その名にちなんで (The Namesake) 2006年 122分 学生時代のアショケ・ガングーリはその日、コルカタの列車に揺られながら祖父からもらったゴーゴリの「外套」を読んでいた。だが、日常の列車の旅は突如… 時は移り1977年。 コルカタに住むアシマは、米国の大学研究員アショケとの見合いの席にいた。彼女に求められたのは「英語が話せるか」「家族を残して地球の裏側のNYに旅立てるか」…見合いはつつがなく進み、アシマは式後すぐに米国へと旅立って、慣れないNYの生活の中で必死に生計を立てていく。 初出産の日。インドの習慣に習い、名付け親になるアシマの祖母の連絡を待つ間「赤ん坊の出生届が受理されないと退院できない」と言われたアショケは、一時的に息子を"ゴーゴリ"と名付ける。アショケは言う…「1度目の奇跡は、九死に一生を得たこと。…2度目はお前が生まれて来たことだ」 妹のソニアが生まれて来た頃、"ニキル(完全なる者の意)"と言う正式名をもらった4才のゴーゴリだったが、その時の彼は"ゴーゴリ"のままでいることを選択する。 時は流れ、大学生になったゴーゴリは、変人として有名な作家ニコライ・ゴーゴリの名前を嫌い、インドの古くさい習慣にも反発。ついに、名前を"ニキル"に改めると両親に語りだす…。 西ベンガル州から米国に移民した作家ジュンパ・ラヒリ(*1)の、初の長編小説を映画化した作品。 自身も米国への移民であり、直前に義母を亡くされたと言うミーラー監督の、その体験も色濃く反映されている印米合作の英語+ヒンディー語+ベンガル語(+一部フランス語)映画。監督自身「おそらくこれまでの私の作品の中で最もパーソナルな作品」と語る。製作はミーラー監督自身のプロダクション ミーラーバーイ・フィルムズ(米国)とUTVモーション・ピクチャーズ(印)で、配給がFOXサーチライト・ピクチャーズ。撮影はNYとコルカタの2カ所を中心に行なわれたそうな。 日本では、2007年に一般公開しDVDも発売。 序盤に若かりしアショケの列車の旅を描いて、それが急変する瞬間からタイトル。本編前半はアシマの視点で結婚〜米国移住〜育児を描き、中盤以降は移民2世のゴーゴリの視点で自立しようとする青年の苦悩と移民家族の悲喜こもごもを描く。親子2代にわたる移民たちの葛藤、望郷の念、価値観の相違、揺れるアイデンティティ、孤独、喪失感、ボーダレス・コミュニティの中のボーダー上にいる個の自立と協調を、淡々と、しかしエモーショナルに描いていく映画。 主人公ゴーゴリの持つ、インド文化への反発、インド系故にアメリカ社会に溶け込めない自分との葛藤と言う"移民をめぐる社会の諸問題"も映画的に様々な問いを投げてくるけども、なんと言っても親子の溝を象徴する「名前」の力強さ。ゴーゴリ自身の、名前から来るアイデンティティの揺らぎもさることながら、ラスト近くになって母親の名前の意味を初めて知った時のゴーゴリの表情と母アシマの穏やかな笑顔が非常に意味深。名前は、それ1つで言語的、意味付け的、世代間ギャップ、背景文化的な様々な意味を象徴すると言うことを一番表現したシーンかもしれない。 私も、自分の名前に対する不満やら反発やらが子供の頃あったもんで、ゴーゴリ親子の関係性の変化は色々と身につまされる所が多くてもう…。ま、ひっぱったわりに"ゴーゴリ"の名付け由来となるエピソードが淡々としすぎだなぁ…とは思うけど。 あと、「家では靴を脱ぐ」とか「親をファーストネームで呼ばない」「客が帰る時は、かならず見えなくなるまで外に出て見送る」「基本的に『愛してる』とは言わない」と言うガングーリ家の持つベンガル的風習が日本的で、なんとも自分の祖父母世代の感覚とダブって見えて「ああ…そういや、ばあちゃんの家から帰る時に『自宅に着いたら電話してね』と毎回言われて、ある時期から無視するようになっちゃったなあ…」と、ばあちゃんとベンガル人に平謝りしたくなってくる。 前半の主人公アシマを演じるのは、ヒンディー語映画を中心に国内外の映画で活躍する名優タッブー(*2)。妹も女優のファラー・ナーズ。