ファントム・オブ・ムンバイ (Phantom) 2015年 160分(137分とも)
主演 サイーフ・アリ・カーン & カトリーナ・カイフ
監督/脚本/台詞 カビール・カーン
"これは、真実の物語。…貴方が信じるのなら"
米国シカゴのある昼。
突然街中でカーチェイスを始めて乱闘騒ぎを起こしたジュード・ロザリオが現行犯逮捕されるが、その相手…乱闘中に川に落ちたはずの男マシュー・ブロディの姿は消え、被害者不在のまま裁判はジュード有罪を確定する…
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その半年前。
RAW(Research and Analysis Wing=インド諜報部)は、ムンバイ同時多発テロに関与したパキスタンの過激派による新たなテロ計画を察知。それに対処するため、ある特殊な男を起用した対抗作を講じる。選ばれたのは、優秀な軍人でありながらある事件後に軍を退いて隠遁し、生存記録を抹消された男、ダニヤル・カーン…後のシカゴで、ジュード・ロザリオを名乗る人物である…。
「パスポートなし、免許証や配給証なし、SNSにも未登録…存在を確定する物証なし。彼は…亡霊(ファントム)のような男です」
プロモ映像 Afghan Jalebi (Ya Baba) (アフガンの優美さのように)
*劇中では一切出て来ない、ミュージカルの喧噪で描かれるプロモーション映像。
2008年11月26日に起きたムンバイ同時多発テロを背景に、その実行犯たちの新たなムンバイテロ計画を阻止しようとする、フセイン・ザイード原作の小説「Mumbai Avengers(ムンバイの復讐者たち)」を、ヒンディー語(*1)映画化した作品。
監督は、日本公開作「タイガー 伝説のスパイ(Ek Tha Tiger)」のカビール・カーン。奇しくも、同じカビール監督による大ヒット作「バジュランギおじさんと、小さな迷子 (Bajrangi Bhaijaan)」と1ヶ月差での公開となった。
日本では、2020年にNetflixにて「ファントム・オブ・ムンバイ」の邦題で配信。
なんとなく、サイーフ主演作「エージェント・ヴィノッド(Agent Vinod)」的なものを、「タイガー」を作ったカビール・カーンに作らせたらこうなったと言う感じのスパイアクション(*2)。
アメリカ、イギリス、シリア、パキスタンを劇中舞台とした豪華外国ロケを敢行し、インドとパキスタンの諜報合戦、その国同士の作戦の裏でうごめく数々の人の思いを描くシリアス劇。コメディやロマンス要素を廃し、テロと社会と言う硬派なテーマを掲げたカビール監督らしさは現れているものの、やはりサイーフのやりたいこと先行な企画の匂いが濃厚。そういう意味では、主演サイーフとカビール監督の駆け引き戦を見せられてるような、妙な窮屈感とハラハラ感も感じてしまう(いらん深読み)。
舞台ごとにターゲットとなるテロ実行犯を1人1人執拗に殺していくダニヤルの活躍を中心軸に、RAWの事前準備の周到さ、ISI(=パキスタン諜報部)との駆け引きや二重スパイ疑惑、それぞれの作戦に仕組まれたアイテムや作戦の多彩さ(*3)は色々とサービス精神満載ながら、無駄に多い登場人物とその対立構造、似たようなエピソードの連続によるタルさがあって、その暗い情念が支配する映画は、面白くなるはずの物語がいまいち飛躍した盛り上がり方になってないのが…ねえ…。
映画ロケはインド国内の他ロンドン、バンクーバー、さらにレバノンのベイルートで行なわれたそう。
特に劇中のシリアパートを撮影したベイルートロケでは、反政府団体うごめく大規模な難民キャンプセットを作り、地元民エキストラを多数参加させてリアルさを構築していたことから、一時は本物の民兵組織が設立されたと誤解され、レバノン軍の監視対象になっていたそうな。
監督を務めたカビール・カーンは、アーンドラ・プラデーシュ州ハイデラバード生まれの映画監督兼プロデューサー。政治学教授の父親と、テルグ人の母親の間に生まれる。
デリーの大学を卒業後、25才で96年公開のディスカバリー・チャンネル製作のドキュメンタリー映画「Beyond the Himalayas」のカメラマンを務めて映画界入り。99年のドキュメンタリー映画「The Forgotten Army」で監督デビューし、06年の「Kabul Express(カブール特急)」で娯楽映画監督デビュー。ナショナル・フィルム・アワード新人監督賞を獲得する。その後も政治的メッセージを織り交ぜた社会性の強い娯楽映画を監督し続け、12年監督作「タイガー」では日本公開に先駆けてプロモで来日。本作と同じ15年公開の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」が記録を塗り替える大ヒットとなり、様々な映画賞を獲得している。本作はこれに続く5本目の監督作となる。
ラストシーン、ムンバイテロの被害者たちが歓喜に湧くテロの元現場にて、思いの丈を語らう老人の台詞を通して被害者たちが背負う怒り、悲しみ、怨みが表現されいくシークエンスの凄まじい事と言ったら。
ここをピークに逆算的に構築された映画構成において、全編がインドの愛国心鼓舞以上に、テロを憎む被害者たちを襲う情念の昇華を目指しているような、凄惨な現実とどうにもならない悲しみを知らしめんとでもしているような、被害者たちの救済を目指したような暗い情念に振り切ったその描写の、なんと重々しいことか。
プロモ映像 Nachda ([君の肩と僕の胸が] 揺れ動く [どうやってこの心を壊し、我が信念の重荷を運ぼうと言うのか])
「Phantom」を一言で斬る!
・冒頭、作戦遂行の適任者を捜すRAWの資料の多くが、古びた紙媒体のままって所がなんともイイネエ。
2019.8.24.
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