Mooga Manasulu 1964年 156分(160分、164分とも)
主演 アッキネンニー・ナーゲシュワーラー・ラーオ & サーヴィトリ & ジャムナー
監督/脚本 アドゥルティ・スッバ・ラーオ
"花輪は枯れても、それをつなぐ花輪の糸は永遠に残るー"
挿入歌 Godari Gattundi
はじめに光あり。これこそは魂の光。
始まりも終わりも、生も死も、全ては光の中に。魂は、かく廻り続ける。
ーそれこそが、我らの教義である。
しかし、そを知る者は多くない。誕生と再生の意味を語れる者なぞ、幾億の中の1人でしかないであろう…。これは、その1人である男の物語…
その日、ゴーピナートとラーダー・デヴィは大学卒業と共にキャンパス内で結婚式を挙げていた。
そのまま新婚旅行を楽しむ2人だったが、ゴーダーヴァリ河の渡し船の中で突如ゴーピナートが「船を止めろ! 渦潮が来る!!」と叫び出し、船を降りた先にある廃墟に向かって「お嬢様…お嬢様はどこですか!! 渡し守のゴーピです!!」と半狂乱になって走り出して行ってしまう。何事かと、近くに住む老人が出てくると、ゴーピナートは老人が生まれるよりも前に起こったお屋敷の出来事を事細かに語り出すのだった…。
ゴーピナートの記憶を捕捉する老人の説明によれば、その屋敷ではかつてお嬢様ことラーダー・ヴェルゴディが渡し守と共に大河に沈んでしまい、彼女の父親もそのショックで亡くなってしまった。以来、ラーダーの継母ラーマデヴィと叔父ラージェンドラが「屋敷にお嬢様の幽霊が出るようになった」と噂を広め、家財全てを売り払ってどこかへ移り住んでしまったと言う。
渡し守ゴーピと仲の良かった孤児のガウリは、一度はラージェンドラの口車に乗って彼の妻になってゴーピとラーダーの墓を守ろうとしたものの、ラージェンドラに裏切られ、村人たちからも蔑まされて、ただ1人孤独に死を迎えようとしていると言う…。
今まさに孤独のうちに死のうとしていたガウリの前に、ゴーピナートが駆けつける。「ゴーピだよ! 君のゴーピがようやく来たんだ!! 死なないでくれ…ガウリ、ようやく君の願いが叶う日が来たと言うのに…!!」
しかし、そのゴーピナートの願い虚しくガウリは彼の顔を見たまま息絶える。一連の不可解な出来事の説明を求めるラーダー・デヴィの問いかけから、ゴーピナートは突如頭の中に現れた、今や幽霊屋敷と呼ばれ忌み嫌われるヴェルゴディ屋敷をめぐる記憶を語り始める……
挿入歌 Gowaramma Nee Mogudevaramm
タイトルは、テルグ語(*1)で「沈黙する心」か?
