インド映画夜話

Himmatwala 1983年 150分
主演 ジーテンドラ & シュリーデーヴィー
監督/脚本 K・ラーガヴェンドラ・ラーオ
"貴様は何者だ!?"
"オレは、お前の暴虐に終止符を打つために来た…勇者さ!!"




 その日、ラヴィ・D・ムルティは生まれ故郷の村ラームナーガルに久しぶりの帰郷を果たす。
 しかし、村は今や大地主シェール・シン・バンドークワーラーとその娘レーカーに支配され、ラヴィの実家は他人に売り払われたあと。村はずれのあばら屋で極貧生活を強いられている母サーヴィトリーと妹パドマを見つけたラヴィを前に、2人は彼の帰郷を喜びつつこうなってしまった過去の出来事の真実を伝える…。

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 かつて、村の教師として村人全員から尊敬を集めていたラヴィの父ダラム・ムルティは、シェール・シン一党が戯れに人を殺す現場を目撃。これを訴えるも、シェール・シンは金の力で事件をもみ消し、逆にダラムに無実の罪を着せて村から追放させてしまった!
 ダラムが姿を消した後、母サーヴィトリーはシェール・シンからの嘲笑を一身に受けながら息子ラヴィを街の学校に進学させ、その教養をもって父の汚名を晴らさせようとしていたのだ…


挿入歌 Nainon Mein Sapna (夢の中の私の瞳 [愛しの人を見ている夢])


 タイトルは、ヒンディー語(*1)で「勇者」とか「勇敢なる男」。

 ボリウッド暗黒時代と言われる80年代にあって、大ヒットを飛ばしたヒンディー語映画にして、80〜90年代のボリウッド・クイーン シュリーデーヴィーの代表作の1つ(*2)であり、主役ラヴィ役を演じたジーテンドラの代表作でもある。
 本作は、1981年のテルグ語(*3)映画「Ooriki Monagadu」のK・ラーガヴェンドラ・ラーオ監督自身によるリメイク作。
 後に、同名タイトルで2013年にもサジード・カーン監督、アジャイ・デーヴガン&タマンナー主演でヒンディー映画リメイクされている。

 西部劇よろしく孤立した村落で暴虐の限りを尽くす地主連中、それに対抗する地元出身の主人公、親世代からの因果、全ての心情を言葉で説明する長台詞の数々、隠された真実(*4)と、現在もサウス演出系ボリウッドアクションにあるパターンを踏襲した映画で、この時代からボリウッドはサウス系(テルグ系)を取り込んでヒット作を産み出そうとしてたのねえってのがよくわかる作品(*5)。
 ボリウッドデビュー間もないシュリーデーヴィー(*6)の美貌とファッションの着こなし方はさすが! でありますが、代表作と言いつつ扱い的にはよくあるツンデレヒロインの域を出てない役回りなのが残念...とは言え、その美貌だけでインパクトは十分なほどの存在感ではある。わがままなお嬢様やってた時には身体のラインがハッキリ出ている洋服とか水着とかを披露しながら、改心して主人公ラヴィと和解するとさっそくサリーばっかり着て出てくるのが、わかりやすすぎていとをかし。前半はセクシー的な面を強調させられてるのか、登場シーンやダンスシーンにお尻とか太ももにカメラが寄ってくアングルが目立ってましたなあ。この1本で、ボリウッドのスター女優になったのもよくわかる、シュリーデーヴィー推し全開映画でもありまする。

 主役ラヴィを演じたジーテンドラ(生誕名ラヴィ・カプール)は、1942年パンジャーブ州アムリトサルのイミテーション・ジュエル店の家の生まれ。
 家の顧客だった映画監督V・シャンタラムに請われて、彼の監督作である1959年のヒンディー語映画「Navrang」にて端役出演して映画デビューし、続いて64年のシャンタラム監督作「Geet Gaya Patharon Ne(歌を唄う岩)」で主演デビューする。これと67年の「Farz(汚れ)」の大ヒットでトップスターの仲間入りとなり、その舞踏力で"ボリウッドのジャンピング・ジャック"と称されたとか。60年代以降多数の映画で活躍し続け、後世数々の功労賞を贈られている。
 学生時代から付き合いのあるキャビンアテンダントのショーバーと1974年に結婚(*7)。1994年には、TV番組制作会社バラージ・テレフィルムズを設立。マネージャーに妻ショーバー、クリエイティブ・ディレクターに娘エクター・カプールが就任している他、息子トゥーシャル・カプールは俳優として活躍している。

