イエス様 マリア様 ヨセフ様 (Ee.Ma.Yau.) 2018年 120分
主演 カイナカリィ・タンカラージ & チェンバン・ヴィノード・ジョーズ他
監督 リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリィ
"全ては…なるようになるさ"
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ケーララ州イェルナークラム県チェラナムの漁村に、ヴァリャットパランビル・ヴァヴァチャン・メイストリが長旅から帰ってきた。
彼が帰ってきて早々、近所のチャヴァロと喧嘩になった事はすぐに村人全員の知ることとなるが、それ以上のなにかに気をもむヴァヴァチャンは、家族にも不愛想な態度を崩さない。しかたなく、彼の息子イーシーが酒を片手に相手をすると「お前は、わしの父親の葬式を覚えているか…?」と語り出したことから、イーシーはより盛大な葬式を約束する事で父親の機嫌をとることに成功する。しかしその直後、ヴァヴァチャンは玄関先で倒れ、そのまま帰らぬ人に…。
急なことで検死のための医者を呼ぼうにもなかなか連絡がつかず、約束したとは言え突然の葬式費用の目処もたたないために借金に奔走するイーシー。とりあえずで連れられてきた検死代理役の神父の姉(妹?)は「頭部から出血してる。ただの事故かどうか、朝になったら調べないと」と言い出して葬儀をストップさせるし、妻ペンナンマ(本名マリアム・トレサ)はじめパニックに陥る家族や近所の人々の押し寄せるヴァヴァチャンの葬儀は、大混乱でなかなか前進しないまま雨と風だけが激しくなっていく…
タイトルは、マラヤーラム語(*1)発音で「イエス・マリア・ヨセフ(*2)」の短縮系。
ケーララのクリスチャンコミュニティ内での、故人へささやかれる弔意の意味になるそう(*3)。
2017年に映画祭上映された後、18年に一般公開。インドの他、オーストラリア、アラブ首長国連邦、クウェートでも公開されている。日本では、2022年にJAIHOにて配信。23年にはAmazonプライム・ビデオでも配信されている。
あるキリスト教徒の老人の死を通して、ケーララのクリスチャンコミュニティにおける葬式のあり方・葬式準備のために必要な様々なものを事細かに見せていくとともに、そこに集まってくる人々の悲喜交々な様子をユーモアと皮肉と社会的メッセージを交えて、そのどうにも事態が前進しない混乱の極みが時間の経過とともに肥大化していく様を描いていく一本。
オープニングクレジットで画面右〜左へ(*4)延々流れていく葬送行列の立派さが、物語冒頭に父から子へと託された「盛大な葬式をやってあげるという約束」とも重なって、事態をより混乱に導いていく様はどこか可笑しく、物悲しく、儚い人々の暮らしぶりを描いていくわけだけど、後半に行けば行くほどその約束が呪いにも等しい重圧として村人たちの・遺族たちの・特に直接約束を交わした息子イーシーへの不和の種へと変化していく様が、色々に意味深でより人生の虚しさを強調していく。
特にこれという特徴のない漁村の人々が、葬式1つでここまで混乱していく様が、微笑ましくもあり同時に物悲しい人生のやるせなさを見せつけてくるようで、そのままその不条理を突きつけて終わる終幕のいさぎよさも、また圧巻。
本作の監督を務めるリジョー・ジョーズ・ペッリシェーリィは、1979年ケーララ州トリシュール県チャラクディ生まれ。マラヤーラム語映画界・演劇界で活躍していた有名な俳優ジョーズ・ペッリシェーリィの息子。
子供の頃から、父親が副オーナーを務める劇団"サラティ・シアターズ"に出入りして映画界に触れつつ、地元の大学を卒業後、カルナータカ州バンガロール(別名ベンガルール)のプランテーション経営研究所で経営学位を取得。
卒業後、映像作家マノージ・ピライのアシスタントとして働き始めた当初から、短編映画制作を行い、そのうちの1作「3」は07年度PIX短編映画祭にて作品賞を獲得している。
その後、10年にマラヤーラム語映画「Nayakan」で長編映画監督&俳優デビューして批評家から絶賛されるも、興行的には不発。しかし、13年公開の3作目の監督作「Amen(アーメン)」が大ヒットして、アジアネット映画賞の監督賞はじめ、国内外の映画賞をいくつか受賞する事に。15年の4本目の監督作「Double Barrel(ダブル・バレル)ではプロデューサーデビューもしていて、その後も、マラヤーラム語映画界で批評家が注目する映画監督兼プロデューサーとして活躍中。