50年代半ばから、テルグ語映画他で大活躍するヒットメーカー アドゥルティ・スッバ・ラーオの、15作目となるテルグ語映画。
インド映画最初期の輪廻もの映画の1つとして有名(*2)。
後の1967年には、同じラーオ監督によるヒンディー語(*3)リメイク作「Milan」、71年には本作主演のサーヴィトリの監督&主演作タミル語(*4)リメイク作「Praptham(運命)」も公開されている。
輪廻ものと言っても、本作の場合は輪廻転生は前世のロマンス劇を盛り上げる状況設定としてのみ機能している恋愛劇で、映画は完全に前世の悲恋劇を描くことが主目的。主人公ゴーピナートが前世の記憶を覚醒する理由は「前世の報われることのなかった愛の成就」以外に語られることはなく、本作に先立つヒンディー語映画の名作輪廻もの映画のようなひねくれた復讐劇とか人の業を描く物語がない分、とても素直な恋愛映画になっているか。
映画本編である前世物語が、大河の岸辺にあるお屋敷を舞台にしているあたりは「Mahal」に似ている感じもしないではないけど、大河の渦を見て前世の記憶を覚醒させる主人公、その記憶を語る事で悲恋の恋人たちの愛が現世で成就している事を知る新婚夫婦という展開は、ヒンディー輪廻ものにあるジメッとした湿っぽさを感じさせない爽やかさ(*5)。
運命によって結ばれている恋人が、世の中のしがらみによって結ばれる事なく2人共に運命に翻弄される悲恋を描くというメインストーリーは、インド物語の得意とする人生観や現実の格差社会を反映させた視点でもあるような、他のインド恋愛劇にも通じる話運び。その分、恋人2人の間に割って入って来る親友であり恋のライバルでもある少女ガウリに対してなんの救いも用意されていない割り切ったようなサッパリ感がなんとも。あるいは、現世で結ばれた夫婦の子供として生まれ変わったとかいう展開があるのかと思ってたけど、恋人2人の関係のみに焦点が当たっている物語は、その恋路を邪魔してしまったガウリですら滅ぶべき存在と描いているのかもしれなくて恐ろしや。
テルグを代表する名優アッキネンニー・ナーゲシュワーラー・ラーオとサーヴィトリの間に入って、三角関係を描かせるセカンドヒロイン ガウリを演じたのは、1936年マイソール藩王国ハンピ(*6)に生まれたジャムナー(生誕名ジャナ・バーイ)。
カンナダ語(*7)話者でマドヴァ・ブラーミン(*8)出身のビジネスマンの父親と、テルグ語人のヴァイシャ(*9)出身の母親の元に生まれ(*10)、ドゥギララ(*11)育ち。
ドゥギララで母親から声楽とハーモニウムを習いながら、のちの大女優サーヴィトリと仲良くなって舞台演劇に参加していき、16才時にサーヴィトリに誘われる形で映画界の扉を叩く。彼女とサーヴィトリの演技を見たインド人民演劇協会員ガリキパティ・ラージャ・ラーオの監督作となる、1953年のテルグ語映画「Puttillu」あたりで映画デビュー。翌54年には「Panam Paduthum Padu(お金が起こす歪み)」でタミル語映画に、55年には「Aadarsha Sathi 」でカンナダ語映画に、57年には「Miss Mary(ミス・マリー)」でヒンディー語映画にもデビューして、以降テルグ語映画界を中心に、この4言語映画界で大活躍する。1968年、本作のヒンディー語リメイク作「Milan」でフィルムフェア助演女優賞を獲得したのを皮切りに多数の映画賞・功労賞を贈られていて、テルグ芸術家協会も設立させている。
80年代にはインド国民会議の政治運動に参加し、89年にラージャムンドリー選挙区での選挙を勝ち抜き国会議員に選出され、91年まで政治家として活動。選挙で落選してからは政界・芸能界を引退していたものの、90年代後半にインド人民党の運動に参加していたと言う。
2023年、ハイデラバードの病院にて心停止で物故。享年86歳。
監督を務めたアドゥルティ・スッバ・ラーオは、1912年英領インドのマドラス管区ラージャムンドリー(*12)生まれ。
父親は地元のテシルダール(*13)で、ムンバイの大学で写真コースを修了。卒業後、フィルム・ラボでの印刷業や映画編集アシスタント、撮影監督、脚本家、助監督を経て1954年のテルグ語映画「Amara Sandesham」で監督デビュー。続いて、ベンガル語小説「Nishkriti」を元にした1957年の「Todi Kodallu(義妹)」、その同時製作タミル語版「Engal Veettu Mahalakshmi」の両方の監督&脚本&編集を担当して大ヒットを飛ばし、ナショナル・フィルムアワードのテルグ語注目作品賞を獲得。以降、テルグ語・タミル語両言語圏映画界でヒットメーカーとして大活躍し、多数の映画賞を獲得。1968年には「Man Ka Meet」でヒンディー語映画にも監督デビュー。70年の「Darpan」では監督とともにプロデューサーデビューもしている。
