パロミタ (Paromitar Ek Din) 2000年(1999年とも) 134分(130分とも)
主演 アパルナ・セーン & リトゥポルナ・シェーングプタ
監督/脚本 アパルナ・セーン
"ここでは、結婚してから1日たりとも平穏な日だったことなんてないわ"
挿入歌 Hridoy Amar Prokash Holo (Tagore song) (我が心は、歓喜の空にさらされて / タゴールソングの1つ)
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*母親から長年にわたり「役立たず」と罵られ折檻され続けているククが、自分の不甲斐なさをタゴールソングに乗せて歌う。それを垣間見た共に"障害児の母"であるショノカとパロミタは…。
ー新しい衣服に着替えるが如く、人は古きものを捨て行く。
魂は、新しきものを受け入れ、古きもの、無用のものを捨て行く。
何人も魂を切り裂くことはできない。火で焼き尽くすこともできない。
水にも沈まず、風に枯れることもなく…。
***********
その日、広告会社勤務のパロミタ・シバスタブ(別名モドゥシュリ)は、西ベンガル州の北24パルガナー県バラシャットの古い屋敷の葬儀に出席していた。すでに自分とは関係ない家の葬儀について、親戚たちが影口で笑い合う中、パロミタはかつての自分を思い返していた……。
かつて、この屋敷の息子ビルー(本名ブルタス・サンナル)と結婚式を挙げたパロミタは、サンナル一族全員から祝福されたのだが、ビルーの妹である統合失調症のクク(本名サンジュクタ)の存在や、やがて夫婦の間に生まれてきた赤ん坊バブルー(本名アルジェシュ)が脳性麻痺の徴候を示すと、一族はこれを恥としてお互いをけなし始め、家族は険悪な様子を濃くしていく。
「ああ神様……、もう私には耐えられません…」
口を開けば不満の応酬ばかりだったパロミタと義母ショノカだったが、ある日義父が事故死したとの連絡を受けてからは、義母は一転してパロミタとの団欒を楽しむようになった。パロミタは、隣人にしてショノカの親友…実のところ恋人同士…でもあるモニおじさん(本名モニメイ・ビスワース)から思いもしなかった快活な頃のショノカの少女時代の思い出話を聞かされ、より親密になっていく…。
脳性麻痺の息子の主治医を介して、障害児教育を取材するドキュメンタリー作家ラジーヴ・シバスタブ(略称ラジュー)と知り合ったパロミタとシュノカは、支援施設での生活に世界が広がる喜びと切なさを感じていたのだが、次第に仲良くなるラジーヴとパロミタを見ていたシュノカは……
挿入歌 Bipulo Taranga Re (私の理解が、揺さぶられ、動揺している)
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タイトルは、ベンガル語(*1)で「パロミタのある1日」。
ベンガル語映画界を代表する女優兼監督アパルナ・セーンの6本目の監督作(*2)。タイトルの下に、英題「House of Memories(家の記憶)」と副題が表記されている。
日本では、2000年のあいち国際女性映画祭にて監督来日の上で上映。2001年のアジアフォーカス・福岡映画祭、2010年の福岡市総合図書館映像ホール シネラの「インド映画の世界」、2024年の企画上映アジアの女性映画監督再考インド篇でも上映されていて、福岡市総合図書館フィルムアーカイヴ収蔵作品でもある。
結婚式や葬式などでは多数の親族が集まるお屋敷を舞台にして、そのお屋敷に嫁いだ記憶を回顧する主人公パロミタの過去と現在を相互に見せていきながら、彼女との友情を最後まで育んだ義母ショノカとの関わりを描いていく1本。
現在と過去の映像にそんなに差異が設けられていないので、登場人物の衣裳その他の雰囲気から察するような作り方になっていて、映画構造を理解するまでに何回か混乱する感じではある(*3)。
とはいえ、華やかで一族全員が祝福に集まる結婚式に始まるパロミタの回想と、一族みんなが沈痛気味(*4)で白系の喪服を着ている現在と言う対比はしっかりと組み込まれていて、そこにお屋敷の実際の住人である家族(*5)の関係性の残酷な変化が潜んでいるのが非常に効果的。
「この世は地獄だ」とアイロニックに語るパロミタの夫ビルーを始め、家族の男たちは母や妻、妹といった家庭の女性たちを責め続け、障害児を生んだ母ショノカとパロミタに文句と否定的な言葉でしか会話しない、バラバラに崩壊している家庭の有様を描いていく前半〜中盤は、なかなかに冷徹で辛い。
BGMの類がほとんどなく、環境音と登場人物たちの言い合いでつないでいく映画は、感情移入を排したドキュメンタリー映像のようでもあり、1カットごとのゆったりした長さも険悪なお屋敷の空気を増幅させるような、そんな険悪さを和らげる非対称な不穏さを発揮するような構成にもなっているか。
お話が劇的に変わるのは、パロミタの義父の死後、何かを覚悟したかのような義母ショノカの快活さへの変化で、そこからショノカの過去、パロミタとの類似性と相反性が現れ始め、お屋敷で取り残される運命にあるショノカとククの将来的な破滅が見えて来ると、現在編の葬儀の意味がより不穏な形として観客に見せつけられていく。徐々にパロミタの回想が現在に近づいていくに従い、その間にパロミタとショノカに何が起きたのか、「障害児の母」として蔑まれてきた2人の女性が、お互いに助け合いつつも対局の運命に翻弄されていく様を探っていくミステリー的要素をも浮かび上がらせる。
アパルナ・セーンが監督と共に主役の一方ショノカを演じ切ってる姿も素晴らしい役者魂を見せつけられるけれど、それを向こうに張って主人公パロミタを演じたリトゥポルナ・シェーングプタの存在感も負けてはいない。
そのリトゥポルナ・シェーングプタは、1970年西ベンガル州都カルカッタ(現コルカタ)生まれ。子供の頃から絵画、舞踊、歌、手工芸を絵画教室で学び、大学で歴史学を修了。
