No One Killed Jessica 2011年 136分 1999年夏。インドが戦略的核保有に踏み切った翌年。 デリーで暮らしていたサブリナ・ラールの元に、深夜電話連絡が入る…「ジェシカが撃たれた!」…混乱する病院の中で、事件を目撃していた友人の役者ヴィクラム・ジェイスィンは、パニックを抑えつつサブリナに彼女の姉の身に起きた事件を説明する…。 **************** 昨夜の社交パーティーで、人気バーテンダーとして働いていたジェシカ・ラールは、夜も更けて店仕舞を始めていた。そこに現れた3人の男は、店に売り物がないのを無視してヴィクラムに「酒を出せ」と迫り勝手にバーを家探し始める。これに怒ったジェシカに「今すぐ出て行け」と言われた男は激高し、突然拳銃を取り出して発砲!! …1発目は天井に向けて、2発目は、なおも抗議するジェシカの頭部を撃ち抜いて…! **************** 突如起こったジェシカの死を家族が受け入れられない間に、事件は更なる展開を見せる。 実行犯と目されるマニーシュ・バールドワージ(ハリヤーナー州大臣プラモード・バールドワージの息子。通称マヌー)とその関係者が逮捕・収監され、すぐに事件が解決するかと思われた矢先、現場にいた300人もの証人は次々に「私はなにも見ていない」「事件があった事も知らない」と証言し始め、直接の目撃者ヴィクラムですら法廷で証言を翻し「私はヒンディー語が分からない。調書は警察が勝手に書いたものだ」と断言したために裁判は迷走。サブリナの必死の抵抗もむなしく、数年に渡る裁判の末、2006年冬に出された判決は…「だれもジェシカを殺していない」!! OP Dilli (デリー) 本作は、1999年4月30日未明に実際に起こった女優兼モデルのジェシカ・ラール殺害事件を元にした社会派サスペンス。 この事件は、パーティーの最中に300人もの人々の前で行なわれた殺人事件だったにもかかわらず、犯人が有力者の息子であったことから証人が買収され、あるいは醜聞を恐れて身を守ろうと沈黙し、あるいは個人攻撃にさらされ続けたことで、結果次々と証言が翻されて行き、さも事件がなかったかのように扱われていく事で、2006年に実行犯が無罪判決されてしまった。この判決が報道されるや、デリーの庶民層を中心に「金と権力に屈するインドの司法は死んだ!」と大規模な抗議デモが起こる大変な騒ぎとなったと言う(*1)。 タイトルは、劇中にも登場する通り、この判決が出た翌日の新聞の見出しをそのまま使ったもの。 映画は、この実話を元に事件当日から最高裁での再審開始までをフィクションも交えながら映像化(*2)。前半はヴィディヤー演じるサブリナが混乱のただ中に追い込まれて世間から孤立していく姿を、後半はラーニー演じるNDTVリポーター ミーラー・ゲイティーが真相追究と暴露に悪戦苦闘しながら世間を動かしていく姿を中心に構成される。結構、あくどい暴露報道ばっかりなのは、事件当時には上から下までさまざまなメディアが動いていた事の象徴なのかどうなのか。 こうしたメディアの事件追及の姿を、一人の人間に仮託したミーラーは架空の人物だろうけども、冒頭スペシャル・サンクスで「サブリナ・ラール」の名前が出てくるってことは、ヴィディヤー演じるサブリナは実在の人ってことですよね…。 監督は、脚本家・助監督あがりのラージ・クマール・グプタ。爆破テロを題材とした2008年の映画「Aamir」で監督デビューして、本作が2本目の監督作となる。 劇としてみると、前半と後半がパキッと別れすぎなきらいもあるけれど(ラーニーの活躍が思ったより遅かったからかしらん)、金と権力によって警察機構や司法界が真実を隠蔽していく現場で、孤立し混乱していく一般庶民サブリナの苦悩の有り様はドキュメンタリーさながらの迫力。裁判の裏側で動く金とコネと恐喝があえて映像化されていない所も恐怖感を煽るかんじで、人の死が軽く扱われ、それを良しとする人々の不条理が濃厚に不安げに伝わってくる。 もちろん、ここで描かれるのは裁判の当事者だけではなく、当時事件に無関心だった(ミーラーも含む)人々の態度でもある。メディアの追究で一転して怒りを噴出して行く様は、まさに「民意ってなんぞや?」と言う問いかけでもあるし、日常的な不条理と戦うデリーの現実を写す鏡でもあるし…いびつな社会構造、女性の権利保護と社会進出、ネット社会、マスコミの過熱報道と社会正義ヘの問いかけ…などなど様々な要素が「ジェシカの正義」の叫び声と共に一体となっていく怒濤のシークエンスは複雑かつ素晴らしや。 インドの国の標語に「真実は自ずと勝利する」と言うのがある。 これは古代のヒンドゥー教典からとられた文句だそうだけど、この姿勢を反映してかインド映画ではよく「如何にして真実を(裁判などで)証明するか」をハイライトに持ってくる映画が多い印象を受ける。 本作以外でも法廷ものでパッと思いつくのは「Guzaarish(請願)」「Veer-Zaara(ヴィールとザーラ)」「Guru(創業者グル)」。日本公開された「ロボット (Enthiran)」、「神さまがくれた娘 (Deiva Thirumagal)」でも裁判シーンが用意されていたし、「ボス(Sivaji the Boss)」や「恋する輪廻 (Om Shanti Om)」「ナヤク (Nayak)」などには、"証明できない悪を裁く"として裁判(の限界)に言及するシーンがあったりする。変わり種では、(ハイライトと言うわけではないけど)「運命の糸 (Dor)」ではサウジアラビアの裁判がキーとなって物語が動き出すなんてのも。 本作のような「事実は小説よりも奇なり」を地で行く事件もインド中でわんさとあるようだし、インド社会って実生活と裁判がわりと近いんですかねぇ。翻って、日本はどうなるのかと考えると…? 挿入歌 Dua (祈り[は、心の痛みを叫ぶ]) *超ネタバレ注意。いくつか編集点あり。 2006年に実際に行なわれた、ジェシカ事件の判決に対する抗議のキャンドル行進の再現シーン。この行進は、マスコミの追究と呼びかけによってネットを介して支持され始め、デリー中の人々が集まって裁判のやり直しを要求して、司法界を動かすきっかけを作ったと言う(劇中、この行進への意識拡大を表現するシーンとして、事件とシンクロするように当時大ヒットしていた某映画のキャンドル行進のシーンが出てきたりする)。 女性団体やスィク教団体たちが即座に反応して抗議の声を上げる中、証言を翻したデリーのセレブが「何故私が非難されなければいけないの」と嘆き苦しむ所が印象的。
受賞歴
「NOKJ」を一言で斬る! ・報道界と映画界の親近性…ってのにも注目。だからドキュメンタリー映画がインドで発達するんかね?
2014.4.18. |
*1 後に、抗議デモとマスコミの追究を受けた最高裁での再判で、終身刑が確定。 *2 犯人の名前は、実際にはマヌー・シャルマー(別名シッダールト・ヴァシシュト)だったらしい。 |