執念の道 (Manjhi - The Mountain Man) 2015年 119分
主演 ナワーズッディン・シディッキー & ラーディカー・アープテー
監督/脚本/作詞 ケータン・メヘター
"愛で、山を砕いた男がいた"
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「ああ…お前は巨大なのか。…偉大なのか。…強大なのか。そんなものは幻だ。見てろ…俺が、俺がその傲慢を砕いてやる!!」
1960年の、ビハール州ガヤーに近い農村ジェロール。
インド独立から何年も経つというのに、この村に横たわる巨大な岩山のおかげでジェロール村には不便な道しか通っておらず、直近の街ワズィールグンジに行こうにも、村人は40マイル(約64.4km)も回り道をしなければならない。
かつてその村の貧しい農家に生まれた男、ダシュラト・マンジーはその頃、日がな1日山の岩を砕き続けて、村人から「狂人」と呼ばれていた…
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彼は"鼠食い"と呼ばれる最下層中の最下層の階級に生まれ、伝統に従い子供の頃に結婚したものの、地主をはじめとした村の上位階級者たちに追われるように村を出ていく事となった。その7年後、石炭採掘業でそれなりの収入を得て帰ってきたマンジーだったが、村は以前と何も変わらず地主たちは彼を遠ざけようとするものの、7年の間に美しく成長した妻パグニヤーと再会し、新婚同然の幸せな毎日が始まる…。
挿入歌 Gehlore Ki Goriya (ああ、ジェロール村のお嬢さん)
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"マウンテンマン"と呼ばれる実在の人物ダシュラト・マンジー(1934生〜2007没)の偉業を元にしたヒンディー語(*1)映画。
主題となるダシュラト・マンジーは、ビハール州ガヤー近郊の貧しい村に住む労働者だったが、ハンマーとノミだけで、22年かけて巨大な山を切り崩して道を造ってしまった人物である。
映画としては本作に先立って、98年のカンナダ語(*2)映画「Bhoomi Thayiya Chochchala Maga(母国の長男)」に彼を投影した登場人物が登場し、11年の「Olave Mandara」が本格的に彼の生涯を翻案した映画として公開された他、11年のドキュメンタリー「The Man Who Moved the Mountain(山を動かした男)」もある。
日本では、2017年にインド映画同好会にて「執念の道」のタイトルで上映。
映画冒頭、岩山を前に血まみれの主人公が山に啖呵を切るシーンから、荒涼とした大地の雄大さと人間の小ささを対比構造としたスクリーン映えする画面構成が凄まじく、映画全編そういった「自然の圧倒的な大きさ VS 人間の卑小さ」が意識されているかのような絵作りが美しい(*3)。
その中で、緑も少なく水も多くはない村の厳しそうな暮らしの中で、たった一人の人間が山を切り崩し、手作業で街道を作ってしまったって話が実話が元だってんだから、人間の執念とはどこまでも凄まじい…!!
ここで言う岩山というのが、日本で考えられるような緑豊かな山でもなければ、それなりに獣道とかを見つけられるような山でもない(*4)岩壁のような山という環境もまた、主人公たちの暮らしの厳しさをより効果的に説明してくれる。
岩壁に囲まれて外界との接触が薄く、近代的な生活インフラ(電気・ガス・水道)も普及していない中世的な農村における、階級差別の強さ、人命の軽さも衝撃ながら、その村の農地だけでは暮らせないからと無理に山を越えようとする出稼ぎ村人たちの苦労の画面的説得力も強め。
こういった物語を作ろうとすると、日本なんかではどうしても「自然開発は是か否か」論が展開しそうなところだけども、その荒涼さ、地元を愛しながらも山によって様々な格差を甘んじて受けなかればならない人々の様子を描写されれば、山を切り崩すことによって亡き妻への贖罪と山への復讐に突き動かされる主人公の人としての強さを応援せざるを得ないのは当然の帰結。地形そのものへの怒りと閉塞感、そこから生まれる土地開発の躊躇のなさはいっそ清々しい。
また、1度は村を追われて外界を知った主人公が、出稼ぎ程度の外界しか知らない村人たちに罵られながらも村のために道を造ろうとただ一人奮起するというのも、別の形の対比を見せつけられるようでもある。
本作の監督&脚本(+作詞も)を手がけたのは、1952年グジャラート州ナヴサリに生まれたケータン・メヘター。
デリーで育ち、マハラーシュトラ州プネーのFTII(*5)監督コースを修了。ISRO(*6)の映像コンテンツ・プロデューサーとして働き出し、自由度の高い制作環境で様々な映像製作を経験。
ドキュメンタリーやTVドラマシリーズを経て、グジャラート語(*7)民間演劇を映画化した80年公開作「Bhavni Bhavai(人生物語)」で監督&脚本デビューし、ナショナル・フィルム・アワードのナルギス・ダット(国民統合注目作品)賞を獲得。84年のプロデューサーデビュー作でもある2本目の監督作「Holi(ホーリー)」でヒンディー語映画監督デビューもして、以降ヒンディー語映画界を中心に社会派映画を多数発表。国内外様々な映画賞・功労賞を獲得するかたわら、映画祭審査員を務めたりもしている。
女優ディーパ・サヒ(*8)との結婚後に、夫婦で"マヤ映画芸術学校"と"マヤ・デジタル・スタジオ"を設立。自身でもIIFW(Independent Indian Filmmaker’s Worldwide = 国際独立系インド映画製作協会)を設立している。
実際のダシュラト・マンジー夫人ファルグニ・デヴィの事故死は色々に語られていて、劇中の描写が必ずしも忠実というわけではないみたいだけども、岩山の存在が妻の死を避けられないものとした事実はそのまま反映されている。
村の様子がどこまで現実の引き写しなのか分からない身だけども、ケータン・メヘター監督作にふさわしい数々のインドの社会問題の縮図をもみせつけ、単純な階級差別問題だけに収まらない、貧困、女性蔑視、信用できない公権力、復讐の連鎖、辺境地域の閉鎖性が今なお現実社会を歪めている様をも見せつけていく。
低カーストの村人を簡単に見殺しにする地主たち、その地主たちへの復讐のためにナクサライト(*9)へ身を投じたマンジーの友人の姿などなど、複雑な社会問題を切り取る切れ味も鋭い。
そんな厳しい生活の農村において、幸せだったマンジーの夫婦生活・子育て生活を理想的に描くことが後半への伏線になってはいるけれど、その理想化された貧しくも美しい生活を土台として、山をも貫くマンジーのパワフルな活力が生まれたかと思うと、それもまた人の力強さでありつつ、人と自然の生み出したものとも言えそうだなあ…と達観してしまいそう。マンジー自身の幸せがなんだったのかは、見た人それぞれで考えて行くべきだけども、なにはなくとも子供がいてくれたのは救いだったよね…と思ってしまう我が身なりけり。うん。
「執念の道」を一言で斬る!
・蛇(コブラ?)に噛まれた時の対処法が…!!! ヒィィィィィィ…!!!!!
2022.3.11.
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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 南インド カルナータカ州の公用語。
*3 ロケ地がどこなのか、どこまでがセットやVFXなのかは知りませんが。
*4 多少は歩ける道があるけれど。
*5 インド映画&TV研究所。
*6 インド宇宙研究機関。
*7 西インドのグジャラート州、ダマン・ディーウ連邦直轄領、ダードラー及びナガル・ハーヴェリー連邦直轄領の公用語。
*8 本作でもプロデューサー兼インディラ・ガンディー首相役で出演。
*9 農村部を中心に活動する、インド共産党毛沢東主義ゲリラ。