インド映画夜話

マルガリータで乾杯を! (Margarita With A Straw) 2014年 100分
主演 カルキ・ケクラン
監督/製作/脚本 ショナリ・ボース
"決めつけないで、人生を楽しんでって"






 朝のデリーの通りを、とある一家を乗せたバンが走る。
 運転するのは一家の母シュバンギニ。夫バルラージと息子モヌをそれぞれ送った後は、デリー大学に行く娘ライラのために後ろに積まれた車椅子を用意する。ライラは、生まれつきの脳性麻痺のため日常生活も困難の連続ながら、そんな事は気にせずに大学生活を楽しんでいた。

 友達のロックバンドの歌詞を担当するライラは作家志望。
 彼女作詞の歌"Dusokute (君の瞳に)"はライラたちのバンドをコンテスト優勝に導くも、主催者は"障害者である彼女が作った歌が優勝の要因だった"と発言してライラを落ち込ませる。さらに、元カレを振ってまで彼女が一目惚れしていたバンドボーカルのニマが、自分を愛していなかったと知ったライラは「もう大学にいたくない」と嘆く…。
 そんな娘を見ていたシュバンギニは、ライラに「ニューヨークの大学に行きたくない?」と提案。密かに留学手続きを始めていた母に感激するライラは、父親の反対も押し切って母と2人で米国移住。
 ニューヨークでの刺激的な日々を過ごすライラは、サポート役のジャレッドや、目の不自由なハヌムたちと触れ合いながら、徐々に新たな扉を開けていく…。


挿入歌 Choone Chali Aasman (空にとどくように)



 インドでもなかなか理解が浸透しないと言う障害者の自尊自立の姿、様々な形で社会のマイノリティ側に追い込まれる人々の日常の姿を、さわやかに、瑞々しく描くヒンディー語(*1)+英語映画。
 インド公開に先駆けて、2014年にトロント国際映画祭を初めタリン(エストニア)、ロンドン(英国)、釜山(韓国)、サンタバーバラ(米国)などの映画祭で上映され、多数の映画賞を獲得。検閲委員会からの許可が下りるまでかなりの時間を要したインド本国公開では、2015年に「Choone Chali Aasman (空にとどくように)」のタイトルで公開。大きな反響を呼ぶと共に大絶賛されていった。日本でも、15年にあいち女性国際映画祭で初上映された後、一般公開。ショナリ監督と主演のカルキ・ケクラン来日で大きく注目されていました。
 日本での監督インタビューによると、映画祭上映後に最初に買い付けてくれた外国配給が、日本の会社だったとのこと。

 なにはなくとも圧巻なのは、脳性麻痺の少女ライラを演じたカルキのとんでもない演技力!
 実際に同じ障害を持つショナリ監督の従妹をモデルとして書かれた脚本段階で、監督と脚本家双方の強い要望でオファーされたと言うカルキ。連絡をもらった時点でその脚本を高く評価しながら「自分に演じられるか不安」と返事したと言う話が謙遜に聞こえるほど、この映画の魅力、主役ライラの魅力を充分に引き出して、観客側に忘れることの出来ない印象を与えてくれる。
 撮影に入る前に、監督、監督の従妹マリニとディスカッションを重ね、数ヶ月に渡って共に過ごした体験による、なんとも自然でリラックスしたライラの姿が、リラックスした美しさに彩られる映画の魅力そのものとなっている。なんと素晴らしい人生讃歌であり、画面の美しさであり、人間の素晴らしさであろうか。

 さらに要注意なのが、本作が障害者の社会参加だけをテーマとしているわけではない点。
 登場人物それぞれによって描かれていくのは、健常者と障害者のボーダー、男女のボーダー、大人と子供のボーダー、親と子、妻と夫、家族と友達、インド人と外国人、同性愛と異性愛、友情と愛情、自尊と自虐……。人が生活する上で様々に現れるボーダーそのものの意味を映像的に見せていきながら、意識的にしろ無意識的にしろ人がそのボーダーから思考・行動に与えられる影響を、それぞれに描いていく。
 その数々の問いかけをつなぐ芯となっているのが、主人公ライラの起こす無軌道な若者としての行動力であり、他人との関わり方であり、それを通してのライラの成長である。こんなにも多くの要素を併せ持ちながら、こんなにも前向きで肯定感にあふれる物語が描ける映画の力には、ただただ感心するしかない。映画を見終わった時の、爽快な読後感と言ったら!

