インド映画夜話

Lajja 2001年 165分
主演 マニーシャー・コイララ & レーカー & マードゥリー・ディークシト & マヒマー・チョウドリー
監督/原案/製作/脚本 ラジクマール・サントーシ
"これは絵空事ではない。現実に今も起こる悲劇…"







 NYに住むヴァイデヒーは、女遊びばかりの暴力夫ラグヴェール(通称 ラグー)に苦しめられ、ついにはインドの実家に送り返されてしまう。しかし両親は、良き妻として夫の元へ帰るよう彼女を説得するだけ…。
 ほどなくラグーから謝罪の電話が来るものの、ラグー担当の精神科医の連絡によれば、彼は交通事故に遭い、その後遺症で性的不能になったために、妊娠しているヴァイデヒーの子供を確保しようとしているだけだと言うのだ!

・マイティリー編
 インドにやって来たラグーから逃げるヴァイデヒーは、こそ泥のラジューにかくまわれ、見ず知らずの結婚披露宴の行列に紛れ込む。
 新婦マイティリーと知り合う2人だったが、喜ぶマイティリーとは裏腹に、彼女の父親はダウリー(結婚持参金)の値上げに苦しめられており、これに気づいたヴァイデヒーが新郎新婦に相談を持ちかけるも、新郎は我関せず。
 しだいに結婚式そのものの雲行きも怪しくなって行く…。

・ジャンキー編
 とある劇団一座に迎えられたヴァイデヒーは、劇団の女優ジャンキーの部屋に通され、妊娠初期で結婚間近と言う彼女と親交を深めていく。
 ジャンキーは、座長の息子マニーシュと結婚して、デリーで一旗揚げるのを夢見ていたが、ある公演中に彼から「君とは結婚しない。結婚したとしても子供はいらない」と一方的に告げられてしまう!
 怒り心頭のジャンキーは、ラーマーヤナ劇の中でシーター姫の台詞を借りてマニーシュへの文句をぶちまけるが、これに驚いた観客は「神聖な劇が汚された!」と暴徒化する…。

・ラムドゥラリー編
 ヴァイデヒーは列車での逃避行中にダコイット(山賊)に襲われるも、偶然そこに居合わせた別のダコイットの首領ブルヴァに救出され、近くの村にあずけられる。

 彼女を看病していたラムドゥラリーは助産婦。人権意識向上のため、村の女性たちの教育にも力を注いでいる人物だった。
 しかし、彼女の息子が地主の娘と恋仲になったことから、地主のタークル兄弟の怒りを買い、ついには命をねらわれることに! 息子の命を救おうとタークル兄弟に嘆願に来るラムドゥラリーだったが、長年兄弟の反感を買っていた彼女はリンチの末に監禁される…!


挿入歌 Badi Mushkil (それは重大な問題)

*マードゥリーとマニーシャの身体の動かしかたの違いにちゅうもーく!


 タイトルの意味は「恥」。
 耐える女がよく似合う(…気がする)マニーシャーを狂言回しに、大物俳優を使いまくった三者三様のインド女性の悲劇を描くオムニバス映画。
 「女盗賊プーラン」なんてものもありますが、インドではまだまだ女性への差別は過酷を極め、その解決は一向に見えない状態なんですなぁ…。


 最初の話は、マヒマー扮する新婦マイティリーの、結婚式の裏で画策するダウリー(*1)問題。
 法的には禁止されているこの風習は、中世後期に始まったと言うけれども、時が進むにつれて額が高騰して行き、今では「マハラジャも、娘三人いると(その結婚資金で)家がつぶれる」と言われるほどに結婚の障害となっているそうな。しかも、ダウリー欲しさに結婚後に妻を殺して再婚を繰り返す輩もいるそうで…。
 80〜90年代には、家計を助けるために自殺する少女や、女の子を間引きする事件が横行して、インド人口の中の男女比が大きく傾いたとかなんとか。


