インド映画夜話

Krishna Aur Kans 2012年 118分
主演 プラーチー・セヴァ・サティー & メグナー・イランデ & オーム・プリ
監督 ヴィクラム・ヴェトゥリ
"8月の下弦の月8日目の夜その時、人々を導く羊飼いとして産まれたこの者を、今"クリシュナ"と名付けよう"






 まだ暴力がこの世を支配する、遥かなる昔…。
 マトゥラー国に悪逆なる王カンサ(ヒンディー語発音では"カンス")がいた。彼は戯れに軍隊を使って各地の村々を襲撃して奴隷を増やし、恐怖支配のもと国民と父王を牛耳っていた。

 彼の妹デーヴァーキーがヴリシュニ族のヴァスデーヴァと結婚する日、自ら御者を努めて新婚夫婦を送り出そうとしたカンサは、突然天上から "お前は、お前の妹が産む8番目の子供に殺されるだろう" と言う声を聞く。激怒した彼は新郎新婦、さらに父王までも幽閉して国王に即位。妹夫婦から産まれた子供をその都度殺し続けていたが、7番目と8番目の子供が産まれる晩、夫婦の前にヴィシュヌ神が現れ「私がお前たちの子供として産まれよう。そして近くのゴークラ(=牛飼い)村のヤショーダーが産んだ娘と取り替えて来るのだ」と命じる。同時に看守が眠りに落ち、牢の鍵が開くのだった…。
 同じ頃、悪夢で赤ん坊の誕生を知ったカンサはすぐさま妹の子供を殺そうと出てくるが、その瞬間、取り替えられた村娘の赤ん坊はマーヤー女神(ヴィシュヌの幻力を神格化した女神)に変じて「お前を殺す者は、すでに産まれたのだ!!」と宣言!! 恐れおののくカンサは、すぐさま羅刹女プータナーに予言の赤ん坊の抹殺を命じる…。


アクションシーン



 タイトルは「クリシュナとカンサ王」(*1)。
 クリシュナ神話(の前半部分)を映像化した長編神話ものFlashアニメ映画。インド初の3D上映アニメ映画となり、ヒンディー語版、タミル語版、テルグ語版、英語版「Hey Krishna」も公開と、インドのアニメ史上最も広範囲で公開されたと言う。製作はリライアンス・エンターテインメント。
 インドでは、クリシュナ生誕祭であるジャンマシュタミ祭(*2)に合わせて公開された。

 インドのアニメと言うと、まだまだ発展途上な映像群のイメージが強かった今までなんですが、本作はかなり気合いが入っていて、現地の感想とか見ると「子供と一緒に退屈な映画を見に来たと思ってても、いつの間にか童心に返って一緒に楽しんでいるだろう」とべた褒めしてたのもよくわかる、正統神話もの娯楽映画になっている。
 OPの単純化された背景美術で「あ、ヤバそう」とか思っていても心配ご無用。本編に入った途端、フラッシュアニメとは思えない照明効果・3DCG効果・うねうね動くキャラクター群・美しく詳細な背景美術・神話に忠実な次から次へと起こる事件の数々で飽きるヒマなし。普段「見てもいないのに、インド映画がB級とか言ってんじゃねえ!」と叫んでる身で、インドのアニメはB級だと思ってたワタスのくもった眼はクリシュナの幻力に惹きつけられっぱなしだったよ。ゴメンね、ジャイ・クリシュナ!!
 ま、贅沢を言えば各キャラクターデザインがディズニーを引っ張った感じに見えて来るので(*3)、そこにインド独自の美意識なりケレン味なりが入ってくるとなおイイかな…と。特にモンスターデザインはまだまだ弱いから…。

 お話は、前半丸々使ってクリシュナの出生譚を丁寧に描き、インターバルから幼児クリシュナの活躍(*4)を描いて行く。
 悪役カンサ王の、蓮の花の8枚の花弁を折り取るしぐさでデーヴァーキーの赤ん坊を殺す象徴としたシークエンスは「うまい!」と感心(*5)。その出生譚に時間を割いたおかげで、主人公クリシュナとラスボス カンサとの関係性がハッキリするのがスンバラしいわけですが、クリシュナ神話の別の中心軸であるラーダーを始めとする牛飼い女たちとの恋物語やカーリヤ竜退治、ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ譚と言った伝説がダイジェストになったのは惜しい。まあ、ほとんどが巨大なる怪物または自然現象を、小さなクリシュナが一瞬で滅ぼしてしまうって言うそっくりな物語展開なので、バッサリ切ったのも英断ではあるけども(*6)。

