頬にキス (Kannathil Muthamittal) 2002年 137分 マンクラム村のM・D・シャーマはその日、ディリーパンとの結婚式を挙げていた。その翌朝、「子供は8人は欲しい」と夫をからかうシャーマに、ディリーパンは「平和になるまで子供はいらない」と彼女の提案を頑なに拒否する。 ある日、密林を進むゲリラ兵を見たディリーパンは「ここから絶対離れるな」とシャーマに厳命して密林の中へと消えて行く。その後、村を戦火が襲い、避難民と共に海を越える事になったシャーマはラーメーシュワラルの難民キャンプの中で急に産気づいてしまい… 9年後。 チェンナイで暮らす小学生T・アムダ(=甘露の意)は、いつも騒動の火中。怒りっぽいエンジニア兼作家の父G・ティルチェルヴァンと、厳しくも優しいアナウンサーの母インディラ、弟のヴィナヤンとアキーラン、祖父T・ガネーシャンに囲まれながら、騒がしくも楽しい日々を過ごしていた。 しかしアムダの9才の誕生日の日、父親から彼女が養女であることを告げられる。家族と血のつながりがないことにショックを受けるアムダに、両親は彼女を引き取ったいきさつを話し始めた。…それは、父が書いたベストセラー小説「傘」の元になったお話。若き日の2人を結びつけた、スリランカ難民キャンプの中にいた捨て子のお話だった…。 その後、アムダは学校を抜け出し行方不明になる。方々を探しまわる家族たちは、ついに難民キャンプがあったラーメーシュワラルでアムダを発見。激怒するインディラから問いつめられたアムダは答える。 「ここにもいなかった。本当の、お母さんを、探しに行きたい…」 挿入歌 Kannathil Muthamittal (頬にキスを) 2009年まで26年間続いたスリランカ内戦(*1)による悲劇をテーマにした、タミル語(*2)+シンハラ語(*3)映画。タミル映画界が、実際に対立するスリランカロケを敢行したことでも大きな話題に。 物語は、タイム誌に掲載された実際のアメリカ人夫婦の記事にインスパイアされたもの…らしい。 日本では、福岡市総合図書館コレクションが収蔵。2005年の大阪のみんぱく映画祭、2015年の国立フィルムセンター「現代アジア映画の作家たち」にて上映された。 ああもぅ。あーもぅ。こう言う、子供が大人に対抗しようとする話弱いわー。大好きだわー。主役アムダ役のP・S・ケールターナーの演技力スゴすぎだわぁぁぁぁぁぁ!!!!! 9才で本当の事を話すと言うタイミングに、なんか意味が掛けられてるのか気になるけど(*4)、9歳児に対するわりには伝え方がぶっきらぼうな父親も、自分のアイデンティティに悩む娘の奇行に(その愛情故に)怒り続ける母親も、人情家族ものとしてよく出来て泣かせに来るし、両親のなれそめ話で1つのラブストーリーを見せてしまうサービス精神も「児童文学的世界をよく分かってますな!」と拍手喝采でございます。家族の絆、それぞれに抱える不安、子供が自分のアイデンティティを親に投影しながら問い続け追いかけ続ける姿、その関係性の揺らぎと気持ちの交錯具合が素晴らしいシークエンスで綴られていて、涙なしには見れませんゼ旦那方! …ま、シャーマの新婚生活と逃避行がどれくらいの長さだったのかは、気になる所だけども…。 主役アムダを演じたのは、1992年チェンナイ生まれの子役P・S・ケールターナー。父親は映画俳優兼監督兼プロデューサーのR・パーティパン(*5)、母親も映画女優兼プロデューサーのシーター(*6)。94年のタミル語映画「Pavithra」に続いて、2本目の映画出演となる(*7)。 アムダの父G・ティルチェルヴァンを演じるのは、1970年ジャールカンド州ジャムシェードプルのタミル人家庭に生まれたR・マーダヴァン(*8)。 父親はタタ・スティールの役員、母親はインド銀行マネージャー。姉(妹?)は英国でソフトエンジニアをしている。 軍隊で訓練を受けたり、パブリック・スピーチ(弁論プレゼン大会)に優勝して92年の若手ビジネスマン協議会代表に選出されて東京会場に来たりしていたそう。 96年、広告モデルの縁でサントーシュ・シヴァンの推薦を受けてマニ・ラトナムの「ザ・デュオ(Iruvar)」のオーディションを受けるも落選。ヒンディー語TVドラマ出演を挟んで同年のヒンディー語映画「Is Raat Ki Subah Nahin(この夜は終わらない)」にノンクレジット出演。翌97年にはタミルロケの米国映画「Inferno(タミル語吹替版タイトル Vegham)」でクレジット・デビュー、さらに98年にカンナダ語映画「Shanti Shanti Shanti」に出演し、再びマニ・ラトナム監督作に呼ばれて01年の「Alaipayuthey(波)」でタミル語映画&主演デビュー。フィルムフェア・サウスの男優デビュー賞を獲得した。