ファンドリー (Fandry) 2013年 103分 西インド、マハラーシュトラ州の農村アグイネルに住む13才の少年ジャビャー(本名ジャンブワント・カチル・マネ)の夢は、幸せを呼ぶと言う黒雀を捕まえること。 片思いの相手に黒雀を焼いた粉を振りまけば、たちまち両思いになると聞かされてから、クラスメイトの少女シャルーと仲良しになりたいと夢想する彼だったが、不可触民であるジャビャーにとって、ハイカーストのシャルーは同じ教室に居ながら声もかけられないまま。ただずっと、その姿を遠くから眺めているだけだった…。 ジャビャーの家は、村はずれのあばら屋で、家族は籠作りを生業としつつ村の雑用係をして主な収入源にしている。 ジャビャー自身は、貸し自転車屋のチャンカ(本名チャンケシュワール・サテェ)に気に入られて、彼の口聞きでアイスの自転車売りで小銭を稼ぎ、シャルーと同等に付き合える身なりになろうと必死。しかし、父親の命令でしょっちゅう仕事や家事にかり出され、アイス売りもうまく行かず、村の雑用だけではお金はたまらない。姿だけはよく見かける黒雀の方はと言うと、未だに手に入る気配すらない…。 ある日、チャンカの店を出て来たジャビャーを見た近所の夫婦は命令する。「ちょうどいい。井戸に不浄な豚がハマって困ってるんだ。触ったら穢れちまうから、お前が豚をどけろ!!」 プロモ映像 Fandry Theme Song / Ajay Atul / Tuzya Priticha Vinchu Chawla *マハラーシュトラ州の民俗打楽器ハラギを使った楽曲で、ハラギ演奏を主役ソムナート・アウガデの父と兄が担当したと言う。 タイトルは、マハラーシュトラ州のST(*1)のカイカーディ部族語で「豚」の意。 西インドのマハラーシュトラ州の村を舞台に、ST生まれの少年の日常生活から描き出される、現代インド社会の問題点を浮き彫りにする社会派マラーティー語(*2)映画。 2013年のムンバイ国際映画祭で初上映されて評判を呼び、さまざまなプロモーションを経て、翌2014年2月にマハラーシュトラ州で一般公開。同月にはグジャラート州、マディヤ・プラデーシュ州、ゴアなど国内12州でも一般公開された。 日本では、2015年に国立民族学博物館の「みんぱく映画会」にて初上映。翌2016年に東京外国語大学の「TUFSシネマ インド映画特集」でも上映された。 冒頭、雑木林の中を鳥の鳴き声が響く中、叙情的な音楽に乗せて主人公ジャビャーが黒雀を探すカットは美しく印象的。 とは言え、物語はSTに属する主人公の日常風景を追っていきながら、その日常生活のあらゆる所に現れる、村落地域に已然として存在する強固な差別意識を淡々と描き出していく、厳しく冷徹な映画。 美しい冒頭シーンに対比するかのような泥臭い本編の日常風景は、少年の淡い恋心の希望を描いていく前半はともかく、徐々に主人公に対して厳しい現実が堆積していく中盤以降は、意図的にストレスを高めていくよう演出されていき、ラストでそんな映画を見て差別される側の境遇を「可哀想」ととらえる観客側へ痛烈な一撃を見舞う展開は衝撃。 児童労働やダウリー制度(*3)、男女で分かれた学校の席順、カリカチュア的にキャラ付けされたハイカースト家庭の面々、子供と大人の身なりの違い、服装や家屋に見える生活環境の格差、悪戯に乱発される下世話な蔑称、豚をめぐる不浄観を平然と受け入れている村人たち…主人公ジャビャーの日々の希望が、このような世間の無意識の差別意識や無理解によって1つ1つ丁寧に否定されていく様を通して、インド社会のマイナス面を物語序盤からしっかりきっちり描かいていく。 同時に、カーストの高低に関係なくコミュニケーションがとれる小学校のクラス編制、そこで暗唱される"人の平等"を説くマハラーシュトラを代表する詩人の作品、小学校の壁に描かれる不可触民出身の教育改革者の肖像画、主人公の父が給仕係として村会議の場で給仕する描写、仕事や金が欲しいと言われればある程度は世話をする街の兄貴たち…と、場面場面によって差別意識を乗り越えられる希望的観測も描かれて、人々がこう言った現実を変えていくよう意識する事、人の平等を教育していく必要性といった、問題解決の糸口もうっすらと(*4)描かれていく。 監督・脚本を務めたナグラージ・マンジュレは、マハラーシュトラ州ソーラープル県の小村出身。 自身もアウトカーストの家生まれだそうで、差別に苦しむ貧しい少年時代を過ごした後、プネー大学に進学してマラーティー文学を修了。さらにアフマドナガル芸術科学&商業大学にも進学してコミュニケーション学を研究していたと言う。 09年(?)頃に短編映画「Pistulya」を発表して映画デビューし、数々の映画賞を獲得。続いて、自身の体験を反映させたと言う本作で、商業映画デビューして数々の映画祭で話題となり、多数の映画賞を獲得する注目監督となっている。本作では、チャンカ役で俳優デビューもしており、監督、脚本家、役者としてこれからの活動が注目される若手映画人である。 チャンカから、幸運をもたらすと聞かされた黒雀を求めながら手に入れる事が出来ず、さわるだけで穢れてしまうと騒がれる黒豚と同じ扱いをされるジャビャーとその家族。その、黒と言う色に現される意味に、なにがどれくらい仮託されているのか(*5)。 ジャビャーの持つはかない希望を打ち砕く現実の重みと、世間の無理解。簡単には解決できない現実を前に、もがき苦しむ人の有り様は悲しく儚く、辛い。そう言った思いを喚起させながらも、最後にはその共感によって立つ第三者的視点の観客にすら「その突き放した態度こそが問題なのだ」と言わんばかりの強烈な一撃が、なお現実の強固さ、人の頑迷さに対する悲観の現れのよう。なんというか「勝手に俺たちの事を好き勝手に批判してんじゃねーよ。安全な所から一歩もこっちに出てこないテメエも同じなんだよ」と言われてるようである。 …その前代未聞な攻撃性と悲観性に染まった映画構成、あな恐ろしや。 TVインタビュー(マラーティー語+英語? 字幕なし)
受賞歴
「ファンドリー」を一言で斬る! ・それにしても、小学校の前にあんな大規模な廃墟があったら、すぐ子供の遊び場になりそうで危ないって親が怒鳴り込んできそうな気もするけど…。
2016.2.5. |
*1 指定トライブ=非ヒンドゥーコミュニティの元遊牧または狩猟系部族民を指す法律用語…の略語。ヒンドゥー社会に取り込まれ、その多くが不可触民と同じ差別対象となっている。 そうした差別状況を打破するため、SC=指定カースト(被差別カースト出身者)と共に、進学や公務員試験などで一定数を確保するよう定めた留保制度が制定されてから、ST、SCと言う用語が一般化しているそう。 *2 西インド マハラーシュトラ州の公用語。 *3 結婚式で新婦が新郎側家族に贈る持参金制度。法的には禁止されている制度ながら、現在もなお残っている習慣。 *4 …しかし消極的・皮肉的に? *5 不浄、汚濁、不吉の象徴…? しかし、黒は古代には青と同義語だった色で、インドでは青い肌をした神…クリシュナやシヴァ…や黒い肌をした神…カーリーやマハーカーラもまた、その色故に神聖な存在として崇められていたりもするのだけれど。 |