インド映画夜話

Najma 1943年 120分(121分とも。カラー修正版は115分)
主演 アショク・クマール & シーターラー(・デヴィ) & ヴィーナ
監督/製作 マハブーブ(・カーン)
"誰にこの、惨めな話を伝えればいいの"
"……誰一人、私の苦痛を分かち合えないと言うのに"


挿入歌 Sajan Ke Naina Jadu Baan (恋人の眼は魔法の矢)


 今日も、モスクでは老若男女、富める者も病める者も平等に神への救いを祈る。
 孤児院の子供達の祈る姿を見て、その出資者とかかりつけの医者は、お互いにその献身をありがたがるのだが…。

 その医者の息子であるラクノウの医学生ユースフ・カーンは、隣の豪邸に住む美女ナジマーに恋していたが、歌でアプローチする彼をナジマーは適当に無視している。
 20年前、ラクノウに移住してきたカーン家はずっと隣に住むナワーブ(*1)の庇護のもとにあって大事にされて来た。そのナワーブ・ナッバンクの娘ナジマーはユースフに言い寄られてまんざらでもない様子だったが、素直に受け入れることをせず、彼女の恋心は使用人ティラクが知るのみ。
 それでも2人は幸せな交流を続けていたのだが、ある日、ユースフの父親が病気で寝込んでしまい、その原因が「10年前に取り決めた許嫁ラズィヤーとの結婚を、今更ユースフが拒否してきた」からだと知ったナワーブは怒り出し、「親が選んだ相手、同じ血族との結婚を拒否するなんて、なんて恥知らずなんだ」と家の中でもユースフの態度を批難し始める。それを影で聞いていたナジマーは……


挿入歌 Eid Milo Eid Guiya (イードを、抱き合ってイードを祝いましょう)

*イードとは、アラビア語で「祝祭」「祝日」「祭日」を意味する単語。祭日全てを指す単語ながら、大まかには大イードと小イードの2つを指すことが多い。
 旧約聖書に伝わるイスマーイール(*2)の燔祭(*3)を由来とする、ヒジュラ暦12月10日から4日間を祝うイードが大イード(イード・アル=アドハー *4)。ヒジュラ暦10月1日から3日間の断食月明けを祝うイードを小イード(イード・アル=フィトル)と呼ぶ。


 タイトルはヒロインの名前。アラビア語(*5)で「星」を意味する女性名。

 名匠マハブーブ・カーン監督の、自身のプロダクション第1号作品となった英領インド時代のウルドゥー語(*6)映画。
 その大ヒットによって、以後のイスラーム社会を描く劇映画の定型を作ったと言われる1作。

 古式ゆかしいイスラームの伝統が息づくラクノウを舞台に、若い男女の淡く暴走する恋心と、お互いの家の伝統的価値観の衝突を描く直球恋愛映画。
 根本的には悲恋劇ではあるものの、「若者の自由恋愛」と「各家庭の伝統的価値観」との対立において「伝統的価値観」の方に同情を寄せる映画で、その方が最終的には幸福であると断じているところなんかは、イスラーム映画ではないけれどのちの「ミモラ(Hum Dil De Chuke Sanam)」にも通じるインド式恋愛劇構造なお話。その意味では、イスラーム社会を描く映画だけでなく、のちのインド映画における恋愛劇全般への影響も色濃い映画になってる…んじゃないかなあ…どうかなあ。

 当時最高出演料契約だったと言う主人公ユースフ役のアショク・クマールの、恋に取り憑かれる青年像も「デーヴダース(Devdas)」的なインド的恋愛劇における美学が素直に反映されている感じだけど、そんな主人公を映画冒頭では本心を隠してわざと袖にしてからかい、中盤以降は両家の父親の顔と伝統を立てるためにやはり本心を隠して別人と結婚するヒロイン ナジマーの常に「感情を隠す」事を美徳とする奥ゆかしさの美学もいじらしい。

