Gulaab Gang 2014年 128分
主演 マードゥリー・ディークシト & ジュヒー・チャウラー
監督/原案/脚本/音楽/作詞 ソウミク・セーン
"日々戦う、全ての女性たちへ。その話を聞きたいと願う、全ての女性たちへ…"
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マドヴプール村の孤児ラッジョーは、学校に行きたいと言う願いを義母に全否定され、祈祷師による体罰的な制裁を受けてなお、教育を受ける権利を譲らず抵抗し続けた。
長じて彼女は、村に女性の自尊自立のための"アーシュラム(=聖域)"を作り、不当なダウリー(新婦が新郎家族に払う結婚持参金)を請求する母子や、賄賂のために村への電気供給を拒む役員たちに対して物理的制裁を加える、女性たち自身による教育・産業・武装集団を作り上げる。ピンク色(=グラービー)のサリーを身にまとい、竹棒で武装するこの女性たちを、周囲の人々は尊敬を込めて"グラーブ・ギャング"と呼称し、その指導者となったラッジョーを"ディディ(姉様)"と呼んだ…。
ラッジョーの目標は、教育改革のため村に学校を建設する事。そのため彼女は村長と共に地元政治家パワンと手を組み、彼の政党から立候補するスミトラー・デヴィの選挙運動を手伝う事になる。
だが、パワンの息子でスミトラーの妹の婚約者でもあるプランが、村の女性を性暴行する事件が起きる。この事をもみ消そうとするパワンと相応の金で解決しようとするスミトラーの態度を見たラッジョーは…!!
プロモ映像 Gulaabi (グラービー!)
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タイトルは、実在の女性差別抵抗運動グループ"Gulabi Gang(ピンク・ギャング)"のもじり。
本作は、インド本国では国際婦人デーの前日3月7日から公開された。
この活動は、女性蔑視による暴力への抵抗を目的に、07〜08年にサンパト・パール・デヴィをリーダーとして北インド中央部のブンデールカンド地方(*1)で決起され、次第に指定カースト(*2)を中心に北インド中に広がって行ったと言う。
当初は"自警団"を名乗って妻への暴力を止めない夫や、低カースト女性への性暴力に対する社会的・直接的制裁を行なう活動として広まり、その参加者は"力の象徴"としてのピンク色のサリーと、彼女たちの武器として使われる竹棒をユニフォームとして身につけるようになり、その製造と販売を一手に引き受ける事で社会運動としても産業としても一気に広まっていった。さらに、2011年に参加者のヒムラータ・パーテルとカムタ・パーテルが選挙を勝ち抜いた事で政治運動としても拡大しているそうな。
この活動が国内外で報道されるやいなや大きな反響を呼び、参加者たちに様々な賞が授与され、10年に英国人監督によるドキュメンタリー映画「Pink Saris(ピンクのサリーたち)」が、12年にはヒンディー語(*3)ドキュメンタリー映画「Gulabi Gang」が公開されている。
本作は、この"グラービー・ギャング"に着想を得て作られたヒンディー語映画ではあるものの、題材となったサンパト・パール・デヴィに無許可のまま製作された事が問題だと公開直前になって突然訴訟され、裁判沙汰になったと言う(*4)。
本作が初監督作となるソウミク・セーンは、脚本家出身。06年のヒンディー語映画「Anthony Kaun Hai?(アンソニーとは何者?)」で脚本家デビュー。続く08年の「Ru-Ba-Ru」では脚本の他、挿入歌の作詞を1曲担当している。
なにはなくとも、この映画製作が発表されてから一番注目されたのは、80年代後半からほぼ同時代で活躍して来たボリウッドの大女優マードゥリー・ディークシトとジュヒー・チャウラーと言う2大スターの初共演映画であると言う事実!(*5)
主題が女性差別への抵抗運動であるために、この2大女優がここぞとばかりに暴れまくる映画で、かたや女性で構成されたギャングの頭領、かたや敵も味方も顎で使い倒す政治家と言う一癖も二癖もあるキャラクターを演じつつの、女優2人の対決は見ものですゼお客はん!
とは言え、センセーショナルな社会運動を題材にした映画だけに、その中身はテーマや理念が先走りすぎてるきらいがある。
特に、ミュージカルとアクションシーンはどーも「入れろって言うから入れてみました」的な空気がプンプン匂う。集団でチンピラたちをボコるグラーブ・ギャングのシーンなんて、カメラの位置やスローモーションのタイミング、それぞれの人物の位置関係とかがいまいち分かりにくい画面になってしまっていて格好がついてない。交渉の席での台詞の応酬なんかは、ベーシックに堅実にシーンを積み上げてくれてるのに、身体を張った演技になると途端にやっつけ具合が多くなるのは、文章的理屈を優先しすぎで映画撮ってるからかどうなのか。腹に一物含んでの、ラッジョーとスミトラーの交渉のやり取りなんかの方が、よほど緊迫感を刺激されてハラハラしまする。
映像的には、OPクレジットのミシェル・オスロを彷彿とさせる影絵アニメのインパクトも外せない。どっちか言うと、本編より際立った映像表現になってるようななっていないような。そっち系の映像も色々見ていきたいなあなんて。
女性たちが制裁に動く前に、しっかりラッジョーによる交渉が行なわれ、その結果交渉決裂となってから物理的攻撃が始まるのは、ガンディーが提唱した「非暴力不服従」に従う"無駄な暴力の拒否"を体現してるのでしょか。いきなりの実力行使をラッジョー自身が諌めるシーンもあるけど、それでもなお、実力行使しないと問題が解決しない現実と言うのが、厳然と存在してしまっているって事でもある。現実は常に厳しく、理想は常に理想のままということなのか。
劇中、理想を体現するがために微妙に嘘くさくなってるラッジョーと、世俗をのし上がり周囲を利用する事に血道を上げる社会悪の体現者故に、敵役としては面白いキャラになってるスミトラーと言う対立構造は、そう言った現実を反映させようとした結果なのかもしれないけれど、物語的・映画的にはいまいち盛り上がらないのが惜しい。
まあ少なくとも、女性差別や虐待で有名なインドの中にも、こう言った社会運動の動きや知恵が存在しているってことは、知っておいて損はないと言うか、知っとかないといけない事ではありますねえ。
プロモ映像 Dheemi Dheemi Si (火山は、内部より沸き立つ)
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受賞歴
2014 Dadasaheb Phalke Awards 女優賞(ジュヒー)
2015 IBNLive Movie Awards 助演女優賞(ジュヒー)
「GG」を一言で斬る!
・実際のグラービー・ギャングもそうみたいだけど、ピンクと言うよりはピンク〜マゼンタ〜スカーレット系のコスチュームやね(生活着だから、煤けてるのかもだけど)。
2018.5.18.
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