Kabuliwala 1957年 106分(116分とも)
主演 チャビ・ビシュァース & ティンクー・タークル
監督/脚本 トーパン・シンハー
"もう1度、もう1度あの子の顔が見たかった…"
ラフマットとミニーの出会いのシーン
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ー遥かな山々の奥から、道は遠い旅路を指し示す。
叙事詩が語るカウラヴァ族の母ガンダーリーもまた、この道を歩みカンダハールからハースティナプラへと旅をした。長き時の中、数多の部族の栄枯盛衰を見てきた細く険しいこの道に、今日もまた名もなき隊商がやって来る。遠くアフガニスタンの辺境から、ここインドへと…。
ヤシーン、アフザル、ラフマット・シャイクー(別名アガ・サヒーブ)は、この厳しい旅を共にする旅商人仲間。しかし、ラフマットだけは、故郷カブールに置いてきた幼い娘ラベヤーのことが気がかりでしょうがない。
インドを1年かけて周る中、カルカッタ(*1)に到着したラフマットは、ドライフルーツ行商で街を練り歩く中、娘とよく似た女の子ミニーと知り合い、次第に仲良くなっていく。毎日ミニーの元へ通って売物のドライフルーツや木の実のお菓子を贈るラフマットを、ミニーの父親は微笑ましく見ているものの、家の使用人等は「カブール人なんか家に入れて、何するかわからないですよ。子供を誘拐するような奴らなんですから」と母親に警告して来る…。
そんなある日、ラフマットの仲間宛の故郷の手紙に「私たちは何事もなく平穏ですので安心してください。しかし、ラフマットさんの娘さんが病気で伏せってしまい心配です」と知らせて来た事から、それを聞いたラフマットはすぐにでも故郷に帰ろうと旅支度をして、売上金を清算してミニーに別れを伝えに彼女を訪ねようとするが、旅立つ直前になって宿の主人は「宿泊料が足りない」と言い始める…。
タイトルは、「カブール人労働者」とか「カブールから来た物売り」みたいな意味? 「Kabuli」が「カブールの」とか「カブール人の」で、「wala」が「働く人」「専門の人」みたいな意味かしらん。
劇中では、主人公ラフマットをはじめとするアフガニスタン人の行商人のあだ名として登場。特に、ラフマットとミニーをつなぐキーワードとして機能している。
ベンガル、そしてインドを代表する文学者ラビンドラナート・タゴール著の同名小説の、初めてのベンガル語(*2)映画化作品。
この原作は、本作ののちにも1961年に同名ヒンディー語(*3)映画が、2006年にも同名ベンガル語映画が公開。さらに、現代版脚色映画として、2018年のヒンディー語映画「ビオスコープおじさん(Bioscopewala)」が公開されている他、タゴール原作群を映像化した2015年放送のヒンディー語TVシリーズ「Stories by Rabindranath Tagore(ラビンドラナート・タゴール物語)」の1編としても映像化されている。
異邦人である主人公が、異邦人の身であるが故に故郷の家族を思う狂おしい郷愁の念に取り憑かれ、その中に見る娘の姿を偶然出会ったミニーに重ね合わせ、そのミニーとのひとときにかりそめの幸せをを感じる姿を周囲のベンガル人が奇異な目で見てくる疎外感・人と人の間にある境界・その寂漠感を強調し、傷害事件によって服役せざるを得なくなったラフマットの中でいやが上にも高まる郷愁の念が、長い年月によって無情にも洗い流されていく人生の虚しさを露わにする。
出稼ぎ外国人労働者を、受け入れる側かつ送り出す側の両面を持つインドにあって、受け入れる外国人を警戒する側のインド人とそれに翻弄されるしかない主人公たち交易商人の視点は、現代社会におけるそれとも地続きな社会状況を醸し出す。
商売上「ベンガル語はあまり得意でなくて…」と言いつつ、特に問題なくベンガル語でミニーその他の人々と交流するラフマットの流暢さは、流暢であるが故に映画前半は特に何も感じないながら、遠い故郷の家族との連絡手段が手紙しかなく、その手紙が届いたとしても文字が読めないために消息がつかめないラフマットの悲しさが、映画後半に明らかになる娘からの手紙の有様で大きな衝撃となるのもうまい構成。電話の類は利用できないものの馬車や機関車を利用しているとはいえ、アフガニスタンからカルカッタへの旅がそう簡単ではなく、相互連絡ですら相当な時間のかかる旅である事が、家族の離散という旅商人たちの悲しさをより強調する。その上で、周りのベンガル人等の「言葉もわからないくせに」「まともな金持ってない奴ら」「人さらいだと聞いた」と言う異邦人への恐怖心・猜疑心・差別意識や拝金主義的態度が、ふとした瞬間に思い切り表に出て来る見えない壁を意識もさせ、より主人公等の孤独感を煽っていく。