5作目の監督作「Angamaly Diaries(アンガマリーの日々)」からは、新人俳優を多数用いた群集劇演出を多用していて、本作はそれに続く6本目の監督作となる。
そうした群集劇な本作において、中心として活躍するイーシー役を演じるのは、1976年イェルナークラム県コーチ(旧コーチン)のアンガマリーに生まれたチェンバン・ヴィノード・ジョーズ。
弟に、やはり男優のウラス・ジョーズ・チェンバンがいる。
弟たちと一緒にバンガロールに移住して理学療法学位を取得後、本作監督のリジョー・ジョーズ・ペッリシェーリィの監督デビュー作「Nayakan」で映画デビューする。その後はマラヤーラム語映画界のコメディ役者や悪役男優として活躍。その多彩な出演歴から、16年にはヴァニタ映画賞の助演男優賞を、17年にも悪役賞を贈られていて、本作ではIFFI(国際インド映画祭)の銀雉主演男優賞を受賞している。
当初は、帰ってきたヴァヴァチャンに不満たらたらな妻ペンナンマを始め家の女性たちも、ヴァヴァチャンの死を前に大声で嘆き、特にペンナンマは家に弔問客が来れば来るほど取り乱すように騒ぎ出す姿もなんというか、もう…。イーシーの妻サベス(本名エリザベス)の実家の人々が来たと知るや「結婚の時に、あんな安い持参金であんたが満足するから」とか「式の後には一回も挨拶にすら来なかった連中が、今貴方に会いに来ましたよ」とか夫への嘆きにかこつけて嫌味満載なことをこれ見よがしに騒ぎ立てる根性の図太さも微笑ましきかな。
そんなユーモア劇も、後半に行けば行くほどその混乱具合は深刻さを増し、頼りにならない警察や教会が、自分たちの保身のためにヴァヴァチャンの葬儀をほったらかし、遺恨を残したままの村人たちの複雑な心境を晴らす暇も与えられず、そのどうすることもできない心情を現すかのように雨と波音は激しくなって行くばかり。
まともに泣くことさえできないイーシーが、ようやく父のために泣き出す時には、すでに事態はどうやっても改善できないほどに追い込まれてしまった後という絶望感。誰が仕組んだとも言えない、この不条理の塊をそのまま突きつけて来る映画のドキュメンタリーさながらの進行を、冒頭から第三者的に見つめるカードゲームに興じる老人2人が「なるようになるさ」と語る、その映像詩的なインパクトが強烈な読後感を生む1本となっている…か。
映画解説(英語/字幕なし)
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受賞歴
2018 Kerala State Film Awards 監督賞・女優演技賞(パウリィ・ヴァルサン)・音響デザイン賞(レンガナート・ラヴィー)
2018 IFFI (International Film Festival of India) 銀雉主演男優賞(チェンバン・ヴィノード・ジョセ )・銀雉監督賞
2018 IFFK (International Film Festival of Kerala) NETPAC (The Network for the Promotion of Asian Cinema=アジア映画プロモ・ネットワーク)賞・観客選出賞
2019 annual Film Critics Circle of India Citation 2018年度インド映画作品賞
2019 仏 Toulouse Indian Film Festival 2019年度審査員選出作品賞
2019 Asianet Film Awards 監督賞
2019 Filmfare Awards South 助演男優賞(ヴィナヤカン)
2019 Vanitha Film Awards 作品賞・監督賞
「EMY」を一言で斬る!
・こういう牧歌的な映画であっても、警察や病院や教会やの権力側の人々の高圧的なことったら…(警察は、その中ではわりと親切だったけど)。
2020.10.2.
2022.7.30.追記
2023.4.6.追記
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