Pattam Pole 2013年 122分
主演 ドゥルカン・サルマーン & マラーヴィカー・モハナン
監督/ストーリーコンセプト/撮影監督 アラガッパン(・N)
"僕たちの間にあったもの…それは"
その早朝、ケーララ州イェルナークラムに住むカールティ(本名カールティケーヤン)とリヤーは家族に黙って駆け落ちした。
その事実を知って、タミル系ブラーミン(=バラモン)のカールティの家とクリスチャンのリヤーの家は騒然。なんとか世間に知られる前に2人を連れ戻そうと躍起になる。
一方、件の2人はウーティ(タミル・ナードゥ州ウダカマンダラムの略称)に到着したもののホテル宿泊費その他ですぐ困窮状態になって大喧嘩し、数日後に何食わぬ顔で家に戻ってくる。子供が戻ってきて一安心する家族たちだったが、一見元気に振る舞いながらもわだかまりを残したままの子供達を、それぞれに気遣いながらなんとか日常生活を演出して行くように。
そんな中、イベントスタッフ会社に就職してファッションショーのプロジェクトマネージャーに就任したカールティは、そのプロジェクトのために会社が迎えた新規スタイリストとしてリヤーを紹介されてしまう…!!
挿入歌 Kannil Kannilonnu (眼の中に…君の眼をとらえて [耳の中に…君の声をとらえよう])
撮影監督アラガッパンの監督デビュー作にして、女優マラーヴィカー・モハナンの映画&主演デビュー作となるマラヤーラム語(*1)ロマンス映画。
インドの闘凧祭で見られるような2つの凧の追いかけっこから始まる本作は、ノスタルジー的な感じも漂う若い男女の自己実現と家族ドラマが交錯する、わりとオーソドックスなラブコメ。
本作がデビュー作となるマラーヴィカー・モハナンと監督のアラガッパンという両者のお披露目的なニュアンスが強い手堅い作りになってもいる…か。
異教徒同士の恋人たち、家業とは異なる道に進む若者、新社会人の味わういろいろな苦労…みたいな要素も入ってるもののお話的にはそれらの扱いは軽く、恋人たちの破局からその回復、そこに描かれる家族を通じての自己実現という点が常に強調されて行くお話。そういう意味では特に重めなモチーフもないし、終始ほんわかしてる軽いノリの映画でもある。
親に反抗して自己実現のための駆け落ちをした2人が、結局2人だけではうまくいかずに家に戻って来て、家族の影ながらの後押しを受けた上で自己実現を達成するという構図は、さすが家族第1主義のインド映画って感じで、最後のちょっとしたどんでん返しも小粋に家族愛というものを異性愛と等価にして描く良心的な仕掛けになっている。
監督を務めたアラガッパン(・N)は、1957年生まれ。
80年代からTV局勤めのカメラマンとして働き始め、97年のマラヤーラム語映画「Sammanam」で劇映画の撮影監督デビュー。99年の「Agnisakshi(証となる炎)」でケーララ州立映画賞の撮影賞と、ケーララ映画批評家協会賞の撮影賞を受賞。以降も、マラヤーラム語の映画&TV界で撮影監督として活躍して数々の撮影賞を獲得している。12年のケーララ国際ドキュメンタリー&短編映画祭にて運営主任(?)に就任したのを皮切りに、様々な映画やTV関係のイベント運営を務めてもいる。
さすが撮影監督出身の監督作、という感じに画面の景色やレイアウトは全編美しい(*2)。
無数の川が作る沼沢地も多いというケーララ南部の景観を匂わすような、劇中舞台の湿気に煙る空気も肌に感じるようだし、駆け落ちにハウスボートを使うという移動手段も独特。川が増水すれば、家のドア前まで水浸しになってしまう地域で、普通にバイク乗り回したり船を利用したりしているケーララ的情景をこんなに見た映画も珍し…い?(探せば出てくるかも)
ヒロイン リヤーを演じるマラーヴィカーも堂々としたもので、カールティ演じる映画スター ドゥルカン・サルマーン相手でも一歩も負けない存在感を示してくれる。なんか、カットによっては絶頂期のアシンを彷彿とさせる感じもあるけど、そんな路線を狙っていたのかどうなのか。
まあ、存在感そのものは物語上のキャラの強さが一番の原因な気もするけれど。前半の駆け落ちで、お金に困った瞬間ヒロインの持ち物に手を出すわ、それを咎められるとすぐ手が出たり「もう駆け落ちも終わりだ! 俺は家に帰る!!」とか言い出す男側主人公カールティの情けなさが、中盤以降のイベントスタッフ会社でプロジェクトマネージャーに就任した途端全ての物事を無難に処理する頼れる男に豹変するのも都合がいいんだかどうなんだか。喧嘩する2人の間に入ろうとする恋のライバルも出てはくるものの、ほとんど話がこじれないままツンデレカップルとしての2人の喧嘩を側で見てるだけで終わるのは、キャラ的には賢い選択なのかもしれませんけどねえ…。
それぞれの家で子供を見守るお父さんが、よくいるインド映画の厳しき父親ではなく、子供達の自己主張を尊重しつつ、そのわがままをなんとか丸く収めようと家族や近所の人々に無言の圧をかけられながら奔走する様も微笑ましい。
最後は「やはり父は偉大なり」な方向に話がシメられはするものの、いちいち家族の顔色をうかがったり、なんとか穏やかな話の方向で事を納めたいと言う思惑をいろんなことに邪魔されたりと言う親側の苦労もじっくり描きながら、子供達を暖かく見守る姿が描写されるのも暖かい。
子供の幸福を願いつつ、独り立ちして行こうとする子供と時に衝突しつつ時に陰ながら見守りつつ、時にはともに笑い合いながら人生を切り開いて行く、親との関わりありきで描かれる青春恋愛譚も、売れ線を固辞するオーソドックスな作りながらこんなにも爽やかなロマンス劇になり家族劇になるもんなのね、ってインドにおける幸福観・家族観を噛みしめる1本でありましょうか。
挿入歌 Hey Vennilaa (ああ! 月の光が [翼を広げる])
「PP」を一言で斬る!
・洪水まみれの道を、バイクで走って行く白衣の僧侶も大変よね(泥道の泥具合が半端な!)。
2021.6.19.
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