死の丘 (Mohenjo Daro) 2016年 176分
主演 リティック・ローシャン & プージャー・ヘーグデー
監督/脚本/原案 アシュトーシュ・ゴーワーリーカル
"なぜ来た…。ここは貪欲なる街、盗賊どもの巣食う街だぞ!!"
紀元前2016年。スィンドゥ(=インダス)河下降のアムリ村。
村一番の勇敢なる青年サルマンは、大都市モヘンジョ=ダロヘ行く夢を抑えられず親友ホージョーとかの大都市を見てみようと村の商隊に参加して行く。旅立つ彼に、育ての親でもある叔父夫婦は"一角獣の碑文"が刻まれたお守りを与えて送り出すのだった…。
大都市モヘンジョ=ダロに到着したサルマンは、その街並にどこか見覚えがあるような感覚に捕らわれ、突然狂人から「すぐに帰れ! お前が身を滅ばしたくなければ!!」と凄まれ戸惑うものの、商店区画に現れた大司祭の娘チャンニーに一目惚れしてしまい…!!
同じ頃。この都市の元老院会議で、"近郊の都市ハラッパー攻略"のための新税負担を提案していた大首長マハムとその息子ムーンジャは、これに反対した農民代表団を殺し、自らがモヘンジョ=ダロの支配者であることを首長たちに見せつけていた…。
挿入歌 Sindhu Ma (ああ、母なるスィンドゥよ)
*スィンドゥとは、インドにおけるインダス河の名称。漢訳名「辛頭河」または「信度河」。
古代のペルシャ語でヒンドゥシュとも呼ばれてギリシャ語に取り入れられ、それがラテン語化したのが「インダス」。「ヒンドゥー」「ヒンディー」「インド」と言う名称もここに端を発している。
原題は、言わずと知れた古代インダス文明を代表する都市遺跡の名前。
その語義は「死の丘」。遺跡周辺の人々が呼んでいた呼称であり、元々の都市名は現在の所まったく判明していない(*1)。
歴史大作「ラガーン(Lagaan)」「Jodhaa Akbar(ジョダーとアクバル)」などで知られるアシュトーシュ・ゴーワーリーカル監督による、インダス文明最大級の古代都市を舞台にした、ヒンディー語(*2)史劇登場!!
インドの他、アラブ、オーストラリア、オランダ、ノルウェー、パキスタン(*3)、米国、ドイツなどでも一般公開された。
日本では、2017年にインド映画同好会にて「死の丘」のタイトルで上映。
あの「Jodhaa Akbar」の主演男優&監督コンビの歴史大作と言うことで、予告編登場からワクワクしてたんだけど、どーもインド本国での評判が芳しくなくて、そんなに期待しないで見てたわけだけど、まあ下がりまくった期待値に答えるかのような、印象に残んない映画でしたな。
この映画最大の魅力は、いまだに謎が多く詳細が判明していないモヘンジョ=ダロの都市構造を映像で再現してみせた所。
監督が3年を費やしてインダス文明を徹底的に研究し、考古学者や発掘調査隊を取材して書き上げたと言う脚本を元に、大規模なセット美術や小道具にも専門家による考証を徹底させたと言うその画面は圧巻の一言。インド文明の遠い起源となるインダス文明下の人々の暮らしを描き出したと言うことでは野心的な作品とは言える。
舞台となる紀元前2016年頃と言えば、インダスとも交流のあったメソポタミアではシュメール文明下のウル第三王朝あたりの時代。アッシリアの拡大時期でもあり、エジプトでは古王国時代に続くエジプト再統一がなされた中王国時代。ギリシャでは謎の多いキクラデス文明の後期にあたり、徐々に後発のクレタ文明に吸収され始めている頃か。中国では、最古の王朝とされる伝説上の夏王朝の成立時期もしくは成立以前と言う遥か古代。
世界各地の文明の神話時代にもあたるこの時代は、当然ながら多くの歴史的事実が判然とせず、ことにインダス文明は今なお、ほとんどが調査中の段階。
アーリア人の侵入より遥か以前であり、ヒンドゥー叙事詩の原型が生まれたとされる十六大国時代なんてもっと後世の出来事。発掘調査におけるインダス文明や生活様式も諸説ありで、ハッキリしないような時代を映画の舞台に選んだ上での取材は、大変だったんだろうなあとは思うけども。