同年のヒンディー語映画「Rehna Hai Tere Dil Mein(君の心の中にいたい)」ではスクリーン・アワードの新人男優賞を受賞したのを含め、数々の映画賞を獲得している。 05年のヒンディー語主演作「Ramji Londonwaley」で脚本デビュー、07年の主演作でITFA主演男優賞を獲得したタミル語映画「Evano Oruvan(ある人)」では脚本と共にプロデューサーデビューしている。 日本公開・上映作では、本作の他「黄色に塗りつぶせ(Rang De Basanti)」「きっと、うまくいく(3 Idiots)」に出演しているので要注目! アムダの母インディラを演じるのは、1976年マハラーシュトラ州ムンバイのパンジャーブ人家庭生まれの女優シムラン(*9)。妹に、同じ映画女優のモナルがいたが、02年に21才の若さで自殺したと言う(*10)。 学生時代にモデル業とダンスを始め、バラタナティヤム(南インド古典舞踊)とサルサを修得。95年に、インド映画では初のニュージーランドロケとなったヒンディー語映画「Sanam Harjai」で映画デビューし、翌96年のマラヤーラム語映画「Indraprastham」で主演デビュー。97年には「Abbai Gari Pelli」でテルグ語映画に、「Simhada Mari」でカンナダ語映画に、「Once More」でタミル語映画にデビューし、「Once More」ではフィルムフェア・サウスの女優デビュー賞を獲得。以降本作も含め20個の映画賞を獲得。タミル語映画を中心に南インド映画界(+ヒンディー語映画)で活躍している。 9才のアムダの話が映画公開の02年前後の話とすると、シャーマとディリーパンの結婚は第2次イーラム戦争渦中の91〜93年頃を想定しているのか。 91年には平和維持軍を派遣したインド元首相ラジーヴ・ガンディーがLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)による自爆テロで殺されているし、93年にはやはり第3代スリランカ大統領ラナシンハ・プレマダーサがLTTEの自爆テロによって暗殺されている(*11)。95年1月の停戦から、すぐ4月には第3次イーラム戦争が勃発し、02年2月にノルウェーの仲介によって再度停戦が成立していたものの、和平交渉は暗礁に乗り上げたままシンハラ人とタミル人との対立が続いてた頃が、劇中の主な背景。 そんな中で、映画ロケのためにタミル人たちがスリランカに乗り込んで行ったんだから、それだけでもスゴい話(結局、その後の06年に第4次イーラム戦争が勃発し、09年のLTTEの全面敗北まで戦争は続く)。 ボリウッド(*12)の「チェンナイ・エクスプレス」でも映画の舞台に出てくるラーメーシュワラルが、タミル語映画になると風光明媚な観光地の他に、スリランカへの玄関口として描かれる所も注目所だし、映画冒頭に場所がハッキリしないシャーマのマンクラム村が、スリランカのタミル人たちの村である事が分かって来る導入部分も素晴らしい。物語も、家族の相剋と愛情を軸に、戦争の政治的側面を意図的に外してその恐怖、荒廃がもたらす悲劇の連鎖を描いて行く。 シャーマの、アムダとの対面シーンが若干クドいかとも思えるけど、あそこまで引っ張って引っ張っての最後の決着シーンだから、あのくらいはやらないとダメか。育ての母親インディラとの関係性の変化の方もじっくり見てみたかったですわ(*13)。 あと、国は何故戦争に走るのか、と言う問いに対して「あの平和国家のはずの日本も、武器を作ってる」と突然言われて「そうか、そう見えちゃうか…」と思わなくもなし。むぅ。 挿入歌 Vidai Kodu Engal Naadae (故郷に別れの言葉を) *微妙にネタバレ注意。
受賞歴
「頬にキス」を一言で斬る! ・難民キャンプって、手続きのためには産気づきそうな妊婦も野ざらし状態で整列させるのね…
2015.8.28. |
*1 スリランカ国内のシンハラ人とタミル人の対立を発端とする、タミル人による分離独立闘争。 *2 南インド タミル・ナードゥ州とスリランカの公用語。 *3 スリランカの公用語。 *4 単純に子役の年にあわせた設定? …っぽいけどw *5 本名ラーダクリシュナン・パーティバン。ラー・パーティエパンとも表記される。 *6 2001年に離婚しているそうな。 *7 その後は大学進学して俳優業は休止しているみたい。 *8 本名マーダヴァン・バーラジ・ランガナータン。 *9 生誕名リシバーラー・アショク・ナヴァル。 *10 この原因を作ったとして、シムランは振付師のプラサンナ・スージットを訴えている。 *11 劇中、アムダが体験する最初の戦争の惨禍は、こう言った歴史的事実の反映? *12 ヒンディー語娯楽映画の俗称。 *13 父娘関係に関しては、終始一貫して親密に描かれてるネ。 |