 ヒロイン レーカーを演じたのは、後のボリウッドの女王シュリーデーヴィー(*8)。
 1963年、マドラス(現タミル・ナードゥ)州シヴァカーシーの弁護士の家に生まれ(*9)、67年に4才にしてタミル語映画「Muruga」で映画デビュー。名子役としてタミル語映画界の他テルグ、マラヤーラム、カンナダ、ヒンディー各映画界で活躍し子役賞も獲得していた。
 76年のタミル語映画「Moondru Mudichu(3つの結び目)」で、カマル・ハーサンやラジニカーントと共演して主演デビュー。その後、主にタミル・テルグ・マラヤーラム映画界で活躍して数々の映画賞を獲得。79年には、自身の主演タミル語映画「16 Vayathinile」のリメイクとなる「Solva Sawan」でヒンディー語映画に主演デビューし、83年には本作で年間最大ヒットを叩き出してその地位を固め"稲妻の太もも"ともてはやされたと言う。本作と同じラーガヴェンドラ監督&ジーテンドラ&シュリーデーヴィー主演でやはり年間最大ヒットを飛ばした84年公開作「Tohfa(贈物)」で"クイーン・オブ・ボリウッド"に登り詰め、80〜90年代後半まで、主にヒンディー、タミル、テルグ、マラヤーラム語映画で大活躍していくメガヒットメーカーのスター女優となっていく。
 96年に既婚者であった映画プロデューサー ボニー・カプールと結婚(*10)。97年公開の「JUDAAI ~欲望の代償~(Judaai)」「Kaun Sachcha Kaun Jhootha」以後、長らく映画界を離れていたものの(*11)、12年に「マダム・イン・ニューヨーク(English Vinglish)」で映画界にカムバック。大きな評判を呼ぶと共にその演技力と美貌が健在である事を知らしめる。
 90年代以降から数々の功労賞を贈られ、13年に国からパドマ・シュリー(*12)を授与された。2018年、滞在中のドバイにて急逝。享年54歳。

 出演者の中で注目なのが、敵役シェール・シンを演じるアムジャード・カーン(生誕名アムジャード・ザカーリア・カーン)。映画俳優だった父ジャーヤント(*13)について子役で映画出演した後、75年公開の伝説的大ヒット作「炎(Sholay)」でやはり伝説的悪役として後世までその名を讃えられる敵役ガッバル・シンを演じて業界にその名を知らしめた人。ギラギラ感全開だった「炎」から8年で、まあお太りになられましたなあ。
 さらに、ラヴィの母親サーヴィトリー役には、これまた伝説的女優ワヒーダー・レヘマーン!! 55年のテルグ語映画「Rojulu Marayi」で映画デビューしてから、グル・ダット映画など数々の名作傑作に出演し続け、60〜90年代まで主にヒンディー語映画界で大活躍。現在も断続的とは言え現役で映画俳優している実力派。最近の映画ではおばあさん役とかが多いこの人、この時代ですでに母親役ってんだから、そのキャリアはシュリーデーヴィー以上にとてつもないですわ。

 本作の監督を務める K・ラーガヴェンドラ・ラーオ(*14)は、アーンドラ・プラデーシュ州クリシュナ県コーラベヌ生まれ。
 高名なテルグ語映画監督である父親コヴェラムディ・スーリャ・プラカーシュ・ラーオの手伝いで映画界に入り、コマーシャルや神様映画などを経て75年のテルグ語映画「Babu」で監督デビュー。以降、現在まで100本以上の映画を作り上げる現役名監督となる(*15)。主にテルグ語映画界で活躍している人だけど、79年の「Raajdrohi」からヒンディー語映画界でも監督作を発表。本作も含めて大ヒット作を何本も作り上げる。特に主演女優を"美しく撮る"事で評価の高い監督だとか。まさに、ボリウッドにおけるシュリーデーヴィーのプロデュースを担当したような監督ですねえ。

挿入歌 Ladki Nahi Hai Tu Lakdi Ka (君は女の子なんかじゃなくて棍棒だ)



「Himmatwala」を一言で斬る!
・わがままなレーカーが、友達と「河で泳ごう!」と飛び込んだ河のなんと茶色いことよ…。

2018.2.26.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 ただし、声はクマーリー・ナーズの吹替。
*3 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。その娯楽映画界を、俗にトリウッドと言う。
*4 結構最初の方で暴露されるけども。
*5 まあ、昔からボリウッドのサウスブームは何度か波のように起こっては消え、消えては起こってるらしいけど。
*6 公開当時19才!!
*7 これ以前に、ヘーマ・マーリニーと結婚秒読みではないかと盛んに噂されていたそう。
*8 生誕名シュリー・アンマ・ヤンガル・アイヤッパン。
*9 父親はタミル人、母親はテルグ人だった。
*10 ボニー側は、当時の妻だった映画プロデューサー モナ・ショーリエ・カプールと離婚して、その後シュリーデーヴィーと再婚した。
*11 この間、長年お蔵入りだった出演映画「Meri Biwi Ka Jawaab Nahin」と、特別出演作「Halla Bol(声を上げろ)」が公開されている他、TVドラマやTVショーにいくつか出演している。
*12 一般人に贈られる4番目に権威ある国家栄典。
*13 本名ザカーリア・カーン。
*14 本名コヴェラムディ・ラーガヴェンドラ・ラーオ。
*15 かのラージャマウリ監督の、演出家師匠にあたる人でもある。