インド映画夜話

ニュークラスメイト (Nil Battey Sannata) 2016年 104分
主演 スワラー・バースカル & リヤー・シュクラー
監督/脚本/台詞 アシュヴィニー・アイヤル・ティワーリー
"たぶん、私は夢を見る価値もないから"




 タージ・マハルのお膝元アーグラの下町。
 そこに住むチャンダー・サハーイーの最近の悩みは、唯一の家族である娘アプー(本名アペークシャー・シヴラール・サハーイー)がしっかりと勉強に打ち込んでくれない事。

 貧しいながら、仕事を掛け持ちして生活費を捻出するチャンダーの甲斐あって、SSC(中等教育修了証)を得て10年生に進学したアプーだったが、苦手な数学を克服出来ず、学期初めから無気力な毎日。ついには「将来は母さんと同じ家政婦になる。どうせ、家政婦の娘は家政婦にしかなれないし」と言い出すのだった!!
 これに憤るチャンダーに、家政婦業の雇用主ディーワン女史の口添えで格安の数学講師が紹介されるも「一定の数学試験に合格しないといけない」と言われ逡巡。試験対策をしようにも、娘の数学ノートを見ても理解すら出来ない自分の学力を嘆いていると、ディーワン女史はこう切り出してくる。
「じゃあ、貴方が学校に入り直して娘さんと一緒に数学を勉強してみては?」
「そんな事が出来たらいいですね。私もやり直せるならやり直したい…映画にありそうな話ですわ」
「冗談で言ってるんじゃないの。真剣な話よ。貴方がうちで働く時間を学校に当てて、娘さんと数学で競うようにすれば、彼女だって頑張るはず。娘さんを家政婦にさせたくないのなら、そうするべきよ!!」

挿入歌 Maths Mein Dabba Gul (数学はうんざり)

 原題は、ヒンディー語(*1)で「0÷0=無」。俗語で「役立たず」「無価値」の言い回しとなるそう。
 劇中、数学がキーになる物語の中で、主人公チャンダーが自分の数学力についての表現に、この言い回しを使っている。

 アシュヴィニー・アイヤル・ティワーリーの監督デビュー作で、世界中の映画祭で「The New Classmate」のタイトルで上映された他、フランスで「Chanda, une me`re indienne(インドの母チャンダー)」のタイトルで一般公開。また、本作公開の数ヶ月後に同じアシュヴィニー監督によるタミル語(*2)リメイク作「Amma Kanakku」も公開されている。
 日本では、2016年に埼玉県川口市のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて、英語タイトルを引き継いだ「ニュークラスメイト」のタイトルで上映。

 貧困層に位置する母娘の丁々発止を中心に、そんな母娘が同じ教室でクラスメイトとして生活すると言う、一見素っ頓狂な映画ながら、その繊細な親子劇、ギリギリな所で説教臭くなるのを回避する"教育"と言うテーマの描き方の健やかさ、無駄のない展開と登場人物たちと言う、魅力あふれる一本。

 無気力な現代っ子である娘を、なんとか幸せにしたい一心で一日中仕事に走り回り、恥を忍んで学校で勉強に励む主人公チャンダーのいじらしさ、すぐクラスに溶け込む彼女の器用さと抜け目ない生活の知恵、献身ぶり、その時々の苦悩、自然な親子間の距離の取り方や愛情の表し方が、絶妙な形で映画全体のテーマとシンクロしていくさまが美しい。
 よくある教育ママゴン像とは決定的に違う部分は、演じるスワラー・バースカルとリヤー・シュクラーの愛嬌であり、劇中親子に共通する頑さであり、学歴によって決まる貧富の格差と言う圧倒的現実を前にした人間の生き様の一所懸命さでありましょうか。
 チャンダーの抱える、高校中退したことで富裕層へのキャリアップも叶わない現状への苦悩と後悔、娘にそれを経験させたくないと言う思いが、言葉の上でしか娘に届かず、反抗期の娘アペークシャー(*3)とのさまざまなすれ違いを生んで、親子関係を色々に変えて行く様が、ひと時も目を離せなくさせてくれる。

