インド映画夜話

ハイデル (Haider) 2014年 162分
主演 シャーヒド・カプール(製作も兼任)
監督/製作/脚本/音楽 ヴィシャール・バールドワージ
"復讐を…仇を討て。その卑劣な両目をもつ裏切者に、弾丸を浴びせよ"






 1995年のジャンムー・カシミール州スリナガル。
 医師ヒラール・ミールと小学校教師ガザラ夫妻は、イスラム系分離派ゲリラのリーダー イクラール・ラティーフを秘密裏に自宅治療中、街を占拠しているインド軍に家を爆破される。その中でヒラールは、反乱分子として軍に拘束されたまま消息不明に…。

 数年後、その夫婦の息子ハイダルがアリガートの大学から帰省。
 彼を迎えにきた幼なじみの新聞記者アールシー(本名アールシア・ローン。スリナガルの警察署長の娘)に、爆破後そのまま放置されている実家に連れてこられたハイダルは、父が今に至るも行方不明である事、母ガザラが父親の弟である弁護士クッラム・ミールと笑顔で暮らしている事、今なお続くインド軍の強権的なカシミール弾圧の実体を知らされる。
 軍の命令でハイダルを保護した同級生のサルマンコンビの元に身を寄せながら、ハイダルは父の行方を探し出そうとインド軍ヘの抗議活動に身を投じるが、そこに謎の男がやって来る…。


挿入歌 Bismil (彷徨える夜鳴鶯よ [ああ迷える鳥よ、やめろやめろ、花に出会うなかれ])

*「ハムレット」を知ってる人なら、大体どの辺のシーンかお分かりになるでしょう。そう、あの緊張感みなぎるシーンでございます!!


 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ハムレット」を、90年代の独立運動激しいカシミールに置き換えたヒンディー語(*1)翻案劇。
 ヴィシャール・バールドワージ監督による、03年の「Maqbool(神に選ばれし者 ミヤン・マクボール / マクベスの翻案もの)」、06年の「Omkara(オムカラー・シュクラー / オセローの翻案もの)」に続くシェイクスピア・シリーズ第3作。当初、ヴィシャール監督は「ハムレット」と「リア王」のどちらを翻案元にするか迷ってたそうだけど、自身の監督作「Kaminey」の続編企画のためにシャーヒド・カプールと製作を進めている間に、彼のキャラクター性がより"ハムレット的"であるとして、「Kaminey 2」の企画凍結・本作の企画始動に際して「ハムレット」を選んだとかなんとか。
 日本では、インド映画同好会企画の「シェイクスピア3部作」にて「獅子」のタイトルで上映。2020年には、Netflixにて「ハイダル」の邦題で配信された。

 物語構造は「ハムレット」そのままでありながら、そこに描かれるのは今もなお続くカシミールの現実…解決の見通しのない印パの領土紛争による権謀術策、特別法の名のもとで軍隊が行なう人権侵害の暴走、テロリストとの裏取引や裏切りの連鎖、増加し続ける失踪者問題と無縁墓地、半ば公然と行なわれる残酷な拷問の数々…である。
 題材に「ハムレット」を使いながら、それを狂言回しにしてインド的にセンシティブなカシミール問題の有り様を訴えかける映画となっているよう。秋〜冬の枯れた色彩のカシミールの状景が、そこで起こる凄惨な事件の数々との対比となって、より悲壮に、皮肉的に、劇的に物語を彩って行く。

 そもそもカシミールは、多数派のイスラム教徒住民の他、ヒンドゥー教徒やシーク教徒、チベット系民族などの国が乱立した歴史を持ち、英領インド時代にはカシミール藩王国(*2)が英国の間接統治下にあった。
 インドの独立に伴う印パの分離独立闘争によって、カシミールが印パどちらに帰属するかを迫られ、印パをめぐる政治的駆け引きの中で自主独立を目指した事で、泥沼の政治対立を引き起こすことになる。結果、数々の武力衝突が起こりながら、印パ双方共にカシミールの正当な領有権を主張し続け、住民たちはインドヘの帰属、パキスタンヘの帰属、自主独立に分かれて対立。政治的解決が叫ばれながら、その全てがなんらかの形で反古にされる状態が続いている。
 こうしたカシミールの歴史を実際に体験している、カシミールはアナントナーグ生まれで現在ニューヨークを活動拠点にしているジャーナリスト、自身の体験記「Curfewed Night(外出禁止令の夜)」を出版したバシャーラト・ペールが本作に招かれ、ヴィシャール監督と共に脚本を担当して90年代カシミールの激動を物語に落とし込んでいる(*3)。映画撮影も実際のカシミール各地で行なわれるなど、リアルなカシミールを題材にしたこの映画は、バシャーラト・ペール始め関係者の語る所によれば"カシミールの内側を描いた初めての映画"との事。

 現実問題としてのカシミール情勢を背景に持ってきた事により、ハムレットに描かれる家族間の問題、ハムレットをとりまく社会(国)との関係性、父性と母性と人の欲望、親子愛や異性愛や友情の崩壊具合、各登場人物間の愛憎などが再構築され、別の側面を浮かび上がらせながら、より複雑な相剋劇へと昇華させて行く事になる。
 なんといっても圧倒的存在感を発揮しているのは、「ハムレット」におけるガートルード王妃にあたるハイダルの母ガザラ・ミール(*4)。より詳細に書かれる夫ヒラール(ハムレットにおける父王)や義弟クッラム(ハムレットにおけるクローディアス)との関係性や、息子への愛情に苦しむ様は、原作以上に焦点が当てられ、その苦しみを体現するかのような血の色のスカーフが、白黒の雪景色の中にあって彼女の業そのもの・個人がどうあがいても変えられないカシミールの怨恨の連鎖の象徴ともなっているかのよう。

