インド映画夜話

Noor  2017年 117分
主演 ソーナクシー・シンハー
監督 サンヒル・シッピィ
"ムンバイ……あいつは私を殺しに来る!!"




 かつて仏陀は言ったー「問題は、貴方がまだ時間があると思っている事だ」と。そう言う格言が、WhatsAppでよく出回るけど、私にはよくわからない。
 知り合った男友達との友情は昨夜激しくなったのに、今朝は最悪な気分。うちの湯沸かしはいつまでも直らないし、私の体重はTwitterのフォロワー数より多い。どうして最高だと思った事はいつも最悪で終わるのだろう。私の人生なんていつも最悪だ。
 私の名前はヌール・ローイ・チョウドリー。ジャーナリストで……ジャーナリスト? …て言うかジョーカーかもね。ま、明るい面だけ見て行きましょ。

 ヌールの28才の誕生日は、家庭優先の上司シェーカル・ダスの無茶な命令による、芸能人サニー・レーオーンのインタビューで終わった。雨の中、車のキーを無くしてびしょ濡れで仕事を終わらせれば、幼馴染のDJザラ・パテール、ロンドン在住のレストランオーナー サード・セーガルに慰められつつ、自分の人生を呪って眠りに着く。
 翌日、怠慢なインタビュー映像が原因でクビを言い渡されるヌールは、そのままザラに紹介された彼氏との結婚を決めようとするもタイミングの問題で破局し、インドに帰ってきたサードに誘われるままに画廊を周ってから、ザラのクラブでヤケ酒を決め込んでいく。その時、画廊にて展示写真をボロクソに批判していたヌールに興味を示した、展示写真の作者である元CNNフォトジャーナリストのアヤーン・バナルジー(本名アヤーニカ・バナルジー?)は、クラブで踊る彼女を翌日カフェに誘い彼女の意見に耳を傾けて行く。お決まりの芸能ルポではなく、街中に転がる皆が気づかない小さな事件を追いたいと言う彼女の希望は、アヤーンをも感化して行って…。

 その後、シェーカル・ダスに謝罪して再び彼の会社の記者として働くヌールは、シェーカルの親族が経営する信託組織所属のディリップ・シンデー医師が進める、貧困層のための無料医療事業取材を命じられる。
 順調に取材を進めてニュース映像を制作して行くヌールだったが、その制作途中の映像を見た彼女の家の家政婦マールティは突如泣き崩れる…。
「なに? どうしたのマールティ? なにがあったか説明して…」
「この男…この男は…私の弟に仕事を与えると約束したのに……腎臓を盗んだんです……」


挿入歌 Gulabi 2.0 ([僕が君の] ピンクの [瞳を見つめると])


 タイトルは、主人公の名前。ペルシャ語由来の単語で「光」の意とか。
 パキスタン人作家サバー・イムティアーズ著の小説「Karachi, You're Killing Me!(カラチ、貴方は私を殺す気か!)」を原作として、舞台をムンバイに置き換えた翻案ものヒンディー語(*1)映画。
 2020年の同名パキスタンTVシリーズ他、小説、戯曲、バンド名とかでも同名作品が多いものながら、全部別物、のはず。

 インドより1日早くクウェートで、インドと同日公開でオーストラリア、カナダ、英国、インドネシア、アイルランド、ニュージーランド、米国でも公開されたよう。

 主人公の独白ナレーションから始まる本作は、軽快にムンバイで生活するおっちょこちょいな悩める都会人女性の、1日の由無し事を切り取る爽やかな日常劇を描き出し「インド映画も日常系を作るようになったのねえ」みたいな「皆が気づかないほどの日常」の楽しさを物語る、主人公ヌールのジャーナリズムの理想と重なる悩める現代人の可笑しさを魅力的に描いて行く。
 しかし、話は中盤に差し掛かると様相を異にして、マールティの証言から始まる貧困層をターゲットとする違法臓器売買と言うムンバイの闇が主人公に迫り、消費されるジャーナリズムの出し抜きあいもあって、主人公ヌールの失敗から来る大事件から、彼女の立ち直るまでを描いて行く中で、現代ムンバイにはびこる様々な社会問題の根本に存在する都会人、現代人の無関心を糾弾する社会派な物語へと変化して行く。
 と言いつつ、お話の視点は常にヌールの独白を中心にしているので、自身喪失家でありつつ楽天家でもあるヌールの語り口の軽さが、映画全体のイメージも軽快に保ってくれて、テンポの良い爽やかな悩める都会人映画を作り上げてくれている感じ。

 基本的にはタイトルロールを演じるソーナクシーの魅力全開映画で、皮肉上等なシニカルかつお気楽な会話で紡がれる映画ではあるけれど、それぞれのカットはどこか上品さを保っている美しさが、2020年版「Love Aaj Kal(今時の恋愛)」みたいな都会派オシャレ映画を彷彿とさせる。主人公がペルシャ語名を名乗りつつ、名字はベンガル名になってる混濁具合、元々カラチを舞台にしたパキスタン小説をムンバイのインド人の物語に落とし込んでいる混交具合も、本作成立における南アジア文化の混交具合・共通性具合を意識もさせて来る…か?

 後半の社会派なテーマによるヌールのムンバイという大都市に向けた「Munbai, You're Killing Me!(ムンバイ、貴方は私を殺しに来る!)」のスピーチ(約4分)は、チャップリンの「独裁者(The Great Dictator)」よろしくムンバイの現実を糾弾する正直な声として、原作からの引用をではあろうともムンバイでも同じ問題が成立する現代、あるいは都会の病理こそが問題である事を訴える。その辺はテーマ先行気味な感は強いものの、お話自体が南アジアの都会全般(*2)に通じる物語の普遍性を持つものである事を見せつけもするか。試しにだれか、日本を舞台に翻案してみてほしーのー(他力本願)。

 ジャーナリスト主人公映画として、数ある同じようなインド映画と共通してジャーナリズムに対する信頼と疑惑双方をガッツリ描いているのも注目どころか。
 富裕層にのみ注目する報道界のあり方や、報道によって人生を狂わされる人々への保証もなしに情報提供せよと迫る報道の正義の暴走、そうした負の面を描きつつも根本部分で社会の負の面を暴き出す最後の砦としての報道の力を信じている姿が、報道する側のヌールやアヤーン、シェーカルのジャーナリストとしてのプロ根性の差異に、報道される側のマールティとヴィラス姉弟を襲う不条理な現実の冷酷さに、それぞれしっかり対応させて描かれているところも注目ポイント。映画人もまた、報道に片足以上突っ込んでいる現実をも意識しながら制作された企画かもしれない、と深読みしてしまえば、前半のオシャレ映画然とした演出もその社会派メッセージに向かう隠れ蓑か誘い餌のような機能も意識されてそうだなあ…とかとか、無駄にメタな深読みも可能になってしまうところは罠ですわあ。



挿入歌 Uff Yeh Noor (ああ、これがヌール [神のご加護のあらんことを])




受賞歴
2018 Filmfail Awards 最悪女優・オブ・ジ・イヤー賞(ソーナクシー・シンハー)


「Noor」を一言で斬る!
・マスターに酒類をサーブされる画廊なんて、どこ行きゃあるのよー!?

2026.6.26.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*2 あるいはもっと世界中の都会生活者も含めて?