島 (Dweepa) 2002年 134分 国のダム建設によって、日に日に水量を増していく大河に沈むシーター峰は、今や「島」と呼ばれるまでになってしまった。人々は、次のモンスーン(雨期)の季節にはこの島は完全に沈むだろうと噂する…。 この島に住む、ネーマ寺院の老司祭ドゥッガジャーと息子ガナパ、ガナパの妻ナギは、家を守るために国に抗議しシーター峰と寺院の伝統をアピールする。しかし役人たちは島の美しさを讃えても、その伝統は理解せず、司祭の仕事を辞めて街で暮らせばいいとしか言ってくれない。 長年シーター峰で暮らしていた村人たちは次々に移住し生活を変えていくが、政府の態度に怒るドゥッガジャーは「絶対に移住しない」と宣言。ついには島に司祭一家3人だけが残される中、恐れていた雨期がやって来る…。 原題も、カンナダ語(*1)で「島」の意。 南インド映画界伝説の女優サウンダリヤーの主演作であると同時に、初プロデュース作でもある。脚本担当のナー・デソンザの手掛けた同名小説を映画化した、カンナダ語文芸映画。 日本では、2002年にアジアフォーカス福岡国際映画祭で、サウンダリヤー来日の上で(!!)上映。 ダムに沈もうとする緑濃い山間部を舞台に、そこに取り残され滅んでいく前近代的生活をする人々の暮らしを、少数の登場人物それぞれの視点でじっくり描いていく映画。 迫り来る人生の破滅を象徴する、ゆっくりと増水していく河の水面。その危機に対して積極的かつ楽観的に対処しようとする能動的主人公ナギ、徹底して現実を遺棄し過ぎ去ろうとする過去の伝統を象徴する老司祭ドゥッガジャー。父の望みに従うことをアイデンティティにして、それ故に希望を1つ1つ否定され続けていくことで次第に殻に閉じこもっていく受動的主人公ガナパ。この一家に混ざって物事を茶化していく事しかできない都会帰りのナギの弟クリシュナ。主要登場人物4人の限られたコミュニケーションから生まれる齟齬、止められない村の滅亡を受け入れざるを得ない絶望感が高まっていく構成は、文明によって滅ぼされる側にいる人とその生活文化、その終焉と変転を見せつけられるよう。 湿度の濃い雨期の森や河とともに暮らす半孤立集落の様子は、ベンガルの農村を舞台にした「大地のうた(Pather Panchali)」のように美しく叙情的な景色が素晴らしい。と同時に、厳しい自然の力・文明の到来による強制的な変化と言う2つの危機にはさまれた悲哀と不幸を含む、1つの時代の終わりを見せられるような冷徹さも含んだ視点で描かれていく。 急斜面に囲まれた道や、水道や電気のない暮らしの厳しさ、都市部の生活に溶け込むことの出来ない山間部族の人々の憂いも描かれていって、ただ農村生活や前近代を美化するわけでなく、文明の袋小路に追いやられてしまった人の生きる姿を見せつけていく。 監督を務めたのは、1950年マイソール州(現カルナータカ州)シモガ県サータハリに生まれたギリッシュ・カサラヴァッリ。父親ガネーシュ・ラーオは農学者兼独立闘士。親戚に、シモガ県サーガル・タルクの文化振興組織ニーナーサム設立に関わったK・V・スッバンナがいる。 幼い頃から読書と映画を好み、学生時代に映画製作などを経験しつつ大学卒業後に薬剤師として働き出すも、映画への興味を抑えられず、仕事を辞めてプネーのFTII(映画&TV研究所)に入学する。その在学中には、小津安二郎をはじめとするネオリアリズム映画に影響を受けて製作した短編映画「Avasesh」が総裁銀蓮賞を獲得したとか。最終学年時には、1975年公開のB・V・カラント監督によるカンナダ語映画「Chomana Dudi(チョーマの太鼓)」で助監督に選抜されて映画界入り。 