タイトルは英語でそのまま「宝石泥棒」。1937年の同名ハリウッド映画とは別物、のはず。
主演のデーヴ・アーナンドが設立した映画プロダクション"ナヴケータン・フィルムズ"製作のヒンディー語(*2)映画。その人気から96年には、デーヴ・アーナンド&アショク・クマールのオリジナルキャスト2人を揃えた続編「Return of Jewel Thief(リターン・オブ・ジュエル・シーフ)」も公開されている。
監督を務めたヴィジャイ・アーナンド(通称ゴールディ)は、1934年英領インドのパンジャーブ州グルダースプル(*3)の弁護士の家生まれ。
9人兄弟の末っ子で、兄に映画監督兼プロデューサーのチェータン・アーナンド、本作主演&プロデューサーの男優デーヴ・アーナンドがいて、姉シェール・カンタ・カプールはイギリス映画界でも活躍する映画監督シェーカル・カプールの母親になる、映画一族アーナンド=サーヒニー家の一員。
6才時に母親を亡くしながらも兄弟親戚に囲まれて育ち、特に兄チェータンと義姉ウマ・アーナンド夫婦の世話になりながら、女優兼記者のウマに促されて戯曲を執筆して大学時代には演劇活動に身を投じていく。それが縁となって、54年のチェータン監督&デーヴ主演のヒンディー語映画「Taxi Driver(タクシー・ドライバー)」の原案&台本執筆で映画界入り。翌55年には、チェータン監督作「Joru Ka Bhai」で男優&主演デビューし、自ら執筆した脚本を元に57年のデーヴ主演&プロデュース作「Nau Do Gyarah(9、2、11 / 別意 逃げろ!)」で監督デビューを果たす。2作目の監督作となる60年の「Kala Bazar(闇市)」からは編集も担当。65年の「Guide(ガイド)」でフィルムフェア監督賞と台詞賞を獲得したのを始め、以降の監督作も映画賞をいくつか受賞している。その後も、監督兼脚本家兼男優として活躍し、後世のヒンディー語映画界におけるフィルムノワール演出に大きな影響を与え、兄デーヴ・アーナンドの代表作となる数々の傑作を世に贈り出している。90年代に入ってTVドラマ出演以外では映画活動から遠ざかった後、01年にインドの情報・放送省中央映画認証委員会(Central Board of Film Certification)議長に就任するも、前議長アーシャ・パーレークとの対立疑惑、映画の認証制度をめぐって政府側と対立したことに振り回され、1年経たずに辞任している。
個人生活では、周囲の反対を無視して姪スシュマ・コーリーとの結婚を強行したことで世間的にも非難を呼ぶ騒動になったと言うものの、夫婦は生涯幸せに生活していたそう。
2004年、ムンバイにて心臓発作により物故。享年70歳。