メアリー・コム (Mary Kom) 2014年 122分 2007年の北東インド マニプル州インパール。臨月のメアリー・コムは、治安部隊のゲリラ掃討下の戒厳令の夜に、夫と共に病院へと急ぐ。夫をゲリラと疑い拘束する軍人が照らすライトは、朦朧とした彼女に過去の記憶を呼び起こしていた… ********** 1991年のマニプル州カンガティ。その夜も、同じように武装闘争で焼け落ちた街の中に彼女はいた。子供だった彼女が町の残骸から見つけたもの、それは…ボクシンググローブ。 時は過ぎ、2000年のインパール。高校生になった彼女…マングテ・チュンネイザン・コムは、男子たち相手に一歩も引かずにケンカする問題児として、友達や親を困らせていた。今日も自分をからかう生意気なマンギーを追いかけて、街中のボクシングジムへと乗り込んでいく。そのケンカを仲裁したボクシングコーチ ナルジット・シンは、彼女が持っていたグローブを見て尋ねる。 「グローブはスポーツの道具だ。ケンカ道具じゃない。お前はボクサーか? ん?」 「今はただのファイターだけど、でも、貴方が教えてくれればボクサーにだってなれる」 「……お前は学ばなけりゃならない事がたくさんある。明日から一ヶ月、朝から来い。いいな」 その日から、彼女のボクサーになるための特訓が始める。だが、その事を彼女は、父親には言い出せないでいた…。 挿入歌 Ziddi Dil (不屈の心) 女子ボクシング世界選手権5連覇(*1)、アジア女子ボクシング選手権4連覇(*2)を達成し、2012年のロンドンオリンピックでフライ級銅メダリストともなった、現役のインドを代表する女性ボクサー メアリー・コム(*3)の自伝「Unbreakable」を原作とする、ヒンディー語(*4)映画。 製作は、Vicom 18 モーションピクチャーズと、映画監督サンジャイ・リーラ・バンサーリの設立したバンサーリ・プロダクションの共同。撮影監督に、アメリカで撮影監督として活躍する日本人ケイコ・ナカハラのクレジットがある事も要注目!(*5) 日本では、2017年にNetflixにて日本語字幕版が配信されている。 インドボクシング界初の金メダリストとなるメアリー・コムの、ボクシングを始めてからインドの英雄として返り咲くまでを描くスポーツ映画であり、1人の女性の人生模様を描いていく一代記でもある。 前半は、マニプル州の農村地帯を舞台に、一人の女性が自らの力でのし上がっていく成功物語を描きつつ、アスリートと言う人生をめぐる父娘対立、女性アスリートをめぐる社会的諸問題も同時に描かれていく。 メアリー・コムの結婚以降を描く後半は、メアリー・コムの名付け親でもあるコーチ ナルジット・シンの重い提言「多くの女性ボクサーが、結婚によってそのキャリアを断たれていった。お前も、これまでの栄光あるキャリアを捨てると言うのか」に予言される、女性が結婚によって"良き妻、良き母"を求められ、今まで築いて来た全てを失う様を描き、そこからメアリーが奮起して前例のないカムバックする様を丹念に描いていく。その上、インドスポーツ協会との軋轢や業界の腐敗具合、民族や女性差別、子育てと自らのキャリアの両立に立ちはだかる様々な社会問題も盛り込まれ、伝説を築き上げたメアリー・コムの闘志の裏にある、一人の女性としての人生上の苦悩を描いていく構成は見事。 前半、臨月のメアリーを一目で「お前知らないのか! あれはメアリーだ」と喝破した武装ゲリラのシーン。中盤、メアリーの偉大さを語りながら目の前で子育てしてるメアリー本人を認識できないボクシングファンのシーンが象徴的。 この、結婚による幸福、夫と子供に恵まれて暮らす幸福の中でくすぶる、今まで自力で築いて来た自身の生き様を、再度自分の手でつかみ取り、ボクシングのみに留まらない様々な障害を克服し、再び世界の頂点へと突っ走るメアリーの、まさに"映画の主人公のような"姿は必見。これが実話が元ってんだから、人間はスゴいネ…。 さらに、映画としての注目所はなんといっても、女優兼モデル兼歌手でありながらアスリートな肉体を作り上げていくメアリー役のプリヤンカ・チョープラーの役者魂! 以前から、「バルフィ!