カーンチワラル サリーを織る人 (Kanchivaram) 2009年 117分 古より、インドではパットゥ(=絹)は"純粋"の象徴として、人生でかならず2度身につけられる。 1度目は結婚。2度目は葬儀。その時には、ヒンドゥー教徒はかならず高級な絹製衣裳で全身を飾るのだが、それを作る絹織工たちは、それすら満足に手に入らぬ貧困の中にいる。 …改革が起こるまでは。 インド独立間もない1948年2月。サリー職人のヴェンガダムは仮釈放を許され、雨の中、2人の警官と共に故郷カーンチワラルへと運ばれていく。彼は、その道中の景色や音から、在りし日々を思い返していた… ***************** 「絹織工たちは、その貧しさ故に一生シルク・サリーを買う事はできない」 サリー産業の中心地、タミル・ナードゥ州カーンチワラルの職人たちの常識である。そんな中「結婚する時は、嫁にシルク・サリーを着せる」と豪語していたヴェンガダムの結婚式が行われるも、村人が注目する新婦アンナムのサリーは、やはり安物の木綿製であった。皆が「ほらみろ」と揶揄する中、生まれてきた赤ん坊ターマライのお食い初めの儀式にて、彼は再び「ターマライ、我が娘よ。お前が嫁に行く時は、シルク・サリーを着せると誓う」と宣言して周囲を呆れさせてしまう…。 "南のバラナシ(またはワーラナシー)"とも呼ばれる、インドの高級シルク・サリー2大産地の1方、タミル・ナードゥ州カーンチワラル(*1)で働くサリー職人たちの厳しい環境、激変していく世の中にあって衰退産業にたずさわる人々の悲哀を描くタミル語(*2)芸術系映画。副題は「a communist confession(ある共産主義者の告白)」。08年にトロント国際映画祭で初上映。翌09年にインド公開された。本作は、マラヤーラム語(*3)映画にて、モーハンラール主演でのリメイクが企画されているとか。 日本では、2015年に大阪のみんぱく(国立民族学博物館)映画会の「インド映画特集」の1本として初上映。同年に東京外国語大学の「TUFSシネマ インド映画特集」でも上映された。 もう、とにかく救いのない重ーい映画でありながら、ひたすら画面は美しい映画でありました。 冒頭、仮釈放されるヴェンガダムが運ばれる激しい雨の状景が冷徹な青黒い画面で現され、彼の回想する過去の状景が微妙にセピア色調な画面になってカーンチワラルの絹織工の生活を描いていく。 国内外で高い評価を受けながら、低賃金で劣悪な生活環境の中で生きていく絹織工たち。その喜怒哀楽、誕生と死、冠婚葬祭、その衣食住を丁寧に描きつつ、ポジティブに物事を良き方向へと変えていこうとする一職人ヴェンガダムの、ささやかな願いを叶えるために奔走する健気な姿勢描けば描くほど、事態の悪化を止められない人生の虚しさが強調されていく。 旧態依然の村々と新技術の到来で変わりゆく世の中、労働者環境の向上を目指す共産主義への期待とそれ故に起こる挫折と悲劇、先の見えない流転を繰り返す人生、子供の教育と将来像の多様化…シルク・サリーを手に入れるために職人世界の改革に乗り出しながら、自身の望みのために数々の不幸と衝突・人生の袋小路に向き合わねばならなくなるヴェンガダム。なぜにこうも、世の中は人に厳しく、人の希望は生きる望みを潰しにかかるのか。伝統技術の衰退を止める術がないように、一人の人間の夢もまた、誰にも止められないと同時に、変化し続ける世の中でその夢を持続させる術もまたどこにもない。 カーンチワラルでも屈指の技術を有するヴェンガダムが、秘密裏に自宅で製作していた娘用のシルク・サリーの鮮やかすぎる赤、きらびやかな金糸装飾が、彼の人生の苦悩と不幸、狂気や死の匂いまで浮かび上がらせるかのよう。 監督と脚本、原案を務めたのは、1957年ケーララ州ティルヴァナンタプラム生まれの映画監督兼脚本家兼プロデューサーでもあるプリヤダルシャン(・ソーマン・ナーイル)。 大学司書の家に生まれ、哲学を修了。学生時代から国営ラジオ局で働きはじめ、モーハンラールを始めとした友人たちと映画界へ入るためチェンナイに移住してスクリプトライターを始めるも、めぼしい仕事をもらえず一旦帰郷。しかし、その後マラヤーラム語映画での助監督や脚本などを経て、84年に友達と共に映画出資者に企画を売り込んで資金を得た上で、友人モーハンラール主演で「Poochakkoru Mookkuthi(猫に鼻輪)」を発表して監督デビューしロングランヒットさせる。 さらに同じ年にスラップスティック・コメディ映画「Odaruthammava Aalariyam」を公開して、すぐに年に何作も映画を製作するインド有数の多作監督兼脚本家として活躍。