インド映画夜話

Firaaq 2008年 102分
主演 イナームルハク & ナセールッディン・シャー & シャハーナー・ゴースワーミー他
監督/脚本/原案 ナンディタ・ダース
"希望を失えば…我々と同じようになりますよ"




 これは架空の物語である…が、千もの実話を元にしている。

 何十人と言う死体の山を葬るための墓穴を掘る男たちがいた。彼らの前にさらに死体の山が運ばれ、男たちはその凄惨さに言葉を失う…。
「…おじさん来てくれ。ヒンドゥー教徒の女性だ。どうしよう、一緒には葬れない」
「!!…どけ、俺が切り刻んで殺してやる!!」
「なに言ってるんだ! やめてくれ!! もう死んでるんだぞ!!」

 1ヶ月後。
 グジャラートの街は不気味な静けさの中にあった。
 赤ん坊を抱えるハニフとムニーラー夫婦は、やっと戻った自宅が焼かれ略奪され尽くした廃墟となっているのを見て愕然とする。泣き出す赤ん坊を世話する道具すらなく、全てが炭と化した家の中で自分たちのものではないペンダントを見つけたムニーラーは、隣人のヒンドゥー教徒の友人ジョティに疑惑の目を向け始め…
 その頃、主婦アールティは、玄関を激しく叩く幻聴に悩まされ家族からもからかわれていた…「ドアを開けて!助けてください! 殺される…あいつらに殺されてしまうわ!!」
 TVは、昨日起きた惨状を取材し、被害者の声を伝え続ける…「彼らは棒で襲いかかり、レイプし、撲殺して、火をつけた…みんな叫んでいたわ『殺せ! 全員殺せ!! インドにイスラーム教徒はいらない!!』と」




 タイトルは、ヒンディー語(*1)で「分断」と「試練」の意を含む単語。

 女優兼社会活動家ナンディタ・ダースの監督デビュー作で、2002年に起きたグジャラート暴動による大量虐殺の翌日の人々の様子を描く群集劇となる、ヒンディー語+ウルドゥー語(*2)+グジャラート語(*3)+英語映画。

 イスラーム教徒とヒンドゥー教徒の宗派対立が起こした凄惨な虐殺事件が、一旦収束しながらも、人々の間に残る恐怖・トラウマ・絶望・怒り…老若男女、富裕層〜貧困層に至るさまざまな生活環境にある登場人物群が、一様に暴動でその人生を破滅させられ、自身のアイデンティティを崩され、疑心暗鬼に取り憑かれてまともに社会生活を復帰できない苦しさの中にある様を、それぞれの視点で淡々と描いていく。
 その時まで親友や仲の良い隣人と思っていた人々を信用できず、警察はじめ公権力すら頼りにならず、救えたかもしれない犠牲者の幻に悩まされ、生き残った事自体に苦しめられる不穏さが、暴動が終わったと言いながら事件そのものがなお引き続いて継続していることをこれでもかと見せつける。
 ラスト、家を失った犠牲者たちが集まる救援キャンプの有様を見る孤児が、スクリーンの向こう側を見通すかのように投げかける視線が、なにを映しなにを見ようとしているのか。そこに、孤児の未来を探るなんらかの希望なり絶望なりが感じられるのか…。
 一見日常が戻ったかのような嵐の過ぎ去った情景の中で、イスラーム教徒によらずヒンドゥー教徒によらず、なお平穏な日常は遠く人々を苦しめていく現実が横たわっている有様は、重い。

 監督を務めたナンディタ・ダースは、1969年マハラーシュトラ州ムンバイ生まれデリー育ち。
 芸術家ジャティン・ダースを父に、作家ヴァルシャー・ダースを母に持ち、デリー大学で地理学と福祉事業の学位を取得。英国の14年度エール大学ワールド・フェロー(*4)のメンバーに選抜されている。
 児童教育支援のNGO団体アンクル(現アラリップル)で働き始めながら、デリーの劇団ジャナ・ナチャ・マンチで演技を始めて、89年のヒンディー語映画「Parinati(必然)」で映画デビュー。96年の印加合作「Fire」で英語映画&主演デビューし、98年のヒンディー語映画「1947 Earth」でフィルムフェア新人女優賞を獲得。以降、言語によらずさまざまな映画界で活躍し、多数の映画賞を獲得していく。
 映画のほか、09年には子供の映画協会会長に任命され、子供の権利保障・HIVやAIDS問題に取り組んでいる。また、13年に始まる「ダーク・イズ・ビューティフル」運動を支持して、インドにおける肌色の差別・白い肌色崇拝への問題提議を行うなど、さまざまな社会運動にも取り組んでいる。