 そもそもクリシュナとは、B.C.4〜A.D.4世紀頃に今の形に成立したと言われる叙事詩マハーバーラタの登場人物で、主人公アルジュナ率いるパーンダヴァ(パーンドゥ王の息子たち)一党に加勢する軍師として登場する聖仙のこと。叙事詩の中で、ヒンドゥー教の根幹思想と言われる「バカヴァット・ギーター」をアルジュナに説いたと言う逸話で有名。
 その人気から、後世様々な神話・英雄伝説を吸収してその異常誕生譚・少年時代の数々の悪魔との対決・ゴーピー(牛飼い女)たちを代表とする膨大な恋愛物語・様々な奇跡譚を通して神格化され、ヴィシュヌ神に匹敵する人気を集めて、ヒンドゥー教の一派では最高神として崇められるほど。その信仰が強化されればされるほど庶民層への人気が広がってヒンドゥー教そのものの内部改革を導いたとも言われる。ラーマーヤナその他の別系ヒンドゥー神話、ギリシャ神話や聖書伝説、仏教伝説とも酷似する逸話の数々が長大に語られ、インドにおける絵画・舞踊・彫刻・詩作・演劇・思想・映画など多くの表現文化に多大な影響を与え続けている神様である。

 舞台となるマトゥラー周辺は、現在の北インド ウッタル・プラデーシュ州西部ヤムナー河流域部(*7)。クリシュナの生誕地としてクリシュナ・ジャナムブーミ寺院が建立され、古来マトゥラー美術と呼ばれるインド独自の仏像様式が花開いた場所でもある。またすぐ近くにはクリシュナが幼少期を過ごしたと伝えられるヴリンダーヴァン森も存在する。
 歴史的にこの地域は、叙事詩「ラーマーヤナ」にも言及されるヤーダバ族の国シューラセーナとしてまず登場し、交通や経済の要所として発展。後に仏教やジャイナ教の活動中心地になったり、イスラムの支配下に入ったりと宗教的にはさまざまな紛争の起こった地域でもある。クリシュナの生誕地として人々に崇められるようになったのは16世紀に入ってからとか。

 監督を務めたヴィクラム・ヴェトゥリは、米国のTVアニメ「Mucha Lucha!」の1エピソード作画監督を努めたアニメーター。
 脚本は「Tezaab(酸)」「黄色に塗りつぶせ(Rang De Basanti)」「デリー6(Delhi-6)」等を手掛けたカムレーシュ・パーンデーイ。
 配役の有名どころでは、カンサ王にオーム・プリ。クリシュナの育ての母ヤショーダーにジュヒー・チャウラー。クリシュナの名付け親ガルガチャルヤ大仙にアヌパム・ケールが出演。
 クリシュナの声は、幼少期を、「ちびまる子ちゃん(まる子役)」「パーマン(パー子役)」などのヒンディー語吹替の他、3DTVアニメ「Little Krishna(小さなクリシュナ)」でも幼少期のクリシュナの声を担当したメグナー・イランデが担当。少年期を、古典舞踏家でミッキーマウスのヒンディー語吹替版声優でもあり、やはり「Little Krishna」でクリシュナ役を演じていたプラーチー・セヴァ・サティーが演じている。


挿入歌 Enchanting Flute (麗しのフルート)

*クリシュナの吹くフルートに魅了される村の人々や動植物たちの図。
 村人の中で真っ先に反応する女の子はもちろん、後にクリシュナとの不倫劇で数々の古典芸能のモチーフにされるクリシュナ神話のヒロイン ラーダー。







「KAK」を一言で斬る!
・青い肌の流し目赤ん坊が可愛い、と言うだけでこの映画は正義!!

2015.7.24.

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*1 ヒンディー語発音だと、サンスクリット名の語尾のAが省略されるので"カンス"になる。…"クリシュナ"は省略がないのにねぇ。
*2 バードラ月(8〜9月)の満月から8日目の日にあたるお祭り。
*3 なんとなく「ムーラン」をイメージしてしまい…。
*4 羅刹女プータナーや竜巻の悪魔トリナーヴァルタとの対決〜宇宙を内蔵するクリシュナ譚〜幼児クリシュナの悪戯〜阿修羅バカ鳥との対決〜マトゥラーの武闘競技にてカンサ王との最終決戦まで。
*5 6人の赤ん坊が産まれて来る間に花が萎れないか…とか野暮なことはイイッコナシヨ。
*6 そこまでやると、3時間どころか10部作映画くらいにしないと納まらないしね…。
*7 現在もマトゥラーと言う名前は実在!