(Barfi!)」「What's Your Raashee?(君の星座は?)」などの変身ぶりで業界を驚かせて来た女優ではあったものの、ハングリーな女子ボクシングの世界に身を投じたメアリーを表現するために、劇中のマナーリーでの本格的なトレーニングをこなしていく、その肉体改造の様子もまた必見。「ターミネーター」のサラ・コナーを演じたリンダ・ハミルトンの変身ぶりを彷彿とさせる役者根性ですわ。 プリヤンカ自身はボリウッドのトップスターよろしく彫りの深い白人系の顔をしているものの、エンディングに写真で登場する本物のメアリー・コムは、日本人にも馴染み深いモンゴロイド系。劇中、主な舞台となってるメアリーの故郷マニプル州はインド最東部の州で、公用語のマニプル語はチベット・ビルマ系の言語。文化的には隣に接するミャンマーとも親近性があって、インド独立以後も何度となく分離独立闘争が起こっている地域だそう。そのため、ヒンディー語映画の舞台になる事自体が珍しい地域であると言うのも注目所(*6)。メアリーの最初の凱旋を祝う故郷の村の民俗舞踊なんか地域文化が見えていい感じですわ(*7)。 本作が監督デビューとなるオムング・クマールは、02年のヒンディー語映画「Na Tum Jaano Na Hum(君は知らない、僕も知らない)」のセット装飾デザインの仕事で映画界入りした人(*8)。その後、主に美術監督を務め、サンジャイ・リーラ・バンサーリー監督作等に参加していく。 自身の監督作のための脚本を練っていた時に、女性伝記映画を撮りたいと脚本家サイウィン・クァドラスと相談していた中でメアリー・コムの名前が出て来たそうで、この時点でオムング監督自身はメアリー・コムの名前もインド女子ボクシング界の事も知らなかったそう。インド国内でほとんど注目されていなかった女子ボクシングを題材にすると言う事で、脚本作りに入りつつ、その許可をメアリー本人に求めた時は、メアリー自身も驚き、冗談ではないかと疑って憤っていたとか。 しかし、12年のロンドン五輪のメアリーの活躍によって、メディアもボクシングに注目するようになった事を後押しとして、サンジャイ・リーラ・バンサーリーのお墨付きを得て企画が本格的にスタート。当初はオファーを断っていたと言うプリヤンカを主役に招いた事で、大きな話題を呼ぶようになった。 贅沢を言えば、試合でのボクシングのテクニカルな部分の描写が希薄…と言うか全くなかった事が残念。まあ、「動け」とか「前へ出ろ」とかくらいはフォローしていて、演技者はしっかりした動きでボクシングを理解してやってた風には見えてくる(*9)。初見ではその部分が気になって「うーん?」って感想だったけど、2度目見て、これは"ボクシングそのもの"を見せるよりも、"ボクシングを通した人生模様"の方を描きたかったって事なんだなって視点が見えて来て満足も満足。いい映画じゃないですか! マイナースポーツを題材にして、これだけ話題をかっさらったって意味では、ヒンディー映画史に一石を投じた必見映画でありまする。 挿入歌 Salaam India (インドよ、我らは貴方に拝礼す)
受賞歴
「MK」を一言で斬る! ・プリヤンカの周りで出てくるモンゴロイド顔の中で、一番メアリーの母親がモンゴロイドしていてホッとしますわ。
2016.3.11. |
*1 02年の45kg級、05〜08年の46kg級、10年の48kg級。 *2 03〜05年のピン級、08年にはピン級銀メダル、10〜12年のライトフライ級。 *3 本名マングテ・チュンネイザン・メアリー・コム。検索したら、日本語版Wikiにも載ってるじゃん! *4 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。 *5 メイキングで、その撮影技法が絶賛されてるよ! *6 もっとも、当のマニプル州では地元文化存続を理由にインド映画禁止令が出てたりするそうで、本作も州内では公開されていないそうな。 *7 実際にああ言う文化なのかどうかは知らないけど。 *8 この映画では、端役出演もしている。 *9 メアリーの対戦相手には、本物のボクサーが招かれて演じていたとか…! |