 続いては、マードゥリー扮する舞台女優ジャンキーを襲うサティー(火中殉死)劇の悲劇。
 劇中、演じられるのは「ラーマーヤナ」の終幕。悪魔ラーヴァナから解放されて、主人公ラーマ王子の元へ無事に戻れたシーター姫。しかし、ラーマからその貞操を疑われ、聖火の中に飛び込んで無傷で出てくることでこの疑いを晴らす…と言う話だけれども、この部分は貞操観念が厳格化・男権化してきたバラモン教時代に追加されたエピソードだと言われている所。

 いわゆる寡婦殉死の変形なわけだけど、一方的に疑われ、一方的に火に飛び込むことを要求されるシーターの悲劇に仮託して、ジャンキーは自分の言い分を激白するも、周囲は劇中と同じくシーターの言い分など理解しないまま、彼女を死地へと平然と追いやっていく。
 他の映画でも時々言及されるけど、女神への信仰は厚いのに、現実の女性をないがしろにするのが、現在のインド社会の姿と言う事でしょか。


 最後は一番救いのない、孤立集落の旧来的な社会構造から来る女性差別。
 レーカー扮するラムドゥラリーによって描かれるのは、ダウリーの負担や肉体労働に向かない女児を間引きする現場や、専制君主的な地主の欲望に振り回される女性の現状などなどなど…。
 ダコイットたちのアクションシーンが、なんとなく西部劇的な派手さに彩られているものの、そこに見えて来る女性たちの姿は悲惨の一言。

 お話のオチが、かなりムリヤリな形でのハッピーエンドへと流れて(!!)、それぞれのキャラがなんとなく落ち着いたエンディングを向かえる中、ラムドゥラリーだけは、絶望的な形で死んで行く(*2)。
 3人の悲劇で怖いのは、周辺の人間たちの無理解。特に、同じ女性側からも差別される女性は悲惨の二乗ですなぁ…(*3)。


 同じ構造の話が3回繰り返される、と言うのは口承文学ではよくあるパターンだけど、細部にかなり気を使った演出方法で問題に体当たりしていて、徐々に舞台が時代を遡ってるかのごとく旧来的な場所へ移って行く所なんかも構成的に秀逸(*4)。
 オチのハッピーエンドには驚いたものの「まぁ、よく出来てる…かな」と言いたくなる映画マジック!

 部分部分で小ネタ的に「ラーマーヤナ」についての話が出て来るけど、なんかしらオマージュ的な隠喩でもある…のだろか(*5)。

 女性問題にクローズアップされる物語では、当然ながら出て来る男はどいつもこいつもとんでもない野郎ばっかだけど、良き理解者としてアニル・カプール扮するこそ泥ラジュー、「全ての女性は我が母だ」と語るアジャイ・デーヴガン扮する義賊ブルヴァ(*6)の2人が登場。
 さらに、名優ジャッキー・シュロフ演じる暴力夫ラグーの手下に、ジョニー・レヴァーとラザック・カーンがコメディリリーフ的に登場。
 その他にも、劇中ではインドの習俗をカリカチュア的なユーモアで配置していて(聖牛の尿をありがたがったり…)、映画がシリアス一辺倒になるのを防いでいる…のか?


挿入歌 Saajan Ke Ghar (最愛の人の家へ)

*ゲスト出演は、ソナーリ・ベンドレ。

2011.1.7.



受賞歴
2002年 Zee Cine Award 助演女優賞(マードゥリー)



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*1 新婦が新郎一家に払う結婚持参金。
*2 大女優レーカーの,迫真の演技に注目!
*3 ま、最後の最後には、たまりかねた女性たちの反乱が起こるけれど…。
*4 しかも、各主役の女優の年齢も並行して上がって行ってる…。
*5 ひょっとして、ラジューやプルヴァはハヌマン役なのか! あぁ、現代には魔王ラーヴァナはいてもラーマはいない…。
*6 なんかスゴくノリノリな演技…。