監督を務めたアドール・ゴーパラクリシュナン(生誕名モウタトゥ・ゴーパラクリシュナン・ウンニタン)は、1941年英領インド内にあったトラヴァンコール藩王国マンナディ(*2)の民族舞踊カタカリを伝える家系生まれ。
8才頃からアマチュア劇団に参加して、俳優から始めて脚本・演出を担当していったそう。長じてタミル・ナードゥ州に移って61年に経済学、政治学、行政学の学位を取得してティンドゥッカル近郊で政府職員として働き出すも、翌62年には仕事を辞めて、奨学金を得てプネーの映画&TV研究所の脚本コースと監督コースに進学。そこの友人たちと、ケーララ州初の映画協会となるチトラレーカー映画協会とチャラチトラ・サハカラナ・サンガムを設立。マラヤーラム語映画界に"アート・フィルムズ"と呼ばれる新潮流を生み出していく。
65年に短編映画「A Great Day」で監督デビューし、翌66年には「A Day at Kovalam」でドキュメンタリー監督デビュー。以降、ドキュメンタリーを多数手がけていきながら、並行して72年にマラヤーラム語映画「Swayamvaram (One's Own Choice)」で長編劇映画監督デビューとなって、ナショナル・フィルムアワード作品賞、監督賞ほかを獲得。世界各地の国際映画祭に出品されてもいる。この映画は、マラヤーラム語映画として初めて国際的に注目された映画として歴史に名を残し、その偉業を讃えられている。
以降、マラヤーラム語映画界でドキュメンタリー監督とともに劇映画監督としても活躍し、監督作は軒並み国際映画祭にて注目され多数の映画賞を獲得。世界各地の映画祭で回顧展も開催されている。本作は、劇映画としては2本目の監督作。
74年には全国映画賞委員会の委員に選抜されたのを始め、数々の映画関係の国や州の役員・委員、世界各地の映画祭審査員にも就任。84年には、国からパドマ・シュリー(*3)を贈られ、04年には功労賞ダーダサーヒブ・パールケー賞を、06年にはパドマ・ヴィブーシャン(*4)も授与されている。