87年には「Chinnamanikkuyile」でタミル語映画に、91年の「Nirnayam(決断)」でテルグ語映画に、翌92年には「Muskurahat(笑顔)」でヒンディー語映画に監督デビュー。その後もこれらの映画界で多数の監督・脚本作を発表し、00年代中盤からヒンディー語映画界で主に活躍していたものの、本作以降、再びタミル、マラヤーラム語映画でも活動を広げていってるよう。 主役のプラカーシュ・ラージ(*4)は、本作初上映時の08年には他にタミル語映画9本、テルグ語映画5本、プロデュース作2本をかかえ、本作がインド公開される09年にはタミル語映画5本、テルグ語映画4本、ヒンディー語映画1本に出演と言う活躍ぶり。 本作でも数々の主演男優賞を獲得。 前半のヒロイン アンナムを演じるスリヤー・レッディは、1983年アーンドラ・プラデーシュ州ハイデラバード生まれのモデル兼女優兼VJ。 クリケット選手の父を持ち、工大に進学するも、父の友人からその美声を讃えられてモデルを志望。父の反対に遭いながら、オーディションを勝ち抜き音楽番組の司会を任され一躍有名人になっていく。映画界からのオファーを受け、反対する父を無視して02年のタミル語映画「Samurai(サムライ)」に特別出演して映画デビュー。03年公開のテルグ語映画「Appudappudu」で主演デビューする。翌04年にはマラヤーラム語映画「Black: The Man From Darkness(ブラック:闇からの男)」、英語映画「19 Revolutions(19の革命)」にもデビュー。その後、主にタミル語映画界で活躍して、本作でフィルムフェア・サウス(タミル語映画)やヴィジャイ・アワードから主演女優賞ノミネートされるも、同年に役者兼プロデューサーのヴィクラム・クリシュナと結婚して女優業を引退。夫と共にプロデューサーとして働いていたが、14年より企画スタートしている「Andaava Kaanom」と言う映画にて女優復帰したと言うニュースあり。 後半のヒロイン ターマライを演じるのは、1992年ラジャスターン州ビーカーネールのタミル系ヒンドゥー教徒家系生まれのシャンムー(*5)。 幼少期に、コンピューター技師の父の仕事の関係で米国はフロリダへ一家で移住。高校時代に彼女のバラタナティアム(*6)を見た映画クルーに誘われて、08年のタミル語映画「Dasavathaaram(第10の化身)」で映画デビューする。その後、プラカーシュ・ラージのプロデュース作「Mayilu」のオーディションで見出され主役に抜擢。その公開が遅れる中(*7)、本作に出演してフィルムフェア・サウスのタミル語映画助演女優賞を獲得。大いに賞賛される。 その後も数作主役・特別出演を務めるも、「Mayilu」の公開を待たず11年に女優引退してフロリダに帰郷し、大学にて医学を学んでいるとか(2015年現在)。 劇中、共産運動に触れる事で立ち上がる絹織工たちの革命によって、職人たちの相互補助組合が結成された事は実際にあった事らしいけど、結局現在のインドでは絹の手織り産業は衰退の一途をたどり壊滅的な状況とかで、より派手で大量生産可能な化繊産業に市場を奪われ続けているのだとか。 植民地時代から、伝統工芸や芸能の保存運動は何度も起こってその都度、専門の職人たちの生活改善が叫ばれるものの、そこから救われる人々がいる一方で逆に救われないまま滅んでいく人々もいる。時代の流れと言ってしまえばそれまでだけども、それぞれの伝統技術の価値が問われ直される現在、どんな仕事も明日は我が身だよなあと考えてしまうと、今現在の人の幸福のために開発されるテクノロジーとか専門技術、新技術とはなんなのか、本当に人や技術が幸福を追求しているのかどうかを考えてしまいますなあ…。
受賞歴
「カーンチワラル」を一言で斬る! ・共産主義者の作家が作った絹織工革命劇、やっぱ悪は血まみれにしないと気が済まないのねぇ(対する現実の、血が出ないが故により残酷な状況ってのが、さらに悲惨度を上げていくけど…)。
2015.12.25. |
*1 現地発音。一般名称ではカーンチープラムまたはカーンチ。旧コンジーワラル。 *2 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。 *3 南インド ケーララ州の公用語。 *4 本名プラカーシュ・ラーイ。1965年バンガロール生まれ。 *5 生誕名シェーリン・ラーマリンガム。 *6 タミルの古典舞踊。 *7 結局、12年に公開された。 |