その間の89年に、ベンガル語TVドラマ「Shwet Kapot」の監督兼主演男優クシャール・チャクラボルティ(*6)の誘いを受けてスクリーンテストに赴き、ヒロイン役に抜擢されて女優デビューする。当初は父親に女優業を反対されたと言うものの、その後順調にTVドラマ出演をこなして人気を獲得していき、91年のオリヤー語(*7)映画「Kotia Manish Gotiye Jaga」で"チュムキ"名義で映画デビュー。翌92年には「Shwet Pathorer Thala」でベンガル語映画デビューし、94年の「Teesra Kaun?」でヒンディー語映画デビュー、95年の「Ghatotkachudu」に"リトゥ・パルナ"名義でテルグ語(*8)映画デビュー、96年の「Karnataka Suputra」でカンナダ語(*9)映画デビュー、97年には「Shami Keno Asami」でバングラデシュ映画デビューもしている。
以降、現代史研究のために進学したカルカッタ大学を退学して女優業に集中。主にヒンディー語とベンガル語映画界で活躍中。97年の「Dahan(板挟み)」で共に主演したインドラニ・ハルデルと共にナショナル・フィルムアワード主演女優賞を獲得したのを皮切りに、数々の映画賞・功労賞を受賞。03年の主演作となる「Alo(光)」でプロデューサーデビューもしていて、06年の出演作「Anuranan(共鳴)」では挿入歌を担当して歌手デビューもしている。13年には「Kathaveedu」でマラヤーラム語(*10)映画デビューしていて、22年に西ベンガル州の州顕彰バングラ・ブーシャンを贈呈されている。
本作の印象的な演技でナショナル・フィルムアワード助演女優賞を獲得したクク役のショヒーニー・シェーングプトは、男優ルドラプラサド・シェーングプトと女優シャーティレーカー・シェーングプト(旧姓チャタルジー)の間に生まれた女優。
コルカタで生まれ育ち、劇団ナンディカルの主演俳優の1人として舞台演劇で活躍。92年のアッサム語(*11)映画「Haladhar」で映画デビューしてアッサム語映画界で活躍する中、本作でベンガル語映画デビューする。以後、ベンガル語演劇と映画を中心に、舞台演劇、映画、TVドラマで数々の女優賞を獲得して活躍中。
パロミタの回想の始めにあらわれる、新婦パロミタの忘我の表情アップの不穏な眼力は特に印象的で、その幸福とは程遠いような感情の渦を押し込めたような姿は、すぐに結婚生活の破綻によって具体的に現れて来るところも象徴的。
結局婚家は、義父の死によって息子たちが家を出ていき、もともと結婚によって実家との家族としての縁が切れてる娘たちを頼ることもできないまま、ショノカとククだけが孤立した袋小路に落とし込まれていく現実の残酷さを、ショノカが承知の上でパロミタに笑いかけ、今まで手も出そうとしなかった障害児バブルーの世話を焼くようになることで友情を育んでいく様のなんと痛々しいことか。
しかし、その中で2人の交流が相互理解を生んで、バブルーの生活支援学校での教育を通して「こうではなかったかもしれない世界」の可能性に気づく切なさ(*12)は、長回しの1カットで綴られる淡々とした独白に渦巻く感情のうねりの激しさを思わずにはいられなくなる。
その後、障害者支援活動を通して知り合った新しい夫を迎える決意をしたパロミタが、ビルーとの離婚を切り出した時のショノカの激しい抵抗は、寄って立つただ1つの屋台骨を失う恐怖と絶望、結婚によって人の縁が断絶するベンガル社会における女性を取り巻く刹那的な人間関係の悲しさを見せつけられるよう。古くからの友人であり恋人でもあったはずのモニおじさんとの仲を進展させられずに来てしまった自分への悔恨を含む絶望は、主人公パロミタの中にある「ありえたかもしれない未来の姿」を見てより深まるのだろうと思えてしまえばなおさらに…。
一方のパロミタには、息子の教育を通して新しい道を示してくれる新しい人脈があり、自身で道を拓いていく活力があったことによって、ショノカとは違う道を歩むことができた。それでもなお、家族に見捨てられた状態で、自立できないククと共に老いて死んでいく道しか残されていないショノカを見捨てられず、縁が切れて本来は屋敷に入ることすら許されないはずのパロミタが、誰もやりたがらない(*13)ショノカの介護を親身にやっていく姿は、2人の間に芽生えた友情故か、遠くない未来に予見できる絶望故か、説明しえないなんらかの感情故か。家族の結集という伝統が破綻してしまっている現在において、なお伝統に縛られ社会とのつながりを規制される女性たちの自由への第1歩が、こうも重々しいものとなるのは何故なのか…。
メイキング (英語 字幕なし)
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受賞歴
2000 チェコ International Film Festival of Karlovy Vary 世界批評家賞
2000 International Film Ferstival of Mumbai FIPRESCI(国際映画批評家連盟)推薦賞
2000 Natinal Film Awards 助演女優賞(ショヒーニー・シェーングプタ)・ベンガル語映画注目作品賞・女性プレイバックシンガー賞(Hridoy Amar Prokash Holo… / ジャヤシュリー・ダースグプタ)
2001 Bengal Film Journalists’ Awards 男優賞(プラセンジット・チャタルジー & ラージャタバー・ドゥッタ / 【Utsab】に対しても)
「パロミタ」を一言で斬る!
・コルカタの喫茶店でも、水のサービスは出てくるのね!
2023.8.18.
2024.8.8.追記
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