PK 2014年 152分 …インドはラジャスターンの砂漠。ここで大事なペンダントを盗まれてしまった男がいた。 彼は衣類も持たず、知り合いも存在せず、言葉も知らないまま、ただ一人、そこにいた…。 同じ頃、5000km彼方のベルギーはブルージュ。 デリー出身でTV報道を学ぶ留学生ジャッグー(本名ジャガト・ジャナーニー・サーニー)は、パキスタン人建築学生サルファラーズ・ユースフと知り合い、やがて恋人同士になる。しかし、強固なヒンドゥー教徒の両親は異教徒との結婚に反対。家族ぐるみで世話になっている新興宗教教祖タバスヴィーに直談判して、「お前は彼に裏切られるだろう」と教祖の予言を伝えてくる。これに反発してサルファラーズとすぐ結婚しようとしたジャッグーだったが、式当日、彼は教会に手紙だけを届けて、姿を現さなかった…。 半年後。 ニューデリーに戻ったジャッグーは、実家を出てTVレポーターとして日々ニュースネタを探す毎日。 ある日、駅で「尋ね人 神様」「誰か神様を見かけませんでしたか?」と言うチラシを配る奇妙な男を発見。宗教ネタを嫌う上層部も無視して、特ダネの予感からこの男を追跡するジャッグーは、彼が巻き起こす数々の奇想天外な事件を目撃していく。 宗教ビジネスを逆手に取って生活費を捻出しながら神様を捜す男は、ポージプリー(*1)なまりのヒンディー語で「お金があっても、僕は家に帰れない」と語り、自分を「名前はないけど、皆はpk(酔っぱらい)って呼ぶんだ」と名乗る… 挿入歌 Tharki Chokro (好き者野郎が [妙な熱意ある客が、オレの元にやって来た]) *とある事情から、人の手をむやみやたらに握りしめようとして次々と問題を起こしていくpk。それを、彼を引き取ったラジャスターン系楽団長バイロン・シン(演じるは、ラージクマール監督の第1・2作で主演していたサンジャイ・ダット!)がドタバタと取りなしていく…。 もともとこの歌は、有名なラジャスターン地方の民謡を元に作った歌だそうで、歌うはラジャスターン民謡歌手のスワロープ・カーン! タイトルは、主人公の自称名で、ヒンディー語(*2)で「酔っぱらい」の意。 ボリウッドの歴史を塗り替えた「きっと、うまくいく(3 Idiots)」の監督ラージクマール・ヒラーニーと、主演アーミル・カーン(*3)が、再度タッグを組んだ世界的大ヒット作! 同じくアーミル主演で「きっと、うまくいく」の記録を更新した「チェイス(Dhoom 3)」の興行成績を、さらに塗り替えた超傑作で、そのあまりの人気っぷりに、続編の企画が動いているとかなんとか? 日本では、2016年に一般公開決定! 「医療改革」「ガンディー主義」「教育」と1作ずつ明確にテーマを定めて描いて来たラージクマール監督が、次に選んだテーマは「神様」!! とある事情(*4)で、天涯孤独な身でインドに降り立った無垢なる主人公pk。彼の「家に帰りたい」と言う希望のもとに、「神様がなんとかしてくれる」「神様に頼んでみればいい」「世の中のことは、神のみぞ知る」と語り続けるインド人たちの中で、言葉そのままに神様を捜し出そうとする姿は「白痴」のムイシュキン伯爵かのような立ち位置。 しかし、本作でその無垢なる主人公を取巻くのは、一筋縄では行かない混沌の国インド! 名前や服装や立ち居振る舞いで、所属するコミュニティが表現されるインドには、無数の民族、部族、言語、宗教、職業、教養が重なり合って存在し、それに伴う礼儀作法、食事制限、生活上の常識もまた無数に、かつ互いに矛盾しあいながら存在する。礼服の色や様式、挨拶時のジェスチャー、安全な身の処し方、日々の祭式方法、感情の表し方、1日の生活の流れなどなどなど。同じ人間同士が生活する街中で、異なった常識を持ち合う人々がそれぞれに空間を分け合いながら、相手の常識を尊重しながら、互いに混ざり合いながら日々を過ごすインドのそのパワフルさ、カオスさは、部外者目線から見てもとてつもなくエネルギッシュ。 映画は、そんな部外者pkの視線からインドの混沌具合を描いていき、その矛盾具合、窮屈さ具合、アバウトさ具合、日常の中の宗教や伝統の意味の再考をコミカルに問い続けていく。 この映画のスゴい所は、こうした「日々の常識を疑う」事を「常識の存在意義を捉え直してみる」事に落とし込みつつ、それを「無理なく、爽やかに、微笑ましくアホ可愛らしい人情喜劇」として描いている所にある。