FTII卒業後、77年のカンナダ語映画「Ghatashraddha(儀式)」で商業映画監督デビューし、ナショナル・フィルム・アワードの金蓮作品賞他数々の映画賞を獲得。78年には女優ヴァイシャーリーと結婚し、その後も傑作映画を続けて監督。ベンガルールの映画研究所の校長も務めたほど。91年には「Ek Ghar (ある家にて)」でヒンディー語映画監督デビューもしている。 主にカンナダ語映画界で活躍する名匠で、本作で4回目のナショナル・フィルム・アワード金蓮賞を獲得。その後も国際的名声を高め続け、03年のロッテルダム国際映画祭では回顧展も催されている。11年には、国からパドマ・シュリー(*2)を授与されている。 主役ナギ兼プロデューサーを務めたサウンダリヤーは、1972年マイソール州ムルバガル生まれの女優。カンナダ語映画とテルグ語映画でデビューの後、主にテルグ語映画界で活躍していた人ながら、次第に南インド全域に活躍の場を広げ、本作公開の03年にはカンナダ語映画「Sri Renukadevi」の他、テルグ語映画2本、タミル語映画1本、マラヤーラム語映画1本に出演している。しかし、この翌04年4月に突如事故死してしまい(*3)、業界全土がその死を悼むことになった。 ナギの夫ガナパを演じるのは、1959年マイソール州イェランダの弁護士の家にうまれたアヴィナーシュ(・イェランドゥル)。英文学の学士号を所得しつつ演劇で頭角を現し、86年のカンナダ語映画「27 Mavalli Circle」でゲスト出演した後、翌87年の「Madhvacharya」から本格的に俳優デビュー。「Madhvacharya」ではカルナータカ州映画賞の助演男優賞を獲得し、その後は98年に「Jungle Boy」で英語映画に、03年に「Thirumalai(ティルマライ)」でタミル語映画に、10年に「Nagavalli(ナーガヴァッリ)」でテルグ語映画に、11年には「Doubles」でマラヤーラム語映画と「5ters: Castle of Dark Master」でヒンディー語映画デビューしているが、主としてカンナダ語映画界で活躍している。 ナギたちの家を飾るラーマとシーター、ハヌマンなどの神様ポスターに、家で代々継承して来たネーマ儀式(*4)との関連も匂わされるような気もするけど、舞台となるシーター峰の名称とは裏腹に、孤立し人の出入りもない"島"の危機は、そのまま叙事詩の中でシーターが幽閉されたランカー島の仮託のような気もしてくる(*5)。 悪が滅ぼされ善が勝利する叙事詩とは異なり、止められない村の終焉が予見されながら、それから逃げることも回避する術も持たないまま自ら率先して滅亡に身を浸しにいく家族たち。 すべてを自分たちの手で作り出し、古代さながらの生活様式を続けていく生活力を持ちながら、それが故に街の暮らしに馴染むことが出来ず、生まれ育った土地と強く結びついているが故に、水底に沈む死んだ村から離れることが出来ない人の暮らしの有り様は、人の不器用さ、滅んでいく哀愁が醸し出す虚しさを見せつける。そのラストシーンに見える生きる力の強さ、弱さ、理不尽さを強烈に印象づけさせられる、哀しくも美しい詩的映画である。
受賞歴
「島」を一言で斬る! ・長雨や河の水で浸されて、どんどん湿地化していく山の森や耕作地や岩石地帯を、常に裸足で歩いて行く家族たちの足裏の頑丈そうなことたらもう…(そんだけ強そうなのに、みんな泳ぎが苦手と言うのもなんとも)。
2017.4.29. |
*1 南インド カルナータカ州の公用語。 *2 一般国民に与えられる4番目に権威ある国家栄典。 *3 享年31才。 *4 結局、この儀式は太陽神信仰による部族儀式って事なんかしらん? *5 結局、ネーマ儀式と言うのがどんな信仰なのか…気になる所だけど。 |