 主役ライラを演じたカルキ・ケクラン(*2)は、1984年タミル・ナードゥ州内にある連邦直轄領ポンディシェリ(*3)生まれで、ウダカマンダラム(通称ウーティ)出身。父親はフランスのアンジェ出身、母親はポンディシェリ出身のフランス人。両親共に、思想家オーロヴィンド・ゴーシュの立ち上げたシュリ・オーロヴィンド協会の信奉者だった。
 兄を頼ってロンドン大学に留学し、演劇を学んで2年間劇場で働いて数々の戯曲に参加したそうな。その後、一大決心してヒンディー語映画界に入るためムンバイに移住。モデル事務所で働きつつ、09年のアヌラーグ・カシャプ監督作「Dev.D.(デーヴ・D)」で映画デビューを果たし、フィルムフェア助演女優賞を獲得。この映画出演のために、ヒンディー語を猛特訓したと本人は語る(*4)。
 その後も、同じアヌラーグ監督作「That Girl in Yellow Boots(黄色いブーツの少女)」では主演&脚本を担当。「Shaitan(サタン)」「人生は一度きり(Zindagi Na Milegi Dobara)」「若さは向こう見ず(Yeh Jawaani Hai Deewani)」などに出演し、名演技が光る演技派かつ個性派女優として大活躍。ボリウッドの新風の中心としてアヌラーグ・カシャプと共に実験的な活動を続けていたカルキは、アヌラーグと11年に結婚するも、13年に離婚を発表。現在、映画の他、舞台、NGO活動、フェミニズム運動でも活躍している。

 監督のショナリ・ボースは、1965年西ベンガル州カルカッタ(現コルカタ)に生まれて、ボンベイ(現ムンバイ)やデリーで育った映画監督兼プロデューサー兼脚本家。
 デリー大学で芸術学を学び、NYのコロンビア大学で政治学を修了。学生時代に役者活動もしていたとか。大学卒業後、1年ほど米国NLG(National Lawyers Guild 国立法律家ギルド)で働きつつ、UCLA TFT(UCLA School of Theater, Film and Television カルフォルニア大学ロサンゼルス校演劇&映画&TVコース)に進学。短編やドキュメンタリー制作を経て、05年に自身の著作を元に、同時進行で監督&プロデュース&脚本を手掛けた英語映画「Amu(アムー)」で監督デビューし、インド国立映画賞注目英語映画賞を始め数々の賞を獲得した。本作は、共同脚本・プロデュース補・助監督を手掛けた12年の「Chittagong(チッタゴン)」を挟んでの、2本目の監督作となる。

 劇中の風景、登場人物たちの、特に華美な所も絢爛豪華な所も大げさなこともない整理された静かな画面で構成された映画ながら、そのなんとも言えない自然体で安堵感を喚起させるリラックスした空間が、リラックスした美しさを見せてくれる。そのなにげない、普通にあるようにある、気負いのないたたずまいこそが、この映画の全てを象徴している魅力なのかもしれない。

 プロモで使われていたキャッチコピーが「Stop Judging Start Living」。
 とてもキャッチーな字面なんで、ウマいこと日本語訳できないかなあ…なんて思ってたわけですが、試しに英語が趣味のおかん(映画本編未見)に「この英文を、印象的な日本語文に訳しなさい」と問題にして出してみたら「同じアホなら踊らな損々」と返して来た。
 く…。ワタシマケマシタワ…。


挿入歌 Dusokute (君の瞳に)




受賞歴
2014 トロント国際映画祭 NETPAC(最優秀アジア映画)賞
2014 タリン闇夜映画祭(エストニア) 主演女優賞
2015 ブズール映画祭(仏) 観客賞・若手批評家賞
2015 アジアン映画祭 作曲賞(マイキー・マックリアリー)
2015 Galway Film Fleadh(アイルランド) 外国映画賞
2015 モントクレール映画祭(米国) 外国映画賞
2015 シアトル国際映画祭(米国) 主演女優銀賞




「マルガリータで乾杯を!」を一言で斬る!
・それにしても、初めてのアメリカの店での買い物で、さっそく交渉で値切ろうとするインド人気質(?)は、見習いたいもんだねえ…。

2015.11.6.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 名字の英語読みは"コーチリン"。インドではこちらで通ってるよう。
*3 またはプドゥッチェーリ、パーンディッチェーリ。元フランス領インド首府だった所。
*4 この時のカルキは、タミル語、英語、フランス語の3言語はしゃべれたらしい。