Nagin 1954年 134分(139分とも)
主演 ヴィジャヤンティマーラー & プラディープ・クマール
監督 ナンドラール・ジャスワントラール
"友情には友情を。敵意には敵意で返すのが、森の掟"
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その山間部の密林に、2つの部族が対立しあいながら居住していた。
ナギ族の族長の娘マーラーは、仲間がラギ族の矢で倒れたのを見てラギ族への復讐を誓い、族長宣言の一族総出でのラギ族との戦争に参戦する。その矢の持主…ラギ族の族長の息子サナータンをこの手で殺すために…!!
しかし、その争いの最中、マーラーは森中に響くビーン(*1)の音色に魅了され、ビーン奏者のラギ族の男の前に不用意に出てきてしまう。その男こそ、彼女が命を狙うサナータンだったのだが、突然の事で取り乱すマーラーが蛇に噛まれて気絶してしまうと、サナータンは彼女を介抱し意識を取り戻すまで安全な所で彼女を匿ってくれた。
再会を約束してサナータンと別れたマーラーは、その日からサナータンを思い、彼のビーンの調べが聞こえてくればすぐに出て行って、密かにサナータンと過ごすようになっていく。春祭りの日に2つの部族が一堂に会する市場でも、密かに愛を確かめ合う2人だったが、この祭りに来ていた行商人プラビールが族長に取り入って美しいマーラーを自分のものにしようと企み、ついにはマーラーとの結婚の許しをもらってしまう…。
挿入歌 Man Dole Mera Tan Dole (身体も心も歌い出す [もう我慢できないの。これは誰が奏でている音色?])
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タイトルは、ヒンディー語(*2)で「雄蛇」の意(*3)。
主人公の所属するナギ族の崇拝する蛇(*4)のことであると共に、そのナギ族の娘を愛しその姿を探し回るために蛇使いに扮した敵部族の恋人サナータンのこと…でもある?
1920年代末期から映画監督として活躍していたナンドラール・ジャスワントラール監督の、21作目の監督作となる舞台演劇的な白黒映画。終盤のミュージカル4曲を含む17分部分のみ、フルカラー撮影されている。
1954年度のヒンディー語映画界最高興行成績を記録した大ヒット作。特に挿入歌に人気が集中し、その後数々のアレンジ曲が作られるなど、後世への影響が大きい1本。
1976年の同名ヒンディー語映画をはじめ、同じタイトルの映画、TVシリーズが多数あるけども全て別物。
映画冒頭に「実在の部族民に対する差別を助長する意図はない」とクレジットされて始まる、古代的生活をおくる部族社会を背景とした「ロミオとジュリエット」的恋愛物語。
その語り口、芝居のあり方、衣裳風俗のそれ全てが舞台的な様式美の中で成立している映画で、インド国内のお話しながら異国情緒を前面に出した画面作りがファンタジー的でもあって目に優しい。まあ、舞台的であるが故に言いたいことは全部セリフになって大仰な身振りで語られたり、登場人物たちの複雑な内面や背景を語るような繊細な感情表現とかは全くないまま話が進むわけですが。対立する部族間の戦争といっても大規模なバトルシーンは一切登場しないし、戦争中にビーンの音色にうっとりして忘我の状態で恋愛に走っちゃう主人公の時点で、描きたい事ははっきりしているリアリズムラインである事は承知させられてしまう。
劇中音楽が公開当時大人気になって後々まで影響を及ぼしているって事だけども、あの、蛇神もの映画で何度となく聞かされているビーン奏が挿入歌に取り入れられたのは、この映画が初って事なのかどうなのか? インド中で蛇使いの奏でる音楽って共通してるもんなのかどうなのか、詳しい人がいたら教えてプリーズ!
前年公開作「Anarkali(アナールカリー)」から、ジャスワントラール監督作に主演で続投の大型新人(当時)プラディープ・クマールと言い、南インドで映画デビュー後、そのリメイク作でヒンディー語映画デビューして南北どちらからも人気を勝ち取った、やはり大型新人のヴィジャヤンティマーラーの2人の魅力全開の悲恋劇の中で、特にヴィジャヤンティマーラーの快活な表情芝居、妖しい眼光、魅惑的な民族舞踊(風にアレンジされたダンス、だろうけど)を前面にアピールした画面構成の徹底さが「わかってるねぇ」と感心してしまう印象的な構図を生んでいく。
タイトルから、蛇神もの映画かと思ってたけど、蛇は主人公の部族のトーテムとして象徴的に登場する以外は、蛇使い的立ち位置にあるサナータンと、奔放な蛇的な立ち位置にいる主人公マーラーの付かず離れずの関係性を描いていく恋愛ミュージカルの様相を呈する。
特に、白黒映画で映える2色構成の映像効果をきっちり撮影していった末に、17分に渡るフルカラー映像を「主人公の夢の風景」として描く映画ラストの色彩の洪水は、白黒からフルカラーへの移行期にのみ通用し発想できる色彩演出の妙を見せつけてくれて印象的。まあ、所々カット繋ぎが妙なところがある感じなのは、元からの構成なのか、見たものが短縮版だからなのか、フィルムの保存状態が悪いせいなのか気になるところではあるけれど。
映画後半、主役2人の恋が破局し生まれ故郷を捨てていかざるを得なくなってから、舞台は当時のインドの街中へと移行し、それまで登場してなかった現代機器に囲まれて生きる忙しない都会人との交流が始まって、物語が現代インドを舞台にしていることがはっきりと表現されていく。
その中で、部族民である主人公2人の純粋な生命力が発揮される展開に行きそうになるも、結局お話はそんな対比構造を無視して、恋人2人の運命的再会に花を添えさせるだけですぐに部族社会に舞台が戻っていくところが、描きたい方向性がハッキリしてるなあ…とは思える点か。
劇中で描かれる都会人が思い描く理想的な部族社会の中で、よくある恋愛物語と同じ望まない結婚による人生の破局・恋人に迫る危機の回避のための自己犠牲と言うよくあるお話をたどっていくものの、その異国情緒を刺激する画面によって、主役2人の(*5)幻想的な佇まいが、この映画独特の魅力を醸してくるよう。終盤のフルカラーの乱舞による、巨大セットでのミュージカルが、そうした恋の奇跡を起こしていく主人公の感情的爆発そのものを表現していくかのような、この当時にしか生み出し得ないインパクトをアピールしてくる感じになっていて素晴らしか。まるで1951年のハリウッド映画「巴里のアメリカ人(An American In Paris)」みたいか、それ以上のインパクトですよ!
挿入歌 Oonchi Oonchi Duniya Ki Deewarein (この世界の高い壁を情熱で打ち破って [私は貴方の元へ])
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*映画終盤、主人公の見るフルカラーな幻想第4曲。
受賞歴
1956 Filmfare Awards 音楽監督賞(ヘーマンタ・ムケルジー)
「Nagin」を一言で斬る!
・にしても出演者全員、簡単にコブラを素手で掴みますわ。慣れてるねえ(慣れさせられたのかも、だけど)。
2024.8.29.
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