そんな中でもお菓子目当てにラフマットに群がって来る子供達や、食堂の安い賃金で働いている労働者等の同情の目が、ラフマットにとっての安心を見出せる瞬間であると同時に作者タゴールの労働者讃歌の態度を見るよう。
主人公ラフマットを演じたのは、1900年英領インドのベンガル州チョタ・ジャガリア(*4)生まれ(*5)のチャビ・ビシュァース(生誕名サチンドラナート・ビシュァース *6)。
学生時代から舞台演劇に参加し、伝説的男優シシル・クマール・バドゥリーの演技に感銘を受けて俳優活動を開始。一時保険会社などに就職して演技から遠ざかったものの、舞台演劇への誘惑を断ち切れず、舞台「Samaj」からプロの役者として舞台演劇で活躍。36年のベンガル語映画「Annapurnar Mandir(アンナプルナ寺院)」で映画デビューする。
以降、舞台上での感情過多な演技を抑制した性格俳優として30年代末〜60年代のベンガル語映画界で活躍。44年の出演作「Pratikar」で監督デビューもしている。父親役や上品な紳士役には必ず名前が挙がる男優として、サタジット・レイ監督も賛辞を贈っていたそうな。
1962年、カルカッタにて自動車事故により物故される。享年61歳。
映画の顔となる幼女ミニーを演じたティンクー・タークルは、後のオインドリラ・タゴール(結婚後はクンドゥー姓)。
本作原作者のラビンドラナート・タゴールの父方の親戚(の子孫)にあたり、姉(妹?)リンクーは後の大女優シャルミラー・タゴールになるタゴール一族の一員。
映画はこれ1本のみの出演ながら、主人公ラフマットの郷愁を刺激する可愛らしい娘の姿をそのままに演じて映画の屋台骨的存在感を見せてくれる。その後の経歴は不明な点が多いながら、姉シャルミラーの出演作である72年のヒンディー語映画「Maalik」で衣裳制作を担当している他、トランプゲームのコントラクトブリッジのプレーヤーとしても有名で、国内の大会で複数のトロフィーを獲得しているとか。その後、若くして世を去ったと言う。
数々のインド映画でもその演技力が光るインドの子役たちにあって、本作のミニー役のティンクーもまた負けない迫力を見せつける。
時に大人をからかい、時に大人に甘え、時に大人に反抗するその芝居が、やや棒読みの感はなくはないけれど、それもまた子供らしい喋りかたに見えるんだから素晴らしや。タゴール原作の映画化作品で、そのタゴール家の子供を出演させるなんて周りの大人たちはさぞ「してやったり」顔をしてたんじゃなかろかと思うけど、その期待に応えるかのようなふてぶてしい存在感を引き出す、出演役者たちとのやり取りだけで、大勝利間違いなしですわ(何に?)。ホント、インドの子供は演じることに慣れてる子が多いわ。
ま、その後ティンクー自身は映画出演しなかった事、妹が学業を諦めて女優業に進んだ事に、何かしら思うところはあったのかも、しれない、けど、ねえ…(しなくてもいい深読み)。
映画ラスト、原作を踏襲する「楽しかった思い出」が「過ぎ去った思い出」として忘れられた過去のものになり、主人公にとっての大切なそれが、その周りの人間にとっては簡単に思い出せないレベルの瑣末な出来事になって行ってしまう喪失感は、同じタゴール原作の映画化「Teen Kanya(3人の娘)」の1編「The Postmaster(郵便局長)」とも共通する人生観。
あちらは、頼れる大人を失った小さな女の子の希望が潰える絶望感を描くものだったのに対して、こちらは娘の面影を重ねていた女の子の結婚式の様子を見て、大人側が時の経過の残酷さを思い知り、さらには故郷に残してきた子供もまた自分を親と認識しないだろうと言う単身赴任状態の親の悲哀までをも表現する絶望感ではあったけれど。
ラフマット、ミニー邸を訪れるのシーン
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受賞歴
1956 National Film Awards 注目作品賞・ベンガル語映画注目作品賞
1957 独 Berlin International Film Festival 銀熊特別賞(映画音楽 / パンディト・ラヴィ・シャンカル)
*本作は、同年のベルリン国際映画祭にて金熊作品賞ノミネートもされている。
「Kabuliwala」を一言で斬る!
・基本、身内・子供以外だと喧嘩腰な会話になるのは、ベンガル人の日常なのか、異邦人としてのカブール人への流儀なのか。あるいはタゴールの表現するベンガル社会への諧謔なのか。
2024.8.22.
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