たとえ明日が来なくとも(Kal Ho Naa Ho) 2003年 184分 世界最大のビジネス都市ニューヨーク。 全世界から人が集まり慌ただしく行き交う中、インド系移民たちは懸命に今日を生きていた…。 大学生のナイナは、もうずっと笑っていない。 父の自殺以後、シーク教徒の祖母ラッジョとキリスト教徒の母ジェニファーは毎日ケンカばかり。足の不自由な弟シヴを猫可愛がりする祖母は、養女の妹ジアを徹底的に目の敵にする。隣人のスウィーティーは、口を開けば男の話ばかり。彼女の姉と母とが共同経営する喫茶店は閉店寸前で先行きは暗い。 唯一の気休めは、大学で知り合った同じインド人のローヒトとのおしゃべり。彼は根は優しいけどおっちょこちょいな三枚目。ナイナが心を許せるただ一人の親友だった。 ある日、毎度の祖母と母の口論が起こり、母は妹たちを慰めながらお祈りする。 「つらいのは今だけよ。今に天使がやってきて、みんなを幸せにしてくれるわ…」 次の日、ナイナの向かいの家から不思議な青年アマンが現れ、朝から大騒ぎして近所中の人々と踊りまくり、ジアや母をも元気にしてしまう。強引に笑顔を振りまく彼を嫌うナイナだったが、アマンは言う。 「笑顔を見せる事が出来れば幸せになれるさ。…たとえ明日がこなくても」 挿入歌 Pretty Woman (プリティ・ウーマン / ヒンディー語リミックス) *一番インパクトのあるミュージカル。 これはパクリとかではなく、莫大な使用料払って権利を買ったそうな。 このシーンの前の夜に雪が降ってるんだけど、季節はいつなんだろうねぇ…? 全編ニューヨークロケのボリウッド・ムービー。 そのせいか、「プリティ・ウーマン」などのヒンディー版リミックスのミュージカルシーンなんてのが出て来る(*1)。 舞台全部がニューヨークなだけにハリウッド的な画面で、お話も画面もなんとなくアメリカ映画への敬意がこもっているよう。いきなりサンドラ・ブロックあたりが出てきてもおかしくない雰囲気(てことは、シャールクの立ち位置はトム・ハンクスかロビン・ウィリアムズか…)。それでも、中盤以降はハッキリとインド映画へと変化して行くからビックリ。 ボリウッドムービーの話の展開には「運命論」と言うものが大きく関わって来る…気がする。 私と貴方が愛し合うのも、敵対するのも、親友であるのも、最初から決まっていた事…と同時に、自分と自分を取り巻く個人個人が努力して人生を歩んでいる結果、と言う背反した2つの見方が同居する哲学で現れる(…気がする)。 これは、恋愛劇なら「自分を捨てるほどの、相手への限りない愛情」、敵対関係なら「相手の立場をも飲み込んだ悟りの境地」、親友同士なら「言わずとも通じるかけがえのない相手」として表現されていて、つまる所、相手の立場・生い立ち・現状を一回全部の飲み込んだ上で「なら、私はこうする」と行動で相手に関わって行く姿勢を美徳として描く事になる(…しつこいけど、ような気がする)。 この映画でも、始終イライラしていたナイナに、無条件で笑いを与えようとうっとうしいくらいナイナに関わるアマンの行動は、この考え方のベタな表現として当初現れていて、徐々にそれが他の登場人物へと拡散して行く(…まぁ、ハリウッドでもよくある展開だけど)。 特に名優ジャヤ・バッチャン演じるナイナの母ジェニファー・カプールの役所は、主役2人以上に"無償の愛"とか"自利利他"が配分されていて、終盤のどんでんがえしもあって非常に印象的。主役たちが織りなすベタな三角関係以上のインパクトだった。 サッド・ムービーとしてはまあまあ。ボリウッド映画として見ると、ちょっと大人しくて物足りないなと感じてしまうのはインドに毒されているからなのか…。 今まで「Dil Se」や「Om Shanti Om」に出てきたプリティは、特にこれと言った印象がなかったんだけど、この映画のプリティはウツクシ〜。 シャールクも、この頃の方が演技・ダンスともに綺麗でカッコええ! 身体のキレがスゴくて、心○病だと言う設定はどこ言った? ってなダンスシーンや、ランニングシーンやコントシーンを見せてくれる。 一番派手なミュージカルシーン「Maahi Ve」には、例によって一瞬だけ大女優のカージョルやらラニ・ムケルジーが登場(この2人は従姉妹同士)。 公開から6年を経ての日本語版発売なわけで、やっぱり古くささを感じてしまうのは、韓流ブームのせいかなぁ…(不治の病・結ばれない恋愛・お家事情・おせっかいとツンツン・クドいくらいの泣かせ演出…etc.)。 挿入歌 Mahi Ve (愛しい人) *さて、ラーニーはともかくカージョルはどこにいるでしょう?
受賞歴
2009.11.20. |
*1 さらに、ボリウッドの名作「ラガーン」のテーマソング"Chale Chalo"が流れるシーンも…。 |