 そのタイトルロール ナジマーを演じたのは、1926年英領インドのバローチスターン州クエッタ(現パキスタンのバローチスターン州都)生まれのヴィーナ(生誕名タジョール・スルターナー)。
 家族でラホール(*7)に移住後、1939年のヒンディー語(*8)映画「Swastik」に端役出演後、1941年の「Kasauti」に"マンジューラー"名義で出演。翌42年のウルドゥー語映画「Garib」、パンジャーブ語(*9)映画「Gawandhi」で"ヴィーナ・クマーリー"名義で主役級デビューする。以降、ウルドゥー語、ヒンディー語映画界で活躍。1947年の印パ分離独立後もインドにとどまって80年代初頭まで70本以上の映画に出演していく(*10)。
 1988年のウルドゥー語映画「Razia Sultan(女帝ラズィーヤ・スルターン)」をもって女優引退。引退後に公開の遅れた出演作が数本公開されている。
 長い闘病生活の中、2004年にムンバイにて病没。享年78歳。

 セカンドヒロイン的な出番ながらクレジットはヒロイン ヴィーナよりも前に置かれているのが、ユースフの妻ラズィヤー役のシーターラー・デヴィ(生誕名ダーンラクシュミー *11)。
 1920年英領インドの首府ベンガル州カルカッタ(現西ベンガル州都コルカタ)生まれで、父親はベナレス出身のヴィシュヌ派サンスクリット学者兼古典舞踊家のスクデーヴ・マハラージ。母マツヤ・クマーリーの一族は芸能家系の出身で、自身とその姉弟(*12)も両親設立の舞踏学校で、様々な古典舞踊を叩き込まれたと言う。
 慣習通り8才で見合い結婚させられるところを頑なに拒否して進学。10才頃から父親の友人経営の映画館にて、幕間の15分間を埋めるソロダンサーとして舞台に立っていて、学業よりもダンス特訓を優先するようになる。11才時に家族でボンベイ(現マハーラーシュトラ州都ムンバイ)に移住。アティヤ・ベーガム宮殿にて詩聖タゴールや詩人兼独立運動家サロージニー・ナイドゥーなどの著名人を前にカタック公演を行い、タゴールに賞賛されてタタ宮殿での特別公演も開催している。
 12才頃、映画監督兼振付師のニーランジャン・シャルマーからのオファーを受けて映画のダンサー出演を始め、1934年のヒンディー語映画「Shaher Ka Jadoo」などに出演。30年代中頃から50年代にかけてダンサー兼女優として活躍するも、女優業がダンス特訓の妨げになるとして、57年の「Mother India」「Arpan」「Anjali」をもって女優業を辞めてしまう(*13)。
 1969年にサンギート・ナタック・アカデミー賞を授与された他、数々の芸術賞を贈られているものの、1973年に国からパドマ・シュリー(*14)を贈られた時には「名誉ではなく侮辱である」と拒否して、「バーラト・ラトナ(*15)より劣る栄典は受け取りたくない」と公言していた。
 後年、父親と共にカタカリをはじめとした伝統舞踊研究書を編纂。カタック指導者として、数々の映画スターの特訓も勤めていた。
 2014年、長年の闘病生活の末ムンバイにて病没。享年94歳。

 やはり印象的なのは、前半の2人の恋物語が終止符を打たれて望まない結婚を強いられる中盤以降の物語。
 医者の子供は医者の子供と、ナワーブの子供はナワーブの子供と結婚することで家督が守られる(*16)とする両家の父親たちの意を汲んで、ユースフを振るヒロイン ナジマーの悲しみもそこそこに、2人それぞれに愛情のない夫婦生活を強要されながら、「ナジマーと違って学のない女性なんか」と言われていたユースフの妻ラズィヤーが彼の悲しみの歌をついで「愛情のない夫婦生活」を当てこする自分の心情を見事に詩に託して歌う類い稀な詩才を発揮して妻としての自分の存在感をアピールしてくるし、賭博師として遊んでばかりの親戚と結婚したナジマーは、明らかに将来性のない夫ナワーブ・ムッカラムの流儀に合わせて盤上ゲームを挑んで更生させる良妻になろうと、自分の知識全てを使って夫に勝負を仕掛けていく。
 ずっとユースフとナジマーの中にくすぶるお互いへの恋心が、それぞれの夫婦生活を破綻させていくのを止められない状況でありながら、父親の希望通りの家族を作り上げようと奔走するナジマーの涙ぐましい努力は、ユースフの愛情を得られないままのラズィヤーの悲しさとシンクロしていくし、そのラズィヤーの嫉妬に駆られたナジマー見舞いの顛末で、ナジマーの愛情が自分に向いているわけではないと始めて気づく夫ムッカラムの嫉妬に火をつけてしまう片思いの連鎖によって、大人になりきれてないムッカラムが始めて恋心を意識する姿も(今となっては恋愛劇の定型ながら)麗しい。そのオチとなるラズィヤーの立ち位置の変化なんかは、小気味好く洒脱。ただの恋の鞘当て役にならないキャラクターとしての強さもさることながら、「伝統的価値観」が「自由恋愛」より上に置かれるが故のキャラクター配置であり人物描写だよなあ…と、本作で生まれたと言うイスラーム的感情表現がインドの話芸劇と出会うことで生まれてくる物語構造に感心してしまいますわ。

