愛の申し子 (Ishaqzaade) 2012年 132分 ウッタル・プラデーシュ州の地方都市アルモール。ここは、近づく州議会選挙を前に、2大政治家一族による抗争が激化の一途をたどっていた。 一方の立候補者、ムスリムのアフターブ・クレーシィーの孫娘ゾーヤーは、祖父の元で小さな頃から政治運動に参加して、政治家になるのが夢。ライバルのもう一方の立候補者、ヒンドゥーのスーリヤ・チャウハンの孫パルマーとは犬猿の仲で、双方共に相手の政治運動や各種イベントを邪魔しあい潰しあう。ゾーヤーとパルマーの対立は激しさを増し、双方の家も頭を抱えるほど。ついには公衆の面前でパルマーの面目を潰す事に成功したゾーヤーだったが、パルマーはそんな彼女に逆に惹かれていき、猛烈なアプローチを掛けてくるように。 だが、この2人を待ち受けていた運命は…。 挿入歌 Pareshaan (私はかき乱された [あの花火はどこへ…敵意は煙のように消え去った]) *パルマーのアプローチに徐々に心を開いて、彼を受け入れていく愛に目覚めるゾーヤーの妄想の図。 しかし、この幸せな日々は後に… 原題は、「Ishq = "情熱的な愛"とか"狂気の愛"」と「zaade = "生まれ"または"〜の子"」と言うの2つの単語の合成語。副題は「Born to Hate...Destined to Love (憎しみから生まれた…運命の愛)」。 2011年の「Ladies vs Ricky Bahl(レディVSリッキー)」で女優デビューし、本作が主役デビュー作となるパリニティー・チョープラと、本作が本格的な映画デビューとなるアルジュン・カプールと言う新人を主役に配した、名誉殺人による悲恋と若者の刹那的青春劇をテーマにしたラブロマンス。 日本では、2015年のインド映画同好会 大映画祭にて上映。 前半は、銃が支配する無法地帯の街を舞台に、過激化する選挙運動上の対立をそれぞれの立候補者(*1)の孫同士のぶつかり合いを描いて、そこから始まる異教徒同士の2人のロマンス劇が展開。しかし衝撃のインターミッションから一転、後半はパルマーの幼稚な…しかしシャレにならない復讐に端を発する街を上げての「不名誉な者の抹殺」と、それに抵抗する若者2人の成長劇ヘと発展していく。 前半だけで言えば、対立する2つの家の若者が愛し合う「ロミオとジュリエット」な話ながら、衝撃のインターミッション(*2)後は、それぞれの家の存続をかけて命を狙われるパルマーとゾーヤーの逃走劇。そこから生まれる本当の愛。"家の名誉"と"2人の愛"の衝突に揺れ動く絶望的なラストへの、怒濤の展開にただただ驚きっぱなし。 この、どちらにしろ汚れ役のヒーロー&ヒロインを演じた主役2人の強烈な存在感は見物。 パルマー役のアルジュン・カプールは、1985年ムンバイ生まれ。父親は映画プロデューサーにしてボリウッド最大の映画一族カプール家出身のボニー・カプール。母親は事業家のモナ・ショーリー・カプール。両者の離婚後、父が再婚した女優シュリーデーヴィーが義母になる。 この再婚騒ぎや学業不信などで鬱屈した少年期を過ごしていたらしいけれど、03年に「たとえ明日がこなくとも(Kal Ho Naa Ho)」で助監督として映画界入り。05年の「No Entry」、07年の「Salaam-e-Ishq(ようこそ、愛よ!)」、09年の「Wanted」で助監督やプロデューサー補として働いた後、本作で映画&主演デビューして数々の新人賞を受賞&ノミネート。 ゾーヤー役のパリニティー・チョープラは、1988年ハリヤーナー州アンバーラーのパンジャーブ家庭生まれ。父親は、アンバーラーのインド軍関係のビジネスマンとか。親戚に女優プリヤンカ・チョープラ、女優ミーラー・チョープラ、女優マンナーラーがいる。 当初は銀行員を志望して、17才でロンドン留学して経済学を修了。一時期マンチェスター・ユナイテッドFCのケータリング部門チームリーダーとしてアルバイトしていたそうな。 