カーラ / 黒い砦の闘い (Kaala) 2018年 159分
主演 ラジニカーント
監督/脚本/原案 パー・ランジット
"ここは、我らの土地"
その日、ムンバイのスラム街ダラヴィの人々は、強制的な立ち退きを迫る州大臣ハリ・ダーダー(本名ハリデーヴ・アバヤンカル)配下の建設業者たちと衝突。傷害事件にまで拡大していた。
清潔な都市開発の名の下、スラムを一掃して貧困層を締め出そうとする政府側に対し、ダラヴィの人々を率いる指導者カーラ(本名カリカーラン)は「ここは先祖が作り上げ、我々が守る土地だ」として、身内も参加する建設業者たちを一喝。ハリ・ダーダーと真っ向から対立する道を選び、住民たちから絶大な信頼を受けていた。
そんな中、ダラヴィ出身でカーラの元恋人のNGO職員ザリーナが、ダラヴィの健全な再開発計画を持ってムンバイに帰ってくる。彼女は、今までの強引な再開発案を撤廃させて住民に寄り添う都市開発を提案し、政府側・住民側双方の説得に走り回る…が、そんな妥協案的な計画を進める彼女にカーラは宣言する…「この再開発の裏に誰がいるのか、君は知らない。問題を解決する道にはなり得ない」
その頃、ハリ・ダーダーの命令一下、スラム街の指導者カーラを退けようとする暗殺計画が動き出していた…。
挿入歌 Semma Weightu
*「帝王カバーリ (Kabali)」や「ガリーボーイ(Gully Boy) 」とも共通する、貧困地区出身のラッパーが世に問うインドラップの勢いを見よ!
タイトルは、主人公の名前であり称号。「黒」の意味であり、「神」「救世主」の意味をも含む(*1)。劇中、その色彩と色彩語は、さらに多くの意味を含んで表現される多重タイトルにもなっている。
2016年の「帝王カバーリ (Kabali)」に続く、ラジニカーント主演&パー・ランジット監督の社会派マサーラー・タミル語(*2)映画。
同名テルグ語(*3)吹替版、ヒンディー語(*4)吹替版「Kaala Karikalan」も公開。
インド本国の他、フランス、英国、米国、デンマーク、マレーシア、シンガポール、クウェート、サウジアラビアでも公開。サウジアラビアでは、18年の映画館解禁後に一般公開された映画群の中で、本作が初のインド映画公開となったそうな。
日本では、2018年に英語字幕版が東京・神奈川・群馬・愛知・大阪にてSpacebox主催で自主上映。翌19年のIMW(インディアン・ムービー・ウィーク)にて日本語字幕付きで上映。24年のシネ・リーブル池袋のゴールデンウィークインド映画祭で上映されてもいる。
出だしから主人公登場〜主人公讃美のファーストミュージカルの流れまでは、監督の前作「カバーリ」とほぼ同じテンションだなあ、と思って見てたわけですが、「カバーリ」がマレーシアにおけるタミル人移民たちの悲哀と闘争を背景にしていたのに対して、本作はムンバイを舞台にインド国内におけるタミル人移民たち貧困層と富裕な有力者たちの戦いを描いている。それにより、インドにとってより卑近で切実な問題を正面切って描いてくるパワフルさが段違いに凄い。もしかして「カバーリ」は、本作を作るためのテストバージョンだったんじゃなかろか、とか思えてしまいますことよ。
最初のミュージカル「Semma Weightu」の中で、スラムで生活する人々から絶対的な支持を集めている主人公カーラがイスラームの礼拝してるシーンが出てくるけれど、本人はヒンドゥー名(*5)を名乗り、集会や家での応対の背景には仏陀図像が配置してあったり(*6)と、異教徒・異民族・被差別階級を区別なく庇護する「怒れる黒い神」として、ドラヴィダ民族主義やアウトカースト解放を推進する「被差別層の救い主」としての理想像が仮託されていく映像的重厚さとイメージの積み重ね具合は圧巻。
悪役側であるマラーティー至上主義でありヒンドゥー至上主義側に立つ白い服・白い家で身を固めたハリ・ダーダー率いる政治家たちの「白」に象徴される「潔癖性」「純粋主義」「白人=アーリア主義」の頑迷さとの良い対比となって、ラストに爆発する色彩の洪水が起こす数々の象徴性は、まさに映画史を塗り替えるほどの迫力! それまでの冗長にも見える長々とした台詞抗争劇は、全てこのシーンのために構成されていたのかと度肝を抜かれること必至なエネルギーに満ちた映画でありました。
映画の8割強は、いつものラジニ映画に見えるスタイル重視設計で、その場での言いたいことは全て台詞で語るし、登場人物それぞれが一定の枠を越えない役割重視の舞台的芝居が続く構成ではあるものの、その多弁でわかりやすさ重視・直球ストーリーにあって、語られず、直接に見せず、その象徴性だけを画面に配置する数々の映像要素が、劇中で問題とされる社会意識や人々の差別感覚の深刻さを露わにする。と同時に、被差別階層に属する人々が想像以上に社会にコミットし、様々な仕事や議論や生活スタイルを通してインド社会を動かしているのだと言う事実をも突きつけてくるよう。
現実は、今なお映画のような解決方を見いだすことなく、多くの解決不能な問題が人々を苦しめているわけだけども、「白」がすぐに他の色に染まりやすい色であるが如く、「黒」がヒンドゥーの「赤」や「黄」、仏教の「青」やイスラームの「緑」と言った数々の色を全て混ぜ合わせた最後に出てくる色であるが如く、全てを飲み込みうごめいて行くインドと言う社会の中にあって、ヒンドゥー主義がまかり通る昨今の映画界に対抗するかのような映画が生まれて来て、それが絶大に評価されて行く現実が存在するということが、何がしかの展望につながるのかもしれないなあ…と、その「映画の力」に驚いてしまうのです。
挿入歌 Katravai Patravai (教え、論議せよ)
*超ネタバレ注意! その溢れ出し暴れ出す色彩の象徴性の、あまりに爆発的なイメージの洪水は、まさに前代未聞!!
受賞歴
2018 Behindwoods Gold Medal 助演女優賞(イーシュワリー・ラーオ)
2019 Ananda Vikatan Cinema Awards 助演女優賞(イーシュワリー・ラーオ)・台詞賞(パ・ランジット & マキズナン・B・M & アーダヴァン・ディーチャンヤ)・音楽監督賞(サントーシュ・ナラヤナン)・スタント監督賞(ディリップ・スッバラーヤン)・悪役男優賞(ナーナー・パーテーカル)
2019 SIIMA(South Indian International Movie Awards) 助演女優賞(イーシュワリー・ラーオ)
「カーラ」を一言で斬る!
・『去れ』をタミル語で言うと『イケ』。覚えました
2019.9.27.
2024.4.13.追記
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