その演出術、話術、物語構築力、日常と非日常の切り取り方、過去の映画がそれぞれに描いて来たテーマの再創造具合は爽快(*5)。 内側から見たインドと、外側から見たインド、それぞれに多種多様な要素を抱え込む無数の人生の集合体。神様の名のもとに現される、人間の生き続けていく力のなんと強靭で滑稽で、残酷で、矛盾ばかりで、かつ美しいことか。 劇中、宗教生活を理解しないpkが、周りの人々が自分の利益になるかも分からないまま熱心に行なう数々の宗教儀式、祭礼、パフォーマンスの数々を、ヒンドゥーやイスラム、キリスト教、シーク教、ジャイナ教、新仏教などなど、そのそれぞれの宗派の区別なく体験し、実践し、その上で人にとっての神の意味を1つ1つ証明するくだりなんか、見ていて「こいつら、ホント理系頭脳でお話を組み立ててるよなあ」と、文系脳な自分にはない部分を見せつけられるかのようで感心しますわ。 宗教と言うもの対して、実験してその実体を証明、そこから現れる論理と現実との乖離具合や、人と人の間に起こる数々の誤解を、「間違い電話」と表現して生活上の常識を整理整頓していく。宗教を否定するでなく、そのまま肯定するでもなく、宗教から生み出されるインドの生活文化を冷静に、冷徹に分析していくpkのコミカルさが、そのままインド文化への疑問や懐疑につながり、人間の暖かさ、どうしようもなさを導き出していく。そのロジカルなエンタメ性、スゴい!! 出演者だけ見てても色々豪華だし、色々語ることもいっぱい。 「きっと、うまくいく」に続いてラージクマール監督作に続投主演のアーミルの演技の、無垢な主人公である故に一種異様な存在感。まばたきしないギョロ目、走る時にブレない上半身と、動きづらそうなポーズも見所。 ショートヘアーの現代っ子として元気に動き回るジャッグー(*6)演じるアヌーシュカの魅力。 保釈期間中に映画撮影に合流し、しっかりきっかり重要な役所を演じてくれるバイロン・シン役のサンジャイ・ダット(*7)。 ラージクマール映画では安定の存在感、TVアナウンサーのチェリー役ボーマン・イラーニー。 とにかく怪しさプンプンながら好敵手を存分に演じきるタパスヴィー教祖役のサウラブ・シュクラー。 キャラの濃い傍役たちとも相まって、1人1人それぞれに注目ポイントが用意され、意外なゲスト出演もあって色々語り出したら止まらない。メイキングで走り回るスタッフたちの仕事ぶりも、和気あいあいとしながらパワフルでエネルギッシュ。画面を埋め尽くすデリー各地の雑踏を創りだすのに、どんだけの手間ひまがかかってんだかもう。 語り出したら止まらないのに、映画見終わったら「おおおぅ…」とため息と爆笑とに包まれてしばらくなにも言えなくなる満足感。いやはやスゴい映画。 こうした、楽しそうな舞台裏を見せるメイキングにて、スタッフ親睦のためにダンスコンテストを開いた監督の、それを振り返りながらのインタビューに乗せて、黒澤明の言葉を画面に引用させて閉められるのがとても印象的。 「映画とは、個々の人々の才能の結合による、共同作業の力で作られるものである ー黒澤明」 挿入歌 Love Is a Waste of Time ([1日中君を見つめて、君の言葉を聞き逃さず、仕事を脇に置いて、ずっと君を追いかける] 愛はただ、時間を浪費するだけだね)
受賞歴
「pk」を一言で斬る! ・ちぢれ毛で耳がデカく、ポジティブで噛みタバコが好きで童顔、(周りのアヌーシュカとかに比べて)背の低いpkことアーミル。特徴だけ見ると、あんたホビットやな!
2015.12.18. |
*1 ビハール州の公用語。デリー〜ウッタル・プラデーシュ州周辺でも使用される。 *2 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。この言語の映画界を、その製作拠点の都市ムンバイ(旧ボンベイ)に掛けて俗にボリウッドと言う。 *3 さらに、監督の第1・2作で主演したサンジャイ・ダットも出演! *4 って映画冒頭で思い切り説明されますけど。 *5 多少、説明的な面もあるっちゃある。 *6 ヒンドゥー女神に因んだ名前、だそうな。 *7 撮影終了の日が保釈期間の最終日だったそうで、すぐまた収監されていったそう。 |