしつつ、ジャワハルラール・ネルー協会賞を受賞。以降、劇映画界とドキュメンタリー映画界双方で活躍。76年のユクト・フィルム協同組合(キネマトグラフ技術者連合)の創設者の一人ともなる。
2011年、長い癌の闘病生活の末にグルガオンにて病死される。享年66歳。
幽霊と新郎の2役を演じたのは、1950年ケーララ州パラッカド県スリークリシュナプラム生まれのラヴィ・メーノーン(本名チャラップラトゥ・ラヴィーンドラナータ・メーノーン)。
プネーのFTIIで演技を学んだのち、68年のヒンディー語短編映画「Suman」で男優デビューし、73年のマラヤーラム語映画「Nirmalyam(残存 / 別意 供物)」と本作で長編映画デビューする。その後はマラヤーラム語映画界で活躍。
07年に、癌闘病の中でケーララ州ぺリンターマナで病死される。享年57歳。
新婦役を演じたライーサー・パダムスィーは、画家アクバル・パダムスィーを父に持つインド=フランス人ハーフ。親戚に、モデル兼女優シャザーン・パダムスィー、広告映像監督アリクィー・パダムスィーとその妻の歌手兼舞台女優シャロン・プラバーカルがいる。
本作で映画デビューした時はヒンディー語を介さずフランス語だけしかしゃべれなかったそう。本作ののちは、映画から離れてパリに戻り映像作家ロラン・ブランジェントと結婚している。
のちに同じ話を映画化した「Paheli」に比べると、派手な展開が皆無な分、幽霊の存在もそこまでファンタジックなものと描かれず、情念に流される人間の悲哀と孤独みたいなものをただ静かに淡々と追っていく映画になっている。
特別感情的なシーンもないし、特別な恋愛描写もない(*4)中で、その代わりに出てくるのがこれまた淡々と語られるナレーションの語りと、結婚儀礼や出産儀礼に出てくるラジャスターン民謡。「大地のうた」にも似たラジャスターンの辺境部の景色の美しさを見せつけるとともに、そこで暮らす人々の抱える因習を肯定するでもなく過度に否定するでもなく、しかしハッキリとその伝統文化に押しつぶされる人の生き様を刻みつけてくるインパクト。
淡い色調のフィルムに、男性の白い衣装、白い家屋、白い空と光が重ねられ、その中で赤い婚礼用サリーを着た新婦の鮮やかさが、新婦が「食べたい」と願う赤い木の実ダルーとのシンクロを見せつつ、暗い闇夜や部屋の陰に配置される色彩的象徴性も見もの。
そういえば、物語的にはそこまで共通性はないものの、映画冒頭や新婦の望まぬ結婚の有様という部分は、のちの名作中国映画「紅いコーリャン」のイメージを先取りしているような映画構成だなあ…とかとか思って見てましたことよ。
邦題は、ラストの展開をしっかり暗示したものとなっているけれど、「他人に変身する」くらいの能力しかない幽霊の無謀な、そして不器用な愛の結果に対して、夫婦それぞれに心のしこりというか禍根を描くラストの、その不条理さのなんと苦々しいこと…。新婦が産む赤ん坊の存在が、後の「Paheli」とは比べ物にならない重さと寂漠感を漂わせてくる。
メルヘン的な要素の強い「Paheli」に対して、白黒の対比の濃い本作の厳しさは、同じ物語の別の側面が見て取れるよう。ラジャスターンの厳しさと、そこに息づく人々の健気さ・頑なさの、その強さが匂って来るような一本。
受賞歴
1973 National Film Awards 監督賞
1974 Filmfare Awards 批評家選出作品賞
1975 独 Berlin International Film Festival インターフィルム(推薦作品)賞
「夫になりたかった幽霊」を一言で斬る!
・完全に受動的な態度しかとれない新婦の、なお力強い(力強く見せなければならない?)眼力の凄まじさよ…。
2022.2.10.
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