 本作の監督ヴィシャール・バールドワージは、1965年ウッタル・プラデーシュ州ビジノール近郊のチャンドプール村に生まれた映画監督兼プロデューサー兼脚本家兼音楽監督兼歌手。父親はサトウキビ監査官で、映画用の歌詞の執筆もしていたと言う。
 17才の頃に歌を自作し、それを見た父親が知り合いの音楽監督ウーシャ・カンナに持ちかけた事で85年の映画「Yaar Kasam」に採用されたとか。デリー大学時代に音楽活動を通じて、歌手レーカーと知り合い(後に結婚)、2人で数々の楽曲を制作。音楽会社CBSで仕事を始めつつ、作曲家を目指してムンバイに移住して、映画祭で外国映画に触れた事で映画への興味を強くしていき、95年のキッズムービー「Abhay (The Fearless)」で映画音楽デビュー。以降、音楽監督兼作曲家として映画界で活躍し、作詞家グルザールと仕事しながら様々な楽曲を発表。99年には、ヒンディー語映画「Godmother」でナショナル・フィルムアワードの音楽監督賞を初受賞する。
 02年にはキッズムービー「Makdee (The Web Of The Witch)」で監督&プロデューサー&脚本デビューを飾り(*5)、シカゴ国際子供映画祭にて次点作品賞を受賞する。以降も、音楽監督としても映画監督としても活躍して行き、プロデューサーの他、歌も数々担当。本作は、短編映画1本を含むヴィシャール監督作9本目にあたる。
 2016年には、川口覚他日本人俳優も参加している10本目の監督作「Rangoon」が公開予定とのこと。

 かなりシリアスでリアルな問題をはらむ物語に、「ハムレット」を寓意的に挟み込むこの映画の中で、"父王の亡霊"と言う超常現象をどう入れ込むのかなあと思っていたら「なるほどそう来ましたか!」って展開。しかもその裏でも色々な陰謀がうごめいていく物語そのものに、ボリウッド的リアリズム感覚とか、なにが真実でなにが虚構かも分からない社会不安渦巻くカシミールの現状と言うものが仮託されているかのようでもある。これは、まさにインドでないと創りだせない必見映画でありますわ!!


挿入歌 So Jao ([ここでこそ魂の休息を]、眠りにつこう)

*原作「ハムレット」よりも、別の意味が付加されて一種異様な存在感を持つ墓守たちの、不条理な世の中への諦観の歌。



受賞歴
2014 Rome Film Festival 観客選出外国映画賞
2014 Stardust Awards ドラマ映画主演男優賞・助演女優賞(タッブー)
2015 BIG Star Entertainment Awards 作品賞・主演男優賞・スリラー映画女優賞(タッブー)
2015 Filmfare Awards 主演男優賞・助演男優賞(ケイ・ケイ・メノン)・助演女優賞(タッブー)・美術監督賞(スブラター・チャクラボルティ & アミット・レイ)・衣裳デザイン賞(ドリー・アールワリアー)
2015 IIFA国際インド映画協会賞 主演男優賞・助演女優賞(タッブー)・悪役賞(ケイ・ケイ・メノン)・BGM賞(ヴィシャール・バールドワージ)・衣裳デザイン賞(ドリー・アールワリアー)・録音賞(シャージット・コイェーリ)・再録音響賞(デバジット・チャンメイ))・美術監督賞(スブラター・チャクラボルティ & アミット・レイ)・メイクアップ賞(プリーティシェール・シン & クローヴァー・ウォートン)
2015 National Film Awards 脚本賞(ヴィシャール・バールドワージ)・音楽監督賞(ヴィシャール・バールドワージ)・男性プレイバックシンガー賞(スクウィンデル・シン / Bismil)・振付賞(スレーシュ・アダーナ / Bismil)・衣裳デザイン賞(ドリー・アールワリアー)
2015 Screen Awards 主演男優賞・助演女優賞(タッブー)・No.1カップル賞(シャーヒド&タッブー)・LifeOKヒーロー賞(シャーヒド)・プロダクションデザイン賞(スブラター・チャクラボルティ & アミット・レイ)
2015 Star Guild Awards 主演男優賞・助演女優賞(タッブー)・音響デザイン賞(シャージット・コイェーリ)

2015 Global Indian Music Academy Awards BGM賞(ヴィシャール・バールドワージ)・作詞賞(グルザール / Bismil)
2015 Mirchi Music awards BGM・オブ・ジ・イヤー賞(ヴィシャール・バールドワージ)




「獅子ーハイダル」を一言で斬る!
・母親が、子供(大学生くらい)に呼びかける『my angel』に相当する自然な日本語ってなんだろうなあ…? 思いつかない…。

2016.6.4.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語
*2 藩王はヒンドゥーで、住民の多数派はムスリムだった。
*3 バシャーラト氏自身も映画内で特別出演している!
*4 演じるは、演技派女優として勇名を馳せるタッブー!!
*5 この映画はカンヌの"インド映画注目作品週間"に出品されている。