略奪者 (Lootera) 2013年 135分 *「小説を書いてるの?」「ええ」 「どんな話?」「…ただのお話よ」 「男の子は出てくる?」「ええ」 「女の子は?」「…ええ」 「2人は愛し合うように?」「……いいえ」 「ハッピーエンドになる?」「…わからないわ」 1953年の西ベンガル州マニクプール。 ザミンダール(荘園主)の娘パーキー・ロイ・チョウドリーは、使用人が運転する車を無理強いして自分で運転していた所、考古学者のヴァルン・シュリーワースタヴを怪我させてしまう…! 治療後そのままザミンダールの屋敷を訪ねるヴァルンは、荘園内にある遺跡調査を願い出、助手デーヴダースと共に屋敷での宿泊を許可される。パーキーは、徐々にヴァルンとの仲を縮めていき、いつか絵を勉強したいと言うヴァルンに油絵を教えるように。 両者の気持ちが通じ始めた頃、西ベンガル州が荘園接収法を施行。ザミンダールの土地・財産のほとんどが州政府所有となる事に怒るソウミトラ・ロイ・チョウドリー(パーキーの父)は、ヴァルンの勧めに従って先に家財を現金化する事を決断。 同じ頃、助手に何事か説得されたヴァルンは、突然パーキーを遠ざけて「あと一週間でデリーに帰る」と語りだす。悲しみにくれるパーキーは、ヴァルンを責め続けずっと屋敷に留まるよう懇願。悩むヴァルンは、逡巡の末パーキーとの結婚をチョウドリー氏に願い出る。 もはやなんの財産も持たないザミンダール邸にあって、娘の幸福のみを生きる支えにしようとするチョウドリー氏はヴァルンと娘の結婚を許可するも、結婚式の朝、予想もしていなかった事実を突きつけられる…!! 1年後。パーキーはヒマーチャル・プラデーシュ州ダルハウジーにいた。持病の喘息から悪化した結核を止める術もなく、かつての使用人の世話になりながら貸家のオーナーをしている彼女は、病魔と闘いながら夢だった小説の執筆だけが生きる支えとなっていた。そこに、ある人物が訪ねてくる… 挿入歌 Sawaar Loon ([人生は今日、変わっていく。そう、なぜこのチャンスを利用せず、] 私は心を治そうとしないのだろう) *人待ち顔のお嬢様パーキーがなんともお美しい。ああ、こんな先生がいたらなんぼでも絵を描いちゃうよー(俗にまみれた願望) サンジャイ・リーラ・バンサーリーやアヌラーグ・カシャプのもとで長らく助監督をしていた脚本家兼プロデューサーでもあるヴィクラマーディティヤ監督の、「Udaan(飛翔)」に続く2作目の監督作。O・ヘンリーの短編「最後の一葉」をアイディア元にした、世界的大ヒットロマンス映画である。 日本では、2014年IFFJ(インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン)にて上映。 大・傑・作! これはインド云々関係なく、世界の映画を語るなら見ておかないといけないとんでもない映画デスわ!! …ま、わたしゃこう言う文芸テイストを醸し出す映画に弱いのかもしれない。うん(*1) 練り込まれた脚本、細部に目が行き届いた演出、美しくかつ緊迫感も併せ持つカットの数々、変転する世の中にあっての人生の移ろいやすさを描き出す一級の映像表現群…。決して急ぎすぎない、どちらかと言えばゆったりしたシークエンスが多いにも関わらず、それら全てが2時間15分の中で様々に映し出される様は圧巻! 前半、セピア色調の近代ベンガルの緑豊かな荘園を舞台にしたパーキーとヴァルンの恋物語は、それだけでも文芸ロマンス映画のような完成度。詩情豊かかつ退廃的な空気の中で、時代に滅ぼされて行く側のザミンダールを素材として、わがままなお嬢様と野心ある青年との関係性を華やかに静かに、愛らしく描いていく。 しかし、中盤から雰囲気はただのロマンス劇を離れて不穏な空気を漂わし始め、衝撃のインターミッション前を挟んで、後半は光と影の白黒画面が多くを支配する冬のヒマラヤ山間部を舞台にして、憎しみと愛情が交錯する2人の再会を軸に、警察も交えたサスペンス劇へと物語は昇華される。パーキーにはパーキーの、ヴァルンにはヴァルンの相手への思いがあり、それがために死が予兆されるさまざまなシークエンスを乗り越え、(多少予定調和的に)「最後の一葉」をモチーフとするラストのオチへとつながっていく。