命ある限り (Jab Tak Hai Jaan) 2012年 175分 北インドはラダックの中心都市レー。その街路に仕掛けられた爆弾を処理するのは、インド陸軍爆発物処理班所属のサマル・アーナンド少佐。彼は、常に防護服なしで58個もの爆発物を解体して来た"死なない男"である。 同じラダックに、英国ディスカバリー・チャンネルの取材でやって来た印系英国人アキラ・ラーイがいた。彼女は、湖で溺れかけた所をサマルに助けられる。無愛想な彼と別れた後に彼の日記を見つけたアキラは、興味本位でサマルの過去を覗き見ることに… ************ 10年前、25歳のサマルは軍人の家を継ぐのを拒否してロンドンに出稼ぎに来ていた。彼は持ち前の人当たりの良さで、英国人たちに受け入れられ数々のバイトを続けながら、空いた時間はギター片手にロンドン中で弾き語りの日々を過ごす。 そんなサマルは、教会で「縁談を破棄してほしい」と神様に願うミーラー・ターパルと出会う。サマルの働くバーでの婚約式で再会したミーラーと親交を深めるサマルは、彼女に歌を教えるうちに、彼女の抱える問題と内に秘めた本当のミーラーを愛するように…。 サマルへの愛と幼なじみとの婚約に揺れるミーラーは、教会でサマルと誓い合う。「2人は良き親友。一線を越えることはない。もし越えてしまったら重い罪で償わせてほしい…」 だが、10年以上も音信不通だった母親の助言によってミーラーは、真に愛する人はサマルであると確信。2人はあえて誓いを破るが、その翌朝、サマルはミーラーとの別れ際に交通事故に遭ってしまい…!! 挿入歌 Jiya Re (受け止めよう [両手に人生を]) ボリウッドを代表する巨匠にしてボリウッド最大の映画会社ヤシュラジ・フィルムズ総帥、ヤーシュ・チョープラーの遺作となったラブロマンス。通称JTHJ。 日本では、2013年にボリウッド4の1作として一般公開。 生前、ヤーシュ監督は本作をもって映画監督を引退すると発言していたのだけれど、映画のインド公開を待たずに物故されてしまい(享年80歳)、ボリウッド業界全体がその衝撃に揺れることとなった。 長きに渡る映画人生で、最期まで第1線でご活躍されたインドを代表する映画人ヤーシュ監督の、ご冥福をお祈りいたします。 製作・原案・脚本を担当したのは、ヤーシュ監督の息子アディティヤ・チョープラー(ヤシュラジ・フィルムズ幹部で映画プロデューサー。映画「DDLJ」「Rab Ne Bana Di Jodi」他の監督でもある)。 出だしは不穏なラダックを舞台にした寡黙な軍人サマルとドキュメンタリー映画監督志望のアキラとの出会いで始まり、回想シーンの前半は陽気な頃のサマルとミーラーのロンドンを舞台としたラブロマンス。後半は、現代を舞台にアキラのサマル密着取材と、ロンドンに舞台を移しての未完のラブロマンスの再開…と言う構成。 全編、ボリウッドロマンスの古典的とも言える展開が強調されてる感じだけども、その古典的文法のほとんどは、半世紀以上もヤーシュ・チョープラー監督が自身のキャリアの中で生み出した演出手法なわけで、それだけで記念碑的映画となりうるのに、さらにセカンドヒロインのアキラを代表とする現代的な演出も粋に描いてくれるからスンバラし。 ロープでの渡河訓練シーンなんか、監督作では1つ前の「Veer-Zaara」がフラッシュバックしてしまう(そこでは、シャールク演じる軍人ヴィールに抱えられながら恐る恐る河を渡っていたヒロインだったのに、本作では一人でシャールクを追い越してドヤ顔してくるんだから、あんた最高だよアキラ!) 取り戻せない過去、未完に終わった恋物語、親子・男女の相剋、記憶喪失、届かない想い……等々、ロマンスの醍醐味をここまでぶち込みながらも、全然嫌みにならない流れを生み出せるのが、ヤーシュ・チョープラーの生み出したボリウッド映画文法ってものだけど、そこに今までタブーだったベッドシーンやシャールクのキスシーンまで入って来て、引退作にしてなお新しい素材を生み出そうとしているインド映画界は誰にも止められませぬ。 そう言えばミーラーの「神様にお願いを叶えてもらうんなら、それ相応の代価も払わないと。公平でしょ?」って言う考え方も、ライトと言うか現代的な現れですかねぇ。日本人がそんなこと言ったら「それ悪魔との契約じゃね?」とかツッコまれるのがオチだけど、インド映画の中で言われるとそれはそれでそう言うルールもありかな…と思えてしまう不思議。さらに、そのミーラーの「公平な契約」が本作の恋愛構造を強化する構成になってくるわけで、そこに特に宗教的生活をして来ていないサマルの神(=運命?)への挑戦の台詞がかぶってくるともう、喝采しないわけにはいきませんゼ。 アキラ、と言うヒロインの名前はやっぱりインドでも珍しいみたいで「日本人か?」「おい、クロサワ監督!!」とか茶化されるとついついアキラの方を応援したくなるわけだけど、物語的にもチャキチャキなアヌーシュカの魅力全開で、「Rab Ne Bana Di Jodi」でのデビュー以降どんどん活躍の幅を増やす貴方に目が釘付けです〜。黒澤明の名前が出てくるからか、映画全編、黒沢映画を意識するかのようにその映像美がホントーに素晴らしい。 現代の象徴のようなアキラに対して、一見古典的な描写を担当するのがミーラー役のカトリーナ。パンジャーブ出身の父の元で過ごしたヒロイン…と聞くとすぐ思い出すのは「DDLJ」のカージョル演じるヒロイン シムランだけど、本作ではそこまでの親子間の重圧は描かれないし、ミーラー自身インド的なものを排除して生きている感じは現代的感覚が強い。その信心深さが、現代人から見ると古典的ではあるけれど、パンジャーブ人の両親から生まれたにしてはパンジャーブの宗教的生活なんかは全然描かれないあたり「DDLJ」の頃からは隔世の感ですなぁ。このミーラーの宗教観を受け入れた上で、そこから生まれる運命論に挑戦するサマルってのは、日本人が見る上では一旦間を置かないと理解しずらいかも…しれない。 現代のサマルの活動拠点が印パ(+中国)の紛争地カシミール州ラダックであり、そのラダックロケが海外ロケと同じくらいの比重をもつこと、サマルのロンドンでのルームメイトががパキスタン人であること、英国原産で現在はインドでのみ製造されているバイク ロイヤル・エンフィールドが出てくること……と、深読みしたくなるような小道具もいっぱい。 ミーラーの母親プージャ役で登場したニートゥン・シンと、その駆け落ち相手イムラン役のリシ・カプールは、実生活では夫婦なお二人(この二人の子供が、今やトップスターの1人ランビール・カプール)。この映画スター・カップルの二人がミーラーの結婚観を大きく変える助言を与えるあたりもニクい演出である。 挿入歌 Heer ([ああ友よ、私を]ヒールと呼ばないで)
受賞歴
2013.5.24. |