親戚に芸術系映画の大女優シャバーナー・アーズミーと撮影監督のバーバー・アーズミーがいる。 ハイデラバードに生まれ、すぐに両親が離婚したために母方の教育者一族の元で育ち、1982年のヒンディー語映画「Bazaar(バザール)」に子役としてカメオ出演。87年のテルグ語映画「Coolie No.1」で主演デビューして本格的に女優業を開始し、94年の「Vijaypath(勝利への道)」でヒンディー語映画デビューしフィルムフェア新人女優賞を受賞。その後96年の「Maachis(マッチ)」ではナショナル・フィルム・アワード主演女優賞を、97年の「Virasat(遺産)」、99年の「Hu Tu Tu」、00年の「Astitva(存在価値)」でフィルムフェア批評家選出主演女優賞を、01年の「Chandni Bar(チャンドニー・バー)」では再びナショナル・フィルム・アワード主演女優賞を受賞。07年には「Cheeni Kum(甘さ控えめ)」で史上最多4度目のフィルムフェア批評家選出主演女優賞を獲得。11年には、その芸術への貢献を賞してインド政府からパドマ・シュリー賞(一般人に与えられる4番目に権威ある賞)が贈られたと言う。 日本公開作では、本作の他「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」でその演技力を見ることが出来る。 後半の主人公ゴーゴリは、インド系アメリカ人俳優カル・ペン(*3)が演じている。両親共にグジャラートからの移民で、本人はニュージャージー州モントクレア出身。祖父母は、マハトマ・ガンディーとともに独立運動に参加していたと言う。 本人いわくミーラー監督の「ミシシッピー・マサラ」に感動して俳優を志し、UCLAを卒業後、1998年にショートフィルム「Express: Aisle to Glory(急行:栄光への道)」でデビュー。「ER」「マスク2」などテレビドラマや映画で活躍する中、ミーラー監督への熱烈なアピールが叶って本作のゴーゴリ役をつかんだと言う。その後、09年から政府職員に転向しホワイトハウスに勤務するようになり、俳優業を休止している。 アショケを演じるのは、ミーラー・ナーイル初監督作「サラーム・ボンベイ!(Salaam Bombay!)」にも出演した名優イルファン・カーン(*4)。ラジャスターン州ジャイプル出身で、国立演劇学院(NSD)で演技を学び、テレビドラマを経て映画俳優になる。2001年の印英合作映画「The Warrior(戦士)」が大ヒットして一躍トップスターに躍り出て、ヒンディー語映画を中心に国内外で活躍中。 日本公開作では、本作の他「ダージリン急行」「スラムドッグ$ミリオネア」「アメイジング・スパイダーマン」「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した22日間」「めぐり逢わせのお弁当」などなど枚挙いとまがない。 橋、電車、靴、飛行機…と、2つの都市、2つの国、2つの文化、2つの世代をつなぎ合わせるモチーフの物語的シンクロ具合や映像的シンクロ具合も心得たミーラー・ナーイルの演出法はいつも通りな感じで、「1つの靴をお互いに履き合う」とか「聖火のない結婚式」とか、インド文化に根ざした暗示的で映像的な伏線もいい感じ。 メイキングや学生とのディスカッション、本編への解説の饒舌さなんかを見ても、映画製作の楽しさ、難しさ、理不尽さ、素晴らしさを人に伝えようとする行為そのものが作品としての輝きへ昇華しているプロセスも見所。是非とも「映画作ってみよっかな」って人はメイキングも含めて見るべき!
受賞歴
「その名にちなんで」を一言で斬る! ・子供の成長を見守りたいと言う想いがあったとして、『お前の名付けに、深い意味はない』なんて言われたら、そらグレるわ!!
2015.2.6. |
*1 本名ニーランジャナー・スデーシュナー・ラヒリ。 *2 本名 タバッスム・ハーシュミー。彼女の家族間での愛称タッブーが芸名のもと。本作公開時35才。 *3 本名カルペン・スレーシュ・モディ。 *4 本名 サーハブザーデ・イルファン・アリ・カーン。 |