なんと言う映像美であり、物語の美しいことか。 前半の、初めて屋敷に電灯がつけられた事をスイッチを入れたり切ったりして無邪気に楽しんでいたお嬢様パーキーは、後半、ただ一人孤独の中の山小屋にて、執筆作業用机においてある電灯を同じように点けては消しながら父の死を思い出しているシークエンスが象徴的。その間に流れた時間と、失ったものの大きさと、自分の変わりようを、噛み締めるような諦めようとするような、そんな仕草1つにも前半と後半のつながりが強調され、より人生の孤独と愛憎の様が浮かび上がっていく。タイトルにしめされる「略奪者」とは、「だれ」が「だれ」から「なに」を奪っていったのか……様々な解釈が成り立つ映像詩表現は、一分の隙もなく見る側を圧倒させてくれる。これは絶対見ておいて損はないよ! 主役ヴァルン演じるランヴィール・シン(・バーブナーニー)は、1985年ムンバイ生まれ。親戚には、同い年の女優ソーナム・カプール、その父親のアニル・カプール親子がいる。 幼い頃から演劇に参加して映画俳優を志望するものの、映画産業との縁に恵まれず商科大学卒業後に米国留学してブルーミントンのインディアナ大学で文学を修了。その後インドに戻ってコピーライターとして働き始めるも、真剣に映画俳優を目指すために仕事を辞めてオーディション生活に集中。3年間厳しい生活を強いられながら、ついに2010年「Band Baaja Baaraat(結婚式バンド狂騒)」にて大型新人としてデビューを飾り、一躍トップスターに躍り出る。11年の同じアヌシュカーとの共演作「Ladies vs Ricky Bahl(レディーVSリッキー)」を挟んで、本作が3作目の主演作。同じ年には、ディーピカと共演した「Goliyon Ki Rasleela Ram-Leela(銃弾戯曲 ラームとリーラ)」、ゲスト出演の「Bombay Talkies(ボンベイ・トーキーズ)」にも出演と、その人気はすでに不動。今後の活躍が最も期待される若手スターである。本作では、後半の銃で撃たれた傷をかばいながらの演技にリアルさを出すため、自ら安全ピンで身体を何度も傷つけて現場に望んだと言う(*2)…ヒィィィィィ。 ヒロインのパーキーを演じる映画一族出身のソーナクシー・シンハーは、ファッションデザイナーを経て「ダバング(Dabangg)」の鮮烈デビュー以後順調にキャリアを伸ばし、本作公開の13年には「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ムンバイ・ドバラ(Once Upon Ay Time In Mumbai Dobaara!)」「Bullett Raja(弾丸ラージャ)」「ロミオ・ラージクマール(R... Rajkumar)」に主演、「Himmatwala(勇者)」「Boss(ボス)」にはゲスト出演と言う活躍ぶり。特に、本作のパーキーの演技に関しては批評家たちから絶賛され、彼女の新たな代表作となるかもしれない人気を勝ち得ている。 前半の舞台となるベンガル地方は、サタジット・レイや詩聖タゴールを始めとした近代インドにおける文芸活動の中心地の1つとなった土地柄(*3)。 対して、後半の舞台となるヒマーチャル・プラデーシュ州ダルハウジーは、首都デリーの人々の避暑地として有名な他、解説頂いた所によると材木や水・氷資源の交易地として古くからデリー周辺とつながりを持っていた土地柄だとか。物理的距離では双方ともデリーからはある程度距離があるものの、近代と言う生活環境の激変期において、インド中心部の人々(=ヴァルンたち)から見た「郷愁を醸し出す、別のインド」を感じさせる舞台…ってなこともあったりなかったり?(*4) 挿入歌 Shikayatein (苦しみは [次第に消えて行き]) *超ネタバレ注意! …でもいいシーンや…。
受賞歴
「略奪者」を一言で斬る! ・50年代のベンガル語映画も見たい!
2015.2.13. |
*1 おそらくは映画バカの親から受けた教育の影響か…。 *2 周辺の映画情報を信じるならば。 *3 おそらくは、50年代のベンガル語映画に対するオマージュもそこかしこにある…? 劇中、ベンガル語映画も登場してるけども。 *4 ホントかどうかは…インド人に聞け! |