Mother 1999年 143分
主演 レーカー
監督/製作/原案 サーワン・クマール
"彼女こそ、母親の中の母親よ"
挿入歌 Happy Days Are Here Again (幸せな日は、今ここに)
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モーリシャスに住む社会活動家アーシャ・ブリタニアは、地元のインド人街記念祭で、この街の創始者である3人の男たち…スニール・マリク、クマール・シナー、アマル・カンナ…がインドから招かれ彼女の家へ招待されると知って驚愕する…!!
19年前。
アーシャは、癌に苦しむ父親の治療費捻出のために友人知人を頼るも全員から拒否されてしまい、ついには3日間それぞれにバーで知り合った男と1夜を共にして治療費を手に入れるしかなかった。
しかし父親はそのまま絶命。あまりの事に絶望するアーシャだったが、女性保護活動家のチョウドリー女史に助けられて、娘ジアーを1人で出産しつつ社会福祉事業で生計を立てられるようになり、インドに帰国した父親候補の3人の男たちにそれぞれ「娘が産まれたから、養育費を送ってほしい」と連絡。毎月高額な生活資金を手に入れつつ、母親として、社会活動家としての生活を手に入れていたのだ…。
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悩むアーシャのことなぞ露知らず、モーリシャスに到着する3人の男たちは、自分こそはジアーの父親だと自認して、家族に内緒でアーシャとの再会を画策するのだが…!!
挿入歌 Jiya I Want To Love You (ジアー、僕は君を愛したい)
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*踊ってるのは、ジアー・ブリタニア役のサノベール・カビール(*1)と、ジアーの恋人ラージ・チョウドリー役のラハット・カーン(*2)。
名優ランディール・カプール(*3)のカムバック作となった、ヒンディー語(*4)コメディ映画。
その物語は、本作ののちにハリウッドでも映画化される舞台演劇「マンマ・ミーア!(Mamma Mia! / 初演は1999年)」から着想を得たもの。
3人の父親候補を結婚式に呼んで母親と対面させる娘の物語を、懐メロ的ABBAヒットソング集でノスタルジックに描いた「マンマ・ミーア!」に対して、その骨格を借りつつインド的な「母は強し」映画に仕立ててある1本なんだけど…ウーム。
後半の演説で声高に主張される、世間における頑迷な「母親像」「淑女像」の押し付けからの女性たちの解放を歌い上げるシーンの迫力は力強い…んだけど、ネタ元の「マンマ・ミーア!」における自由恋愛によるシングルマザーと言う設定部分をインド的に翻案した結果が、「父親の治療費捻出のために身体を売った過去をひた隠しにする母親」「その相手の男たちがインドでそれぞれ家庭を持ちながら、ウキウキでその母親主人公に会いにくる(家族に内緒で)」って部分は、インド的倫理観に配慮しての脚色が逆に倫理的にやばい方向に行ってませんか…? と言うところが重すぎて、軽快な話芸コメディを潰しにかかる不協和音になってしまっている感じ。
主人公アーシャを演じるのは、1954年マドラス州マドラス(*5)に生まれたレーカー(生誕名バーヌーレーカー・ガネーシャンまたはバーヌーレーカー・ジェミニ・ガネーシャン)。
父親はタミルの大スター ジェミニ・ガネーシャンで、母親も映画女優のプシュパヴァリになる(*6)。
母親の母語であるテルグ語(*7)環境で育ち、1958年のテルグ語映画「Inti Guttu(家族の秘密)」に子役出演後、家の生活を支えるために13才で学校を辞めて子役活動に専念する。66年公開作「Rangula Ratnam(車輪の色)」の子役出演に続いて、69年のカンナダ語(*8)映画「Operation Jackpot Nalli C.I.D 999」で主役級デビューを果たし、翌70年には「Sawan Bhadon(夏のころ)」でヒンディー語映画デビューして、活動拠点をヒンディー語映画界に移す(*9)。
「Sawan Bhadon」のヒットで一躍ボリウッドスターと騒がれたものの、以降はセクシー路線のオファーばかりが続き、マスコミからも様々な批判を浴びて「醜いアヒルの子」呼ばわりされていたと言うが、76年の主演作「Khalifa」「Kabeela」「Do Anjaane」あたりからそのスタイル・パフォーマンス力・演技力が好評を博し始め、名実ともに大女優へと成長して行くことになる。80年の「Khubsoorat(美)」では歌も担当してフィルムフェア主演女優賞を、81年のウルドゥー語(*10)映画「踊り子(Umrao Jaan)」でナショナル・フィルム・アワード主演女優賞を獲得し、以降も、様々な映画賞を獲得しながらヒンディー語映画界で活躍中。
10年にはパドマ・シュリー(*11)を、12年には「存命中のインド映画人の中の女王」と讃えられてIIFA(国際インド映画協会)から女優功績賞も贈られている。
監督を務めたサーワン・クマール(・タク)は、1936年ジャイプル藩王国ジャイプル(*12)生まれ。
67年のヒンディー語映画「Naunihal」にプロデューサー兼原案として参加して映画界入り。72年のプロデュース作「Gomti Ke Kinare」で監督デビューもして、73年のプロデュース作「Sabak」では作詞も兼任。以降、監督兼プロデューサー兼作詞家兼脚本家として、ヒンディー語映画界で活躍。本作は、19作目の監督作となる。
まあ、清濁を越えて「私は私の信じる道を行く!」と言う強気な態度を崩さない主人公アーシャのドタバタ具合は見てて楽しいし、頼もしいし、小狡い小市民的部分も含めていい味出してるキャラにはなってるんだけど、当時人気下降気味で映画出演作が激減していたレーカーのマスコミ的イメージそのままに配役されてないかって感じるのは、うがった見方ですかねえ…。
監督自身は、80年代から本作の大元になるシナリオを用意してレーカーに主役オファーのお願いしてたけど「母親役をするには、自分はまだ若すぎるので十分に年を重ねてからなら演じてみたい」と言われたからずっと眠らせていたと取材に答えていたそうだけど、なんともとってつけたようなお話で…(うがった見方)。
まだハリウッドでの映画化前、原作戯曲の初演段階で注目してその要素を取り込んだと言う商売戦術とその速度(*13)は、ある意味で「ほほぅ」と感心する部分は多いし、それがシングルマザーへの応援歌として変化し、不貞というレッテル貼りが如何に女性たちを縛り続けているかを糾弾する視点も素晴らしい出来なんだけど、それと「マンマ・ミーア!」がうまくシンクロしてると言い難いのは、それぞれの要素の咀嚼具合が統一できないままのアンバランスさを露呈させてるからかなあ…。どーせ、モーリシャス全面協力の現地ロケで「インドじゃないですから」で押し通すなら、自由恋愛を謳歌する母親でもよかったんじゃ…とも言いたくなるけど、それはそれで難しいんですかねえ。せっかくのレーカーのパフォーマンスが、物語に阻害されてるようで惜しい一本ですわ。
挿入歌 Mother Mother Dear Mother (お母様お母様、大好きなお母様)
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*ジアーの彼氏がチョウドリー女史の息子と知って結婚を反対する母親に、ジアーが説得にかかる歌。普段「ママ」呼びだったのが、ここで「マザー」になってるのは、やっぱ説得にかかってるが故…かしらん?(詩のテンポがそっちの方が都合がいいとかは、あるだろうけど)
「Mother」を一言で斬る!
・親族だからって、銀行が顧客の入出金リストをそう簡単に人に見せられるもんなの…?
2020.8.14.
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