09年にインドに帰国すると、従姉のプリヤンカを頼ってムンバイに移住。当時プリヤンカが出演していた「Pyaar Impossible! (恋は不可能!)」の広報部に誘われて、ヤシュラジ・フィルムに広報コンサルタントとして入社。続くプリヤンカ主演作「7 Khoon Maaf (許されし7つの罪)」で映画俳優と言うものへの興味を増大させられて会社を辞めて演劇学校に通い始める。元社員を俳優として使うことに反対していたヤシュラジ側を驚愕させるほどの演技力を身につけて、オーディション後即座にヤシュラジと3作出演の契約がなされたとか。 その1本目「Ladies vs Ricky Bahl(レディVSリッキー)」で脇役デビューを果たしたパリニティーは、この1本で数々の新人賞を獲得し、一躍注目女優にのし上がり、本作で主演デビューとなった。 なんでも本作撮影中に、ウイルス感染による発作が起きてドクターストップがかかったと言うけど、本人の強い要望によりその日の撮影を継続したとかなんとか。 監督のハビーブ・ファイサルは、ムンバイ出身の脚本家兼映画監督。 助監督から始めて、96年に短編映画「Opus 27」を発表。脚本家として活躍する中、10年の「Do Dooni Chaar(2×2が4)」で監督デビューし、フィルムフェア台詞賞を獲得。本作が2本目の監督作となる。 インド映画でよく出てくる、特定の家系または地主によって支配される孤立した地方都市では、国家の法も警察機構もほぼ機能しない。社会を安定させるのに必要なのは、ただ人脈と金に支えられた"揺るがない伝統的権威"のみ。それも一端その権威に傷がつくと、一気に人々の信用をなくし2度と社会復帰は望めない。そのために、権威を失墜させそうな若者の暴走は出来るだけ排除され、かつ対立する一族の権威を傷つけるために血道を上げる抗争劇が展開するわけだけど、本作の主役2人は、こうした社会の中で、"良かれと思って"家の権威維持と対立家系への攻撃を小さな頃から疑うことなくやっていて、そのために親になかなか認めてもらえないさみしさを常に抱え、結局その暴走は最悪な展開をたどってしまう。 政治的対立家系同士であり、宗教も衣食住も違う2人の結婚式は、危うさを暗示しながらしっかりきっちり2つの宗教による別々の結婚式を描いてく(*3)。そのすぐ後に訪れる驚きのインターバルによって、後半の絶望的展開が予想されていくわけだけど、映画はそこから異端者である2人それぞれを排除しようとする街の喧噪、社会から排除されて始めて自分たちを客観的に見つめる視線に気づいた2人の精神的成長を描き出していく。 危うくも儚い青春讃歌であると同時に、そうした青春像の暴走による代償の重さ、一度の過ちから解放されるまでの贖罪の重さと、地方社会コミュニティの閉鎖性具合を描いていく。「法なき土地」とはまさに、そう言った地方コミュニティの孤立具合を指す言葉であると共に、愛に狂う若い心そのものでもある、ような。 まあ、いわゆる"滅びの美学"的な映画でもあるけれど、こんな汚れ役やっちゃって大丈夫かいなと心配になるほどの迫力ですわ。特にパルマー役のアルジュン・カプールの汚れっぷりったらスゴいもんだけど、それで後半徐々に真の愛に目覚めていく様を見ていて、果たしてどれほど納得できるかってーと…。 挿入歌 Ishaqzaade (愛の申し子) *多少、ネタバレ気味注意。 でも、いいシーンだねえ…。
受賞歴
「愛の申し子」を一言で斬る! ・中盤のプロットは、"人のダメダメさ"を描くと言う意味ではDevdas的と言えなくもなくもな…ウーム。
2015.12.11. |
*1 ほとんどマフィアのドン。 *2 見てた女性たちが一斉に「最低最悪な男じゃないか!」と怒り出しておりました。 *3 インド映画の伝統的パターンで言えば、その2人が最終的には結ばれる事の暗示でもある。 |