 映画の背景となるグジャラート暴動は、2002年にグジャラート州で実際に起きた反イスラーム虐殺暴動事件。
 2月27日、ゴードラー駅で列車車両が突如炎上し59人(58人とも)の人々が犠牲となった。翌日、各種メディアや政治家たちがこの事件をパキスタンによるテロ行為であると公表し続けると(*5)、即座にヒンドゥー・ナショナリストらによる"報復"の名の下にイスラーム教徒への組織化された襲撃が州内で相次ぎ、約3ヶ月にもわたって死者1000人以上(2000人以上とも)にのぼる虐殺へと発展。しかも、当初政府はその鎮圧に積極的でなく、ようやく対策に動き出したのが3月3日になってからだったと言う。
 のちに、さまざまな形でこの暴動の誘発原因を探る研究が行われていくが、その中で集められた証言によれば、警察も暴動を放置・黙認(*6)し続けていたことが確認されている(*7)。また、散発的ではあるものの、イスラーム教徒による報復としてのヒンドゥー教徒襲撃事件も多発したと伝えられている。

 イスラーム教徒を標的とした暴動によって、その復讐に走る者、単身行方不明となった親を探す者、それでも街中で暮らして行こうとする者、犠牲者を見殺しにしたトラウマに苦しめられる者、ヒンドゥー教徒の親友の手助けに疑惑を感じ始める者、騒ぎの中で商店から物品を略奪して私腹を肥やす者…。
 同じ街に住むさまざまな人々が、暴動の翌日にそれぞれに微妙に関わりつつ、それぞれの人生観が歪められ、崩壊し、自身の信じるものそのものを失っていく。同じ街のそれぞれ別の場所で繰り広げられる生活模様が、暴動の恐怖によって大きく変わり、終息したとされるニュースを前にしてなお人々を苦しめ、さらなる悲劇を予感させる不穏さが支配する映像の数々が、どうしようもなく「なぜ?」と言う問いをこちら側に喚起させてくる。
 なぜ、暴動は起こるのか?
 なぜ、簡単に人を殺せるのか?
 なぜ、信じられないのか?
 なぜ、日常を平穏に暮らせないのか?
 なぜ…

ナンディタ監督ティーチイン(英語/字幕なし)


受賞歴
2008 Asian Festival of First Films 作品賞・脚本賞・外国特派員協会作品紫蘭賞
2008 Dubai International Film Festival 編集賞(A・スリーカル・プラサード)
2009 パキスタン Kara Film Festival 作品賞
2009 International Film Festival of Kerala 批評家特別賞
2009 ギリシャ International Thessaloniki Film Festival 特別(人生の和解)賞
2009 米 Cinequest Film Festival San Jose マーベリック精神賞
2009 National Film Awards 美術監督賞(ガウタム・セーン)・編集賞(A・スリーカル・プラサード)
2009 トルコ Istanbul International Film Festival 映画における人権賞
2010 Filmfare Awards 批評家選出作品賞・特別賞(ナンディタ・ダース)・編集賞(A・スリーカル・プラサード)・音響賞(マナス・チャウドリー)・衣裳デザイン賞(ヴァイシャーリー・メノン)


「Firaaq」を一言で斬る!
・徹底的に高圧的で、登場人物たちの苦しみを理解せず武器をちらつかせる警察官たちの、公権力の機能してなさ具合の恐ろしさよ…(*8)

2019.6.14.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 ジャンムー・カシミール州の公用語。主にイスラーム教徒の間で使用される言語。
*3 グジャラート州と連邦直轄領ダマン・ディーウ、連邦直轄領ダードラー及びナガル・ハヴェーリーの公用語。
*4 多数の分野から選抜される国際フェローシッププログラム。
*5 後日、この報道は根拠薄弱だったことが判明する。
*6 場合によっては犠牲者への発砲もあったと言う。
*7 一方で、NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが伝える所によれば、暴徒を鎮めイスラーム教徒を守ろうとして200人の警察官が死亡している。
*8 そして劇中には出てこないけど、当時グジャラート州首相として事態を悪化させ続けたのが、ナレンドラ・モディ現インド大統領というのが…。