19世紀中頃に勃発する第1時インド独立戦争(別名インド大反乱)の渦中に、独立を掲げて挙兵した実在の女王ラクシュミー・バーイー(1828年頃生[諸説あり]〜1858年没)の人生を描く、歴史絵巻ヒンディー語(*1)映画。
タイトルは、"ジャーンシーの女王"と称されるラクシュミー・バーイーの生誕名。「宝玉の耳環」の意とか(*2)。
同じラクシュミー・バーイーの生涯を描いた映画として、1953年の白黒ヒンディー語映画「Jhansi Ki Rani(ジャーンシーの女王)」もある他、TVドラマシリーズも何作かあるそう。
国を守るための手段が、気づいた時点で戦争以外になくなってしまった状況における「国民を率いる為政者」の説得力ある姿を描くという点において、この映画レベルのことを日本が、アメリカその他の国が映画で表現できるのかと思うと、相当緻密な計算の上でインド国民の愛国心をくすぐるように構成された物語・台詞の数々が孤高なくらい際立って熱い。外国人のこっちまで平服してしまいたくなるラクシュミー・バーイ女王のカリスマ性は、凄まじいものがありまする。
この点に関しては、53年版「Jhansi Ki Rani」よりも格段に進化した映像を作ってくれている。その分、劇的で扇情的になってるが故なんだろうけど、子供と夫の死について普通の病死として描いていた「Jhansi Ki Rani」に対して、ハッキリと権力闘争における毒殺と断じている今作は、インド映画が好む復讐譚としても物語を煽りまくり、ラクシュミーと旧知の仲だった英国人将校との友情劇とかは一切無視されてしまっている。その一方で、独立に立ち上がるインド人たちと、英国に与してインドを売り払おうとする人々を描き分けながら、まとまろうとしないインドの悲しさ、それを乗り越えようとする人々の意志の崇高さが、後半に何度も何度も畳み掛けてくる必死さは、今のインドもまた同じ願望を掲げたい故であろうかとも思えてくるところもある(*5)。終盤ごろの、平和な頃を回想するインサートカットが、効果的に見てるこちら側の感情をかき乱してくれますことよ。