 それにしても、白黒でありながら絢爛なるナワーブ家の暮らしの優美さはセット撮影丸わかりのちゃちさもないではないけれど、衣食住のそれぞれが豪華豪華。使用人に囲まれて目が覚めるムッカラムが、朝の支度を呼びつければすぐ女性たちがそれをもってやって来る寝室なんて、庶民のワタスでは落ち着いて眠れないの確実ですわー(*17)。



挿入歌 Gaao Khushi Me Gaao (歌おう、喜びの歌を歌おう)

*ナジマーへの思いを断ち切れないまま、ナジマーや父親の言に従って愛してもいない女性ラズィヤーと結婚したユースフだったが、当然結婚生活はうまくいかず、どんなに歩み寄ろうとしても自分の中の恋心が邪魔をする。
 そんな中、ナジマーが病気だと伝えられ、彼女の顔も見れないまま必死で治療薬を調べるユースフの前に、彼にないがしろにされていた妻ラズィヤーが"喜びの歌"を歌いながら現れる…!!



受賞歴
 


「Najma」を一言で斬る!
・劇中、ユースフが将来の希望を聞かれて「医大を卒業後2ヶ月は総合病院で働いて、そのあと独立する」と言ってたけど、医者ってそんなんで独立できるもんなの?

2026.5.1.

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*1 太守。ムガル時代の地方長官の称号。のちに藩王や富豪と同義で使われる呼称。

*2 日本の一般的カナ表記では、イシュマエル。
*3 一般にユダヤ教、キリスト教、およびイスラーム教シーア派では、イサクの燔祭と伝えられる聖書伝説。イスラーム教スンニ派などでは、イシュマエルことイスマーイールをアラブ人の始祖として、イサクではなくイスマーイールが犠牲に捧げられたと伝える。
*4 ロシア語名クルバン・バイラム。日本語表記では犠牲祭とも。

*5 またはスワヒリ語起源とも。
*6 ジャンムー・カシミール連邦直轄領、ラダック連邦直轄領、アーンドラ・プラデーシュ州、ビハール州、デリー首都圏の公用語。主にイスラーム教徒の間で使われる言語。パキスタンの国語でもある。
*7 現パキスタンのパンジャーブ州都。
*8 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*9 日本語表記ではパンジャービー語とも。北西インド パンジャーブ州の公用語。パキスタンでも最大の言語人口を持つ言語で、シーク教聖典で使われている言語。
*10 分離独立の年に男優アル・ナーシルと結婚したのち2人の子供を出産しているけれど、1957年に離婚。
*11 高校の文化イベントでダンサー兼振付師をまかされた時に、シーターラーと言う芸名を使い出したとか。
*12 そのうちの1人である姉タラは、著名なカタックダンサー ゴーピ・クリシュナンの母親になる。
*13 その後、69年の「Paisa Ya Pyar」にノンクレジット出演。74年の「Badi Maa」に出演しているらしい?
*14 インドの一般国民に与えられる第4等国家栄典。
*15 インドの一般国民に与えられる最高位国家栄典。2010年まで、芸術、文学、科学、社会奉仕の成果を評する栄典であった。
*16 社会保障制度が機能していない状態では、同程度の経済規模と同じ生活慣習を守る家同士で結びつかないと、すぐに生活基盤が崩壊しかねないと言う防衛のための自衛意識?
*17 「水」と言って瓶から床に手洗い用の水を垂らしてたけど、あとで掃除するのも込みなんだろうか…使用人かわいそ。その揺りかご的な寝室そのものが、ムッカラムの幼さの象徴かもしれないけど。