1975年、テルグ語伝記映画「Mahakavi Kshetrayya」の製作途中にマドラス(*14)で物故される。享年62歳(*15)。
彼の死後、監督作で俳優デビューした男優クリシュナによる伝記が出版された他、その功績を讃えて、監督の下で長年助監督を務めていた映画監督K・ヴィスワナートの働きかけによって、テルグ語映画商工会議所によるアドゥルティ・スッバ・ラーオ賞が創設されている。
他の輪廻ものインド映画と共通して、現世と前世の時間差がそこまで長くなく、せいぜい1〜2世代差の現代劇になってるのは、撮影の都合ってのもあるだろうけど、あくまで現代劇でのラブロマンスを描くためか。
その中で、ザミンダール(荘園領主)のヒロインと渡し守の身分違いの恋が悲劇を生む物語にあって、それでも渡し守ゴーピは詩才に溢れヒロインを惹きつける魅力溢れる「天啓を受けた者」であることが、転生物語の主人公になるにふさわしい人物と描かれているところに、インド的な「天才像」「物事を革新させる才能のあり方」、はたまたその先にある「人のあり方は、生まれや階級、生活レベルに左右されるものではない」という価値観が見えてくるよう。
それが見えれば見えるほど、同じように毎日ゴーピと口喧嘩して言葉巧みに物事を引っ掻き回していたガウリの救いのなさ、ゴーピを振り向けさせられない悲しさがより強調されてもくる。あるいは、映画の終幕以降に新たなガウリの生まれ変わり物語が想定できるのかもしれないとは思えるものの、宗教理論による輪廻思想を無視して物語の都合で人間に再転生できる主役2人の特権は、やはり天啓を認められた主人公カップルのみなのかなあ…。前世において居場所を丁寧に失っていく恋人2人の悲しさと同等か、それ以上の悲哀をガウリに感じてしまうのは、穿ち過ぎかねえ…。
挿入歌 Mukku Meeda Kopam
受賞歴
1963 National Film Awards テルグ語注目作品銅賞
1964 Filmfare Awards テルグ語映画作品賞
「MM」を一言で斬る!
・この時代から、同じ釜の飯を食うならぬ、同じ壺の水を飲み合うって階級否定の理想は描かれているのネ(お互いの釜の飯も食べてたけど)。
2025.2.9.
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*1 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*2 これに先立つ、1949年公開のヒンディー語映画「Mahal(大邸宅にて)」、1958年の「Madhumati(マドゥマティ)」も輪廻もの映画の嚆矢として有名だけど…まあ、前者は[以下ネタバレにつき自粛]。
*3 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*4 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*5 本作だけの特徴かもですが…ヒンディーリメイク作がどうなってるのか、確認してみたい!
*6 現カルナータカ州カラブラギ地方ヴィジャヤナガラ県ハンピ。
*7 南インド カルナータカ州の公用語。
*8 別名マドゥーヴァス、サドゥ=ヴァイシュナヴァス。13世紀頃発生のタットヴァヴァダ(現実主義的観点からの議論の意。別名ドヴァイタ)哲学派バラモン集団。現在のカルナータカ州ウドゥピから全インド中に広がった。
*9 庶民階級。主に商人・交易業階級とされるが、元々は上位カーストに食料を提供する農業・牧畜業を指していたものが起源とか。
*10 この両親は、恋愛結婚による異カースト夫婦だった。
*11 現アーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県内。
*12 現アーンドラ・プラデーシュ州トゥールプ・ゴーダーヴァリ県ラージャマヘーンドラヴァラム。
*13 ムガル帝国から伝わる徴税官職。
*14 現タミル・ナードゥ州都チェンナイ。
*15 映画は、残り部分をC・S・ラーオ監督が引き継いで、翌76年に公開された。
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