Kaalapani 1996年 178分(180分とも)
主演 モーハンラール & プラブー(・ガネーサン) & タッブー他
監督/脚本/原案 プリヤダルシャン
"また会おう。…もしも、戻って来ることができたなら"
ファンメイド予告編?
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これは、20世紀初めにアンダマン諸島のセルラー刑務所…別名"カーラーパーニー(黒い水)"…で起こった様々な実話を元に描く物語であるー。
時に、1964年8月4日。
インド軍人G・セートゥは、アンダマン諸島の1つロス島に、ある調査のためにやって来る。「ようこそ、セートゥさん。ご存知の通りここアンダマンは、1857〜1947年の間に15万人もの人々が収監されていた場所です。伝えられる所では、その内10万人がここで命を落としたのですよ。あなたの叔父…ゴーヴァルダンなる人物の消息を、その無数の名簿から探せとおっしゃるのですか?」
やる気のない役人を相手にしながらも書庫に通うセートゥは、行方不明の叔父の帰りを待つ叔母パールヴァティのために根気強く過去の刑務所書類を探っていく。そして、ついに叔父の名前が書かれた書類記録を発見。その中に書かれていた事とは…
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1915年3月23日。
ケーララ人医師ゴーヴァルダン・メノン(愛称ウンニ)は、他の独立運動家たちと共にここアンダマン諸島のセルラー刑務所へと連行されて来た。囚人たちは、入島と共に男女別々に分けられ、名前・罪状・刑期を確認されて収監される。
「ゴーヴァルダン…貴方は医者なのですね。それで55人も殺したのですか?」
「……(誰も……私は、誰も殺してなんかいない…)」
挿入歌 Chempoove Poove
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*逮捕前のゴーヴァルダンとパールヴァティのロマンスの図。
この2人の愛が深ければ深いほど、美しければ美しいほど、セルラー刑務所の残酷の現実が対比的に強調されて2人とセートゥを苦しめていく…。
英領インド時代の1896年から、アンダマン諸島に設置された悪名高いセルラー刑務所…別名"カーラーパーニー(*1)"…に収監された独立闘士たちの壮絶な囚人生活を描く、マラヤーラム語(*2)映画。
1958年の同名ヒンディー語(*3)映画とは別物。
それまでのマラヤーラム語映画の公開規模を越える映画館で封切りされた記録破りの大ヒットを飛ばし、ヒンディー語吹替版「Saza-E-Kala Pani」、タミル語(*4)吹替版「Siraichalai」、テルグ語(*5)吹替版「Kaala Pani」も公開された。
セルラー刑務所で実際に行われた事実をエピソードに織り込みながら、そこに送られていった架空のインド人達の獄中生活を通して刑務所内で死んでいった多くのインド人たちの独立への思いを描き出す1本。
雰囲気としては、「シンドラーのリスト(Schindler's List)」や「ライフ・イズ・ビューティフル(La vita e` bella)」といった映画群のインド版というのが一番イメージしやすい感じ。
物語は、インド独立以後の60年代になっても行方不明の叔父を探しに来た軍人G・セートゥが見つけ出した書類を通して、1910年代当時に刑務所内で行われていた虐待・拷問・過重な強制労働の実態を浮かび上がらせる構成。
独立運動家が次々に収監されていったセルラー刑務所と言うのは、インド洋に浮かぶアンダマン諸島を植民地にしていたイギリスによって、政治犯の流刑地として1896年〜1906年に建設され、それ以前から収容されていた囚人も含めて多くのインド人を収監・虐待していた場所。アンダマン諸島自体イギリス人のための居留地開発されているさなかに、強制労働員として活用されていたのを始め、記録上でも強制給餌(*6)、ハンスト抗議や脱走罪に対する見せしめとしての絞首刑、感染症や精神病の悪化の放置などが行われていたとのことで、劇中における囚人達が受ける数々の虐待シーンに反映されている。
本編の物語は、モーハンラール演じる医師ゴーヴァルダンの目線で、無実の罪を着せられて収監された彼とその周りの男囚たちの過酷な生活描写が中心。
当然ながら、登場するイギリス人達はほとんどがインド人囚人を下に見て差別や嫌がらせをしまくる悪役として描かれるものの、最初から囚人達に同情的でゴーヴァルダンの境遇を聞いて故郷への手紙を託される優しいイギリス人医師ジョン・ハットン(*7)が登場したり、刑務所勤務でイギリス人の手先として囚人達を痛めつける残忍なアフガン人職員チーフ ミルザー・カーン(*8)が直接の暴力担当(当初は)になってたりと、それぞれにどちらにも善悪両派が配置されている。その他、脱走したゴーヴァルダンたちが、言葉の通じないアンダマン先住民達に捕まるシーンも出て来て、アンダマンの文化的アピールも視野に入ってるよう(*9)。
想像を越える虐待の数々が実際の記録を元にしているシーンであるというのも恐ろしいものながら、そこで起こった事実が風化・忘却されかけている現代インドに向けて作られている映画でもあり、全ての事実が明るみになった後で、語り手であるG・セートゥが「変えられぬ過去」に対し、国立の記念館になっているセルラー刑務所跡の記念碑に対して敬礼するシーンの重々しさに重なる感情のうねりも見もの。
その上で、叔父の生存への希望を託されたセートゥが、帰郷して叔母パールヴァティ(演じるのは名優タッブー!)を前にして語る願望的な嘘が、「独立を託して死んでいった囚人達」「独立を享受しながら過去を忘れていく現代人達」「その両者の間で苦しむ世代」それぞれに響いていく苦い読後感を与えてくれる。
このセルラー刑務所、実は日本も無関係ではいられない歴史を持っていて、1942年の日本軍のアンダマン諸島占領から太平洋戦争終戦までの間、日本の占領地とされていた場所でもある(*10)。
その期間中にはイギリス側の情報戦に翻弄されて、日本軍のイギリス人やインド人住民達に対するスパイ捜索・拷問・自白強要・処刑も行われていたと伝えられている。
「変えられない過去の事実」を確認した劇中のG・セートゥが、それでも前を向いてインド独立を讃え、年老いた叔母に希望のみを託す姿に、歴史との、戦争との向き合い方も仮託されているように感じてしまうのは、感傷的すぎるのか、映画の複雑な読後感の故なのか。2度と繰り返したくない歴史の有様は、その都度語られる事で色々に意味合いが重なり合っていきます事よ。
挿入歌 Kottum Kuzhal Vizhi
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*本編ではオールカットされた、恋人2人の夢想ミュージカル。
受賞歴
1995 National Film Awards 美術監督賞(サブー・シリル)・撮影賞(サントーシュ・シヴァン)・音響賞(ディーパン・チャテルジー)・特殊効果賞(S・T・ヴェンキィ)
1995 Kerala State Film Awards 次席作品賞・主演男優賞(モーハンラール)・撮影賞(サントーシュ・シヴァン)・美術監督賞(サブー・シリル)・音楽監督賞(イライヤラージャ)・ポスプロ・ラボ賞(ジェミニ・カラー・ラボ)・衣裳デザイナー賞(サジン・ラーガヴァン)
「Kaalapani」を一言で斬る!
・プロポーズの時に、ワニが住むと噂される階段井戸の底まで行って、ワニに食われたふりして気を引こうとするのは『ローマの休日』のオマージュですか?(多分違う)
2023.3.24.
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