インド映画夜話

Kamali From Nadukkaveri 2021年 143分(159分、147分とも)
主演 アナンディ
監督/脚本 ラージャセーカル・ドゥライサミィ
"出来ると思うなら、試してみようよ"




 タミル・ナードゥ州タンジャーヴール県ナドゥッカーヴェリー村に住むカマリ・シャンムガムは、無邪気で悪戯好きな高校生。

 のどかな農村と学校の往復を楽しく過ごしていた彼女はある日、TVニュースで報じられるCBSE(中央中等教育委員会)12年生最終試験結果で、州内トップになって取材を受ける高校生アシュウィン・アーナンドの姿に一目惚れ!
「彼と結婚するのに、持参金いくら必要かな?」
「都会生まれの男の子なんて、親の決めた婚約者となんか結婚しないよ。大学生の頃に付き合ってた恋人を、親に紹介して婚約させてもらうんだから」
「じゃあ、どうすれば彼と付き合えるの? 近所にいるわけじゃないし」
「簡単だよ。もっと勉強して、彼が入学したIIT(インド工科大学)に入ればいいんじゃん」
「私にできるかな…」
 その日から、カマリは勉強に打ち込もうとするものの、家の中は騒音ばかりで勉強に集中できない。そもそも自分ではどれをどれくらい勉強すればいいかもわからず、学校の歴史の先生スブラマニに聞けばタンジャーヴールの予備校を勧められるも、予備校では超難関のIIT受験コースは扱ってないと断言される始末。

 一方で、娘の教育に乗り気ではない父親シャンムガムからは、「やりたいならやってみろ。予備テストに合格できたなら、応援してやる。ただし、不合格だったら来年結婚してもらうからな」と励ましてくれた。当初は喜ぶカマリだったが、母親から「バカね。父さんはあんたがIITに合格するわけがないと思ってるから、そう言うのよ」と言われて奮起するも、先生から受験対策用指導員として、近所に住む引退した大学教授アリヴダナンビを勧められて困惑する……なぜなら、彼はカマリが毎日悪戯していた家の住人だったのだから…!!


挿入歌 Theriyatha Thendral (今までにない風が [優しく私を撫でる])

*やってることは、いつもインド映画で見るストーキングラブに近いのに、カマリの愛嬌でやたら美しい初恋シークエンスになっていますことよ。


 ラージャセーカル・ドゥライサミィの監督&脚本デビュー作となる、タミル語(*1)映画。
 当初、2020年4月公開予定だったが、コロナのパンデミックにより公開が延期され、2021年2月の公開作となった。

 タイトルにあるナドッカーヴェリーは、タミル地方を流れる聖河カーヴェリー(*2)中下流域に実在する村のよう。
 そんなのどかな農村で生まれ育った平凡な女の子が、州内トップの成績を残した男子と恋人になることを目標に勉強に打ち込んで行く中で、学問による人生の可能性の拡大を見つけて行く「学ぶとはなにか」をテーマにした映画。
 ある程度教訓じみた物語で構成されてはいるものの、主人公の野放図さ・ポジティブさ・愛嬌ある性格が、映画全体を心地よく明るい雰囲気で満たしてくれていて、軽やかな音楽も相まって美しき青春映画に昇華させている綺麗な絵作りが印象的。あんな気持ちの良い村人たちがいっぱいいるのなら、タミルに移住してそんな人たちに囲まれて生きていきたいですわあ(*3)。

 そんな本作の魅力を一身に支える主人公カマリを演じるのは、1993年アーンドラ・プラデーシュ州ワランガル県ワランガル(*4)に生まれたアナンディ(生誕名ラクシター)。
 2010年のテルグ語(*5)TVショー「Aata Juniors(ゲーム・ジュニアーズ)」に出場後、2012年のテルグ語映画「Ee Rojullo(あの日々)」の挿入歌シーンにカメオ出演。同じ監督による同年公開作「Bus Stop(バス停)」で本格的に女優デビューする。新世代映画と騒がれたこの映画で注目を集め、14年の「Poriyaalan(エンジニア)」でタミル語映画&主演デビューし、同年公開のタミル語主演作「Kayal(カヤル)」で監督から"アナンディ"の芸名をもらってそれ以降の芸名にしつつ、その演技が大きな評判を呼んでタミル・ナードゥ州映画賞の批評家選出特別女優賞を獲得。以降、タミル語・テルグ語両映画界で活躍中。
 日本で上映・配信・限定公開された18年のタミル語映画の傑作「僕の名はパリエルム・ペルマール(Pariyerum Perumal)」でも主演を務めている。22年のタミル語版・マラヤーラム語(*6)版同時製作映画「Yugi / マラヤーラム語タイトル Adrishyam」で、マラヤーラム語映画デビューもしている他、TVドラマや視聴者参加番組にも出演している。