 監督&脚本を務めたアシュヴィニー・アイヤル・ティワーリーは、1979年マハラーシュトラ州ムンバイ郊外のムルンド生まれ。
 地元の大学に進学して商業&経済学で学位を取得後、母親を説得して美術系学校に進学し、ムンバイでも有数の広告会社に就職。クリエイティブ・ディレクターとして数々の広告賞を獲得する。100以上のCM製作を経て、12年の短編映画「What's for Breakfast」で映画デビューしダーダサーヒブ・パルケー賞を受賞。16年に本作で長編映画監督デビューを果たす。
 このデビュー作で大きな話題を呼び、フェミナ主催"2016年度注目女性"に選出された他、数々のイベントに招待されていたそうな。
 夫は、広告業の同僚であり「Chillar Party」「Dangal(レスリング)」などの監督、本作でも脚本に参加しているニテーシュ・ティワーリーになる。

 主人公チャンダーを演じるのは、1988年デリー生まれのスワラー・バースカル。父親はテルグ系インド海軍の役人、母親はビハーリー系の大学教授(*4)になる。
 デリー大学で英文学を学び、同級生には女優ミニーシャー・ランバーがいるそう。その後、母親の務めるジャワハルラール・ネルー大学で社会学の修士号を取得。劇団アクト・ワンで演技を身につけてムンバイに移り、09年のヒンディー語+マラーティー語+グジャラート語映画「Madholal Keep Walking」で映画デビューする。翌10年の「哀願(Guzaarish)」以降、ヒンディー語映画界で活躍し、11年の「Tanu Weds Manu(タンヌーの結婚)」でZee助演女優賞を獲得して注目され、本作も複数の女優賞を獲得している。また、14年からTV番組司会も勤め、16年のウェブTVドラマ「Its not that simple」にも出演している。
 最初に本作のチャンダー役をオファーされた時は、まだ母親役を演じる事は出来ないと思ったと言うものの、脚本を見て惚れ込み、実際にアーグラの家政婦と共同生活して役作りに生かしていたとか。

 アプー役のリヤー・シュクラーは、本作が映画デビューとなる子役。
 チャンダー役のスワラー・バースカルに一歩も引かない生意気な娘を演じきってスクリーン・ウィークリー子役賞を獲得。劇中でちょっと言及される「Taare Zameen Par(地上の星々)」で話題をさらった子役に負けない迫力と演技力を見せつけてくれまする。

 「頑張って勉強すれば、いい大学に行っていい仕事につき、より良い人生を送れる」を地で行くインドの経済事情・教育事情の中、1度つまづくと1代では取り戻せなくなる社会の恐さとともに、それでも努力を続けていけばなにかしら希望が実るだろうと言う人々の願いを、1組の母娘を通して嫌味なく描く物語の力こそ、色々と学ぶべき要素が多い。
 チャンダーに「貴方が娘さんと同じ教室で勉強すればいい」と言い出すディーワン女史の飄々さ、どこまでが真剣なのか読めないながらもチャンダーを後押しする力強さも美しい(*5)。微笑ましい親子喧嘩の様子や、高圧的ながらわりとコミカルな描かれかたをする校長先生と生徒の関わり方も「ああ、ありそうありそう」と、遠い日本からもその学校の様子に共感してしまいたくなる部分もある。
 ま、クラスの全員の前でテストの点数読み上げて説教したり、テスト終了時に端から答案を回収するのにあんなに時間かけてたりと「え、それいいの?」と驚く所も多々ありますけども...(*6)

 ラストのオチも爽やかでスバらしい。
 映画後半に現れてくる「夢を追う」ために「勉強する」重要性。そのために人に笑われようと、大事なのは「夢を実現させようと前進する事」であると描いていく力強さは、感心する所であり羨ましくもあり。「夢を持てない人こそ、本当に貧しい人」と言われて返す言葉もないこちらは、大丈夫なのかなあ…とか思ってしまいますよ。イヤホント。

挿入歌 Murabba ([私の心の中にある全部。これが]私の欲求)

受賞歴
2016 Silk Road International Film Festival 女優賞(スワラー)
2016 Screen Awards 批評家選出女優賞(スワラー)・子役賞(リア)
2017 FOI Online Awards 原案賞
2017 Filmfare Awards 監督デビュー賞


「ニュークラスメイト」を一言で斬る!
・そりゃあ、名前にすら"期待"をかけられて育てられると、反抗したくもなりますわなあ…(自分の学生時代を振り返りつつ( ´_ゝ`))

2017.10.20.

戻る

*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*3 期待、と言う意味の名前。
*4 専門は映像学!!
*5 演じる名優ラトナ・パタックの演技力の底の見えなさ具合もいい感じ!
*6 そりゃ、「終了したから、ペンを置いて答案を後ろから集めろ」と言って、聞いてくれるような気もしないメンツだけどさ!!
*7 多少メルヘン的なニュアンスも匂う?