ただ、舞台設定で精力を使い果たしたのか、劇中物語自体はどこにでもある時代劇のそれで、映像自体もなんか歴史番組の資料映像を見てる感じ。
映画として、特にモヘンジョ=ダロが舞台である必然性が感じられず、「十戒」とか「グラディエーター」みたいなイメージが常につきまとう。モヘンジョ=ダロ遺跡が市街地区と城塞区に別れていることの反映か、この2層都市に暮らす庶民と権力者の対立を背景にした階級闘争劇が展開するあたりも「70年代か! まさか、今の世界情勢に対しての監督なりのアピールか!?」とか変なことを勘ぐりたくなる既視感あふれるお話が続く。
監督の代表作「ラガーン」に見られた、黒沢リスペクトのような背景舞台に染み付いた生活臭のようなものは本作では感じられず、人の暮らしぶり、各地から集まる各部族の伝統的背景、支配者たちの歴史的背景などの描き方は、全部が全部薄っぺらい感じ。インダス文明そのものがいまだに文字の解明も出来ていない状況での、その背景となる世界観の構築がどうしてもおおざっぱにならざるを得ないってのは、あるだろうけどねえ。
監督&脚本を務めたアシュトーシュ・ゴーワーリーカルは、1964年マハラーシュトラ州ムンバイ生まれ。
84年に、アーミル・カーン主演のヒンディー語映画「Holi(ホーリー祭)」で役者デビューし、80年代中盤〜90年代にかけて活躍する中、93年の「Pehla Nasha(初酔い)」で監督&脚本デビュー(*4)。
続く95年の監督作「Baazi(ゲーム)」でアーミル・カーンを主役に迎えたことで、彼の協力を得て3本目の監督作となる01年公開作「ラガーン」を監督して大ヒットさせ、国内外でさまざまな映画賞を獲得。インド映画史上初めて米国のアカデミー外国映画賞ノミネートされ大きな話題を呼びこととなった。
この後、アーミルからハリウッド進出を持ちかけられるもこれを拒否してインドに残り、4本目の監督作となる04年の「Swades(祖国)」で、監督&脚本とともにプロデューサー&歌手デビュー。続く08年の「Jodhaa Akbar」が再び世界的大ヒット作となり脚光を浴びる。
本作は8本目の監督作で、同じ16年にはマラーティー語(*5)映画「Ventilator(通風孔)」に主演して、17年ぶりに俳優業に戻っていたりする。
主役サルマンを演じたリティックが、本作のためにボリウッド俳優史上最高額となる68カロール(*6)を製作費に提供したと言うその画面は、確かに美しいし大規模なスケールながら、同時代に「バーフバリ(Baahubali)」を作ってるテルグ語映画界なんかと比較するとやっぱどーも映画に引き込まれるパワーが圧倒的に足りないんだよねえ...。
ヒロインのチャンニー(*7)はお綺麗だし、時代に合ってるのかよくわかんないけど美しい衣裳もあって印象的ながら、特にキャラとしてはなんも目立たない役柄。
悪役マハム(*8)も、どこにでもいる悪役の域を出ず、その牛角の大首長の冠(?)のダサさもあいまって「しょーもな!」って感じが、映画の印象をより薄くしてしまって…ねえ。
あと、どーしても気になってしまうのが、主人公が商売のために持って来た村の特産品について。
英語字幕では「Indigo」って書いてたけど、実際のインディゴ(=インド藍)って植物染料であって鉱物ではないんで、その辺ヒンディーではなんて言ってたノォォォォォーーー!!!(*9)
挿入歌 Mohenjo Mohenjo (モヘンジョ・モヘンジョ)
*あいかわらずのリティックダンスの身の軽さはさすがながら、あいかわらずダンス中の笑顔がウソくさいよリティック…。
「Mohenjo Daro」を一言で斬る!
・【チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ(Chandni Chowk to China)】に続き、この映画にもホージョーが!
2017.8.17.
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