 前半の、高校生カマリの子供然とした演技も(*7)軽やかなら、中盤以降の恋する大学生の美しさも華やかで麗しい。
 他の数多あるインド映画の恋愛劇と同じく、本作でも主人公の恋愛は一目惚れから始まり、ストーキングラブでいかに距離を詰めて行くかを模索している様子が描かれるものの、男女が逆転しているからか、主人公カマリの適度に俗っぽく、適度にわがままで、適度に田舎者っぽい人間関係の距離の取り方にしっかり物語的説明があるせいか、全然危険な匂いはせず(*8)、少女の夢と希望が大きな飛躍を呼び込む行動力を生み出す青春賛歌を謳い上げる爽やかさが全編を支配していて、見ていてとても心地よい。

 その気になったら、1年ちょっとの受験勉強で世界的にも最難関な大学へ1発合格する頭脳を発揮する主人公像や、そんな主人公の才能開花に手を貸す心の親友、口は悪いけれど最終的に啓示役となる師匠や家族、挫折からの再起と自立と、ある程度その成長ドラマは良く見るパターンで構成され、「教育」こそが人生を開く最大の要素であると言う訓話的テーマを描いていながらも、出来過ぎに感じないのは…いや、やっぱある程度出来過ぎ感はあるっちゃあるけれど…開放感あるナドゥッカーヴェリー村の人々の距離感であり、大学なるものへの大きな期待とそれに応える実績を人々が信じている環境でしょか。「IIT入学は簡単だよ」と言う台詞の登場によって、頑張れば自分たちもひょっとしてIITに手が伸ばせるかも…と観客たちに思わせるポジティブさが、ファンタジー的でなく軽めのユーモア劇で見せられて行く快さは、まさに映画の魔法そのものですわ(*9)。
 教育賛歌と青春賛歌の融合は、なにもこの映画だけが描くことではないものの、理想郷的な田舎ナドゥッカーヴェリーの生活を描くことによって、その住人たちのやりとりが2つの要素を微妙なバランスで引き込んでくれる素晴らしさは一見の価値ありまくり。

 映画後半、大学寮で同室になったからと、ルームメイトと打ち解けてもいないうちから自分の秘密をバラしていくカマリの能天気さは、ピリピリした都会人には嫌味に見えてしまうだろうなあ…と思ってしまう側にいる自分的には、カマリを笑い者にするエリート大学生たちを憎みきれない部分もある。
 その辺に、カマリの素直さ、全てを吸収する柔軟さ、人馴れしていない騙されやすさが描かれ、それ故に彼女の恋もまた障害にぶつかってしまうわけだけど、その素直さを武器にしたカマリの魅力こそが映画の魅力そのものとなり、彼女の挫折と再起によってその人間性の成長を描いていくのもスキがない構成。ま、その舞台が雑学中心のIIT対抗クイズ大会と言うのは「?」と思わないでもないけれど…あれかな、チーム戦にすることによるスレた人間関係への慣れと、初恋の終わりからの解放に注視した結果何スかね?(そんなわけない)

 その爽やかな人間関係の進展以上に目に心地良いのは、劇中でカマリが着ている日常着の華やかさ。「マダム・イン・ニューヨーク(English Vinglish)」の主人公が着用していたサリーのカラフルさに匹敵する美しさをアピールしてきますわ。まさにインド衣裳は目を惹く色彩の洪水でありますよ! エリート大学生たちも村の男たちも、洋服着てカッコつけてないで、インド衣裳で暮らしてみればいいのに!(無責任に)



挿入歌 Yelo Yelp (世の中が歌って [風に合わせてブランコが踊るように、この世で花になれたらいいのに])





「KFN」を一言で斬る!
・大学にはいかないけど、カマリに親身になって協力する親友の手工業職人の父親が使ってる携帯の呼出音。『ムトゥ(Muthu)』のOP "Oruvan Oruvan"が流れる皮肉、と言うかそれだけ教育を重要視する土壌があると言うアピールか。

2023.10.14.

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*1 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*2 別名カーヴィリ川、カーヴェーリ川とも。
*3 学校の勉強は、ムチャクチャ大変そうだけど。
*4 現テランガーナー州ワランガル県内。
*5 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*6 南インド ケーララ州とラクシャディープ連邦直轄領の公用語。
*7 見た目は、やや大人っぽすぎるきらいはあるものの。
*8 そのまま行くと、彼女の恋は成就しないだろうなあ…って匂いはプンプン。
*9 必ずしも、劇中に登場する勉強法が効果